ARTICLE

神社の行事の始まりを知ることは、現在をも知ること

なぜ年中行事ははじまったのか ー後編ー

  • 神道文化学部
  • 全ての方向け
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

神道文化学部 准教授 鈴木 聡子

2024年2月15日更新

 宮中の年中行事の要素を取り入れていった、中世の神社の年中行事。鈴木聡子・神道文化学部准教授へのインタビューで浮かび上がるのは、私たちがよく知る神社の行事の形成過程だ。前編で解説してもらった概略を踏まえて、この後編では、さらにその行事形成の「淵源」へとさかのぼっていく。なぜ、その年中行事をはじめたのか。その深部を考えることは、現代におけるコロナ禍以降の神社の年中行事を考えることと、実は深くつながっている。

 

 インタビュー前編では、11世紀以降、朝廷との関係が深かった都近辺の二十二社に位置付けられる神社において、節会(せちえ:宮中の行事)を意識することで年中行事が形成されていく経緯についてお伝えしました。ここで興味深いのは、朝廷でおこなわれていた節会には宗教的な意識があまりない、ということです。

 もちろん例として挙げた白馬(あおうま)節会では馬を見ることで邪気をはらうといった意味合いはありましたが、それより饗宴という性格のほうが強かったのです。神社でおこなわれる神祭り的な要素ではなく、天皇と役人(官人)がその空間を共にして、宴のようなものをとりおこなうなかで、彼らの秩序が確認され、再生産されていくといった意義のほうが大きかったのです。

 ただ、そうした節会に類する年中行事を神社でおこなうということは、祭神の前に神職たちが集まり神に行事を見せるということです。神職組織の秩序を確認するという側面のほかにも、やはり重要な意義があったのではないか、というような議論を私は進めているところです。

 朝廷との結びつきと、神仏習合における仏教思想の流入があいまって、宮中の行事を神職たちが神に見せることで、神からの徳が人々にもたらされることを期待する──。そんな認識が生まれてきたのではないかと考えているのですが、ひとつひとつの行事に対し、なぜそれを選択したのかということについては、議論の余地がありそうです。

 そうした神社の年中行事の「淵源」が気になって調べてみたのが、都よりはるか遠い地の大宰府の天満宮安楽寺、現在の太宰府天満宮(福岡県太宰府市鎮座)です。延喜3年(903)、左遷先の大宰府で亡くなった大宰権帥(だざいのごんのそち)・菅原道真を葬り奉った場が、宗教施設となっていったのですが、そこでは史料上、都近辺の二十二社に比して一世紀以上も早く、年中行事が形成されていきました。つまりは広い意味で、神社の年中行事形成の「淵源」を垣間見ることができる対象だと思われるのです。

 その行事形成の経緯を振り返ってみましょう。道真は宇多天皇の近臣として重用されましたが、後の醍醐天皇の治世に冷遇されて左遷されるわけです。道真の残した文章を読むと、宇多天皇との節会のことも書かれております。宴のなかで、天皇に歌を披露したことが懐かしく思い出されるということが書き残されているのです。

 道真の亡き後も、大宰府には都から官人が派遣されてきます。そうした人々は、優秀な文人貴族だった道真に対する思いを強くもっています。この地に二度も派遣され、文人としての側面をもっていた小野好古(おののよしふる)などが代表的です。例えば、宮中で人々が寄り集まり詩作をおこなう「曲水宴」について、彼によって道真の霊廟の前で官人たちが歌を詠むという形で天満宮安楽寺の年中行事となったのは、道真に寄せた思いを象徴していると思われます。

 このように宮中行事が、宗教性の薄いものであるにもかかわらず、道真へ寄せる思いから、天満宮安楽寺の年中行事として選択されていきました。これを、11世紀以降に都近辺の二十二社で形成されていった年中行事に引き寄せて考えてみると、やはり神職をはじめとした神社側の神観念が、強く影響しているのではないかと考えられます。

 神仏習合が進むなか、神社の独自性への自覚が生まれる一方で、神観念には仏教の影響が濃くにじんでいきます。祀り手がさまざまな行為を神に見聞きしてもらい、人々に徳をもたらしてもらうことを期待するというような、いわば「仏教的な神観念」が広がっていくのです。

 こうした「期待」が11世紀以降、節会を参照して神社の年中行事が形成されていった経緯に深く関係しているのではないかと考えています。

 インタビュー前編でも触れましたが、私は実家が神社で、神職に就くために勉強をはじめ、やがてここまでお話ししてきたようなことが気になり、研究の道へと進んでいきました。現在も神職としての実務にもあたりながら研究を進めているのですが、神社の現場に身を置いていると、「新しく行事(神事)をつくり、年中行事になっていく」ということが、どれほど大きなことなのか、身にしみてわかります。誰かがはじめ、のちの関係者が継承してきたからこそ、いま私たちがとりおこなう行事があるわけですが、そこにはよほどのきっかけがあったのだろうと思うのです。一度途絶えてしまった行事を復活させる、といった場合も同様ですね。

 それを痛感したのが、コロナ禍でした。例年通りに行事をおこなうことが困難になるなか、全くとりおこなわないのではなく、なんとか実施することはできないか。そのかたちを模索して、全国の神職たちが、自分たちのおこなってきた年中行事の原点・本質的な部分を見極めようと思いを巡らせました。それは個々の行事のはじまりに立ち返ることでもあったのではないかと思います。

 神社の年中行事の形成を考えるということのリアリティを、改めて実感しているところです。

 

鈴木 聡子

研究分野

神社史、神道史

論文

神社年中行事形成の淵源(2022/12/15)

神社年中行事の形成背景 ー節日神事を中心にー(2021/10/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU