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神社を取り巻く状況の変化が、多様な行事を生んだ?

なぜ年中行事ははじまったのか ー前編ー

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神道文化学部 准教授 鈴木 聡子

2024年2月15日更新

 季節の移り変わりとともに、私たちの身近にある神社の年中行事。それがいつ、誰によってはじめられたのか──と疑問に思ったところから、鈴木聡子・神道文化学部准教授の研究の道ははじまったという。意外にもその分岐点は、11世紀頃にあるようだ。宮中や仏教との関係が大きく変化していくなか、神職たちの新たな“実践”があった。神社の内外で、いったい何が起こったのだろうか。

 

 いまでも神社では、一年間を通してさまざまな行事がおこなわれ、それは毎年おおよそ決まった日取りで繰り返されています。このなかでは、初詣のほか、五月五日の端午、七月七日の七夕といった一般的にも馴染みのある節句には節日行事がおこなわれていますし、五穀豊穣を願うような農耕行事もあります。私の実家は千葉県で代々神職をしており、幼い頃から神社の行事を、とても身近なものとして体験してきました。

 しかし、実はこうした神社の年中行事がいつからおこなわれているのか、どのように形成されてきたのか――、これがとても奥の深い問題なのです。

 神社の年中行事にかんする記録がある程度残されていくのは平安時代後期、西暦でいうと11世紀以降のこと。この神社では何月にこの行事をおこなっている、というような記述が見られます。

 一般的に年中行事というと、すべてが古代から変わらず連綿とおこなわれてきたのではないか、といったイメージがあるのではないでしょうか。もちろん、朝廷でおこなわれてきたような国家的な行事は、早くから存在します。しかし、史料から見えてくる神社の年中行事となると、そこまで古くからおこなわれていてはいなかったようです。まさにこうした史料が残されるようになった時期、つまり11世紀以降に、さまざまな情勢のなかで形成されてきたことが、だんだんわかってきているんですね。

 私がこれまで主に調べてきたのは、都の近辺に鎮座する、国家とのつながりがつよい二十二社にかんする史料です。天皇が祈願するときの対象であり、朝廷から特別な崇敬を受けた神社です。

 二十二社のうち、たとえば奈良県奈良市に鎮座する春日大社は、創建当初より藤原氏の一族の氏神でした。古代におこなわれていた氏族の祭祀(氏神祭祀)は、年間を通しても非常に数が少ないんです。他にも京都府京都市に鎮座し、都を護る神として有名な賀茂御祖神社(下賀茂神社)・賀茂別雷神社(上賀茂神社)をみても同様で、本来は賀茂県主(あがたぬし)一族の氏神であり、古くは行事といえば氏族の祭祀が中心だったと考えられます。

 古代の神社は、氏族祭祀や神社の由緒にかかわる祭祀がおこなわれる場でした。それがいま私たちの知るように、一年をかけて多種多彩な行事をおこなうようになっていったのには、どういった経緯があったのか。さまざまな事情が関連しているのですが、そのひとつには、天皇や院、摂関家などが、崇敬している神社に経済的な援助を手厚くおこなうようになったことが挙げられます。具体的には土地の寄進などですが、援助を受けた神社は結果として財力をもつようになるのです。経済基盤が整備されるなかで、神職の人員も増えていき、一定規模の神職組織が形成されていきます。神社が主体的な力をもちはじめた要因の一つといえるでしょう。

 一方で、神職達の自意識を感化させるような事態も発生していきます。すなわち、天皇や院、摂関家などが仏教思想も重視することによる、神仏習合化などです。例えば、国家の安泰をはかるために神社で仏教行事をおこなう、といったことが起きてくる。さらには、神社の境内の一角に僧侶が常住したり、堂塔が建てられたり、というような出来事も重なっていきます。

 経済的な基盤が整備され、主体性を獲得しつつあるなかで、仏教行事や建築物が神社のなかに浸潤してきているわけです。これは、神職達にとって、神社に祀られる神との関係性を再考する契機となりました。彼らは、「仏教とは一線を画した神社」を自覚していくのですね。神社における新たな年間行事の形成が、このあたりからはじまっていくわけです。

 そこで参照されたのが、関係の深かった宮中における年中行事でした。宮中の行事のなかで「節会」(せちえ)がありますが、これは天皇と役人(官人)が一堂に会しておこなわれる饗宴です。たとえば白馬(あおうま)節会では、みんなで集まっているなか、天皇が馬を御覧になり、そして饗宴をするというものです。こうした節会を神社のなかに取り入れることが、神社の独自性につながるということなのですね。それは同時に、中世の神社が天皇・院を中心とした秩序を守護するという性格をもつようになることを意味していました。

 このように経済面での自立と、仏教思想との関係における触発、ということが重なり、神社側にある種の自覚が生まれるなかで、年中行事が形成されていったということができるでしょう。

 ですが、そのうえで、なおも疑問は浮かびます。ひとつひとつの行事は、どのように選択されていったのでしょうか。近年研究を進めて見えてきたことが、インタビュー後編のテーマです。

 

鈴木 聡子

研究分野

神社史、神道史

論文

神社年中行事形成の淵源(2022/12/15)

神社年中行事の形成背景 ー節日神事を中心にー(2021/10/15)

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