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ラジオからまちづくりまで、
“多面的な学び”を力にして前進していきたい

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文学部4年 桐田 拓実 さん

2024年2月5日更新

 大学時代のみならず、高校時代から数々の活動に真剣に取り組んできた桐田拓実さん(史4)。「いろいろな活動をしたほうが複合的な視点が持てる」と語る桐田さんが関わってきたのは、渋谷のコミュニティラジオでのパーソナリティの経験や若者と政治をつなげるNPOの活動、特別な愛着のある福岡県柳川市の調査など、どれも大変ユニークだ。それぞれの活動を経て何を得たのだろう。多彩な活動の原動力は何なのか、そこから何が見えてきたのか、お話を伺った。

 

「常に挑戦を」という恩師の言葉を胸に

 桐田さんは、これまで多様な活動に関わってきた人である。どの活動も意義ある内容だが、活動それぞれにはとくにつながりはない様子。聞けばどの活動も時間も労力もかなりかかりそうだが、なぜいくつもの活動をしているのだろうか。

 それは、小学5〜6年生のとき、学内でも新しい取り組みをしていた担任の先生の「常に新しいことに挑戦しなさい。何かあったら積極的に手を挙げなさい」という言葉が深く胸に刻まれたからだそうだ。

 では実際に、どんな活動をしているのか伺ってみよう。

 

渋谷の魅力を伝えるラジオで活躍

 「令和5(2023)年4月から、隔週で渋谷のコミュニティラジオ「渋谷のラジオ」の『渋谷のチキチキラジオ』という番組でパーソナリティをさせていただいています。きっかけはラジオに出たいとか、渋谷が好きとかというよりも、このラジオ局の理事長である方が、大学のゲスト講師として授業をしたときに、『私がやっているラジオのボランティアに、國學院大學の学生が1人もいない』と話したのを聞いて、それなら自分がやろうと思ったんです」

「ラジオでは、できるだけ友だちと話しているような話し方を心がけています」

 〝新しいことに挑戦する〟〝積極的に手を挙げる〟という、桐田さんが大事にしてきたポリシーと合致したわけだ。ラジオでは、よどみない爽やかな口調でゲストと会話する桐田さんだが、じつは人前でしゃべることはとても苦手なのだという。1年前に参加した当初は「裏方の音響ミキサーを」と希望したのだが、毎回、渋谷の魅力を夢中になって語るゲストの話を聞いているうちに興味が湧き、4月からパーソナリティとなった。

 「ゲストのトークがとにかく興味深い。間近でおもしろい授業を聞いているような気持ちになりますね」 

 ゲストは渋谷区内外でさまざまな活動をしている方々。どの回もおもしろかったが、直近では「渋谷茶」の話が印象的だった。

 「渋谷は昔、お茶の産地だったそうなんです。当時の木が4本、鍋島松濤公園で見つかったことがきっかけとなり、プロジェクトが始まりました。大手飲料メーカーなどの一般企業3社と渋谷区観光協会がコラボして、渋谷区内のビルの屋上などでお茶を育てて、それを観光コンテンツにしようというお話でした。育てたお茶の木で茶摘み体験を行い、インバウンドのコンテンツにも利用したいというお話にはとても興味を持ちましたね」

『渋谷のチキチキラジオ』で、にこやかに話す桐田さん。

 この活動では渋谷という街の奥深さも知ることができたし、人前で話すときの言葉選びのセンスも少し磨かれたという。

 

若者と政治をつなげる活動

 もう1つ、高校時代から現在まで関わっている活動がある。学生の有志により設立・運営しているNPO法人I-CAS(アイカス)が展開する、若者と政治を近づけるための活動である。高校生が3日間、現役議員のもとでインターンシップ体験をするというプログラムを提供している(もちろん、I-CASは政治的に中立であり、特定の政党支持や思想・主張などを参加者に強要することはない)。

 桐田さんは高校1年生のとき、政治に興味を持ち始めた。折よく、学校に貼られていたI-CASのポスターを見て、即インターンシップに参加した。

 「非常に学びの多い体験でした。参加するまではスキャンダルや事件の報道の印象が強く、政治家のことを斜めに見ていたところがあったんです。しかし、いざインターンシップで横須賀の地方議会議員の方に付いてみると、いかに住民や地元のことを深く理解しているかがわかる。また委員会で、ご自分の意志を明確に持ち、しっかり意見を述べられている場面などを見て、政治家の見方が変わりました」

 活動に意義を感じた桐田さんは、すぐにスタッフになった。そして大学1年生のときにはNPOの代表になったのである。

 代表就任時は新型コロナウイルスが猛威をふるっており、インターンシップを始めとする対面での活動はほとんど中止になってしまった。

「代表になったタイミングでコロナ感染が拡大し、活動を広げるというより活動や経費を見直すなどして、しばらくは団体の維持に専念しました」

 「最近になって、やっとリアルでのイベントができるようになりました。コロナ禍以前は1回の高校生議員インターンシップの参加者は30人ぐらいで、スタッフも8人ぐらいでした。最近ではインターンシップの参加者は70人ほど、スタッフも40人以上と増加しています。学生たちの意識の高まりを感じますし、少しずつ活動の輪が広がっているのかなと思いますね」

I-CASのイベント「いいからちょっとしゃべらせて(vol.2)」で、挨拶をする桐田さん。

 

旅と柳川、そして仕事としても関わりたいまちづくり

 そしてもう一つ、桐田さんを構成する大きな要素がある。それは、福岡県柳川市との関わりである。

 「僕は旅が大好きで、今年、47都道府県を踏破したところです。同じく旅好きの祖父母に連れて行かれ、柳川との縁ができました。母方の名字が“立花”で、かつての柳川藩主・立花家となんらかの縁があるかもしれず、調べてみたいという思いがきっかけでした」

 よく知られている通り、柳川には江戸時代に作られた掘割が今も残り、風情のある町並みが特徴である。この掘割は、そもそも柳川城の防衛と水運のために作られた。

 「時が経つにつれて、当初の目的では使われなくなり、水路も汚染され、昭和52(1977)年には『埋めてしまおう』という計画が立てられました。そのとき、1人の市職員の方が計画に異を唱え、熱意によって市民をも巻き込み、掘割を活かしたまちづくりに取り組んだんです。その結果、今はカヤックを楽しんだり、子どもたちが釣りを楽しんだりと、江戸時代とは違う形で市民に利用されています。こういう形で掘割が残っているのは、日本では柳川ぐらいなんです」

新外町と吉富町の間を流れる掘割(外堀)。観光用のどんこ舟で川下りが楽しめる。舟の後ろに見えるのは、柳川藩主立花邸「御花」。

本城町の弥兵衛門橋。川下りコースで、もっとも狭い橋。緩やかな掘割の水の流れが速くなるように、あえて狭く作っているという。

 自分のルーツがあるかもしれないという思い、そして掘割に囲まれた美しい街に魅せられて、柳川は桐田さんにとって大切な場所となった。卒業論文のテーマにも、柳川を選んだ。柳川の掘割が、景観や機能など、江戸時代からどのように変化してきたかについて書く予定だ。

 「先日、4日間かけて調査に行ってきました。大名家の子孫の方や、市役所の方などにお話を伺って『ああ、だから柳川はこういう景観があるんだな』と改めて思うことがありましたね。たとえば、他の多くの土地では、住居と地続きにある神社仏閣が、柳川では堀によって隔てられている。それは、神聖な空間を掘割で隔てているからだと伺いました。お話を伺ってから町並みを見ると『なるほど』と思いますね」

「先日の柳川調査では、先人たちが作ったまちづくりの痕跡を見ることができてよかったです」 

 埋められるはずだった掘割を活かす道を選んだ柳川。桐田さんがもともと興味を持っていた“まちづくり”について刺激や示唆を受けたこともあり、就職先はプロパティマネジメント(不動産に関する資産管理)に加えて、まちづくり事業も展開する企業を選んだ。

 「ただ建物を作るのではなく、その周囲のエリア全体を巻き込んだ町おこしをしていくような企業なので、自分の経験が活かせたら良いなと思っています」

 そのときに、渋谷という地域に特化したラジオパーソナリティの経験や、I-CASでの若者と政治を結びつける経験、47都道府県を旅して見聞きした経験、柳川という土地を深く観察してきた経験といった、点だった活動が線としてつながって、活かせていけるかもと桐田さんは考えている。

 これまでの多彩な経験は今、1つに束ねられ、強い力となって社会に出る桐田さんを後押ししてくれそうだ。

取材・文:有川美紀子 撮影:押尾健太郎 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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