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愛する應援團の伝統を受け継ぎ、
未来に伝えていくために

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人間開発学部4年 齋藤 璃乃 さん

2023年12月25日更新

小1から中3まで続けたバレエの経験が活きるチアリーディング。全身に意識を集中し、ダンスと声で選手にパワーを送る。

 入学前から憧れていた應援團の活動に邁進し、80年以上の歴史をもつ全學應援團で初の女性團長を務めた齋藤璃乃さん(子支4)。チアリーダーらしい弾けるような元気と明るさをたたえた齋藤さんに、「応援」の魅力、團長としての覚悟やチャレンジなど、舞台裏のドラマをうかがった。

 

應援團に憧れて

 齋藤璃乃さんは、令和6(2024)年に創團83年を迎える全學應援團の歴史の中で初の女性團長を務めた。伝統的で硬派な印象のある應援團とは正反対ともいえる、小柄でかわいらしい学生だ。しかし、ひとたび語り始めれば、應援團への情熱があふれ出し、目を輝かせてその魅力を語る。幼い頃からピアノやクラシックバレエを習っていたというが、応援との出会いはいつだったのだろうか。

 「高校時代に吹奏楽部で野球の応援を経験して、すぐに大好きになりました。吹奏楽なしには応援が成り立たない高校だったので、音で選手を支えているという実感がありましたね。高3は夏前に引退するんですが、先生に頼みこんでギリギリまで続けました(笑)」

吹奏楽部で高校野球を応援したことで、「応援」のとりこに。コロナ禍を乗り越え、愛する全學應援團の一員として活躍した。

 すっかり応援のとりことなった齋藤さんは、大学では「バレエの経験を活かし、ダンスと声で選手を支えたい」と、チアリーダーになることを決意。國學院大學への進学は、子ども支援学科での学びはもちろんだが、應援團と全国トップレベルの硬式野球部の存在も大きかったそうだ。しかし、入学した年はコロナ禍で、活動どころか團とのコンタクトすらできない。目標を見失ったような気持ちになり落ち込んだという。2年生の春休みから、声出し禁止マスク着用の制約はありつつも、ようやくリーグ戦の応援ができるようになり、チアならではの組体操のようにメンバーを持ち上げるスタンツの練習も後輩と一緒にスタートした。全學應援團はリーダー部、ブラスバンド部、チアリーダー部の三部構成。いつもは別々に練習しているが、大会や行事では一致団結して応援する。チアのメンバーは部活での練習のほかに、自宅でも毎日の筋トレや柔軟体操は欠かせない。

 

全身の表現で選手を応援

 齋藤さんにとってチアリーディングは、自己表現なのだという。表情はもちろん、指先からつま先まで体全体を意識して踊る。形は決まっているが、選手への伝え方は自由なので、ポジティブな掛け声を大きな声で届けるよう心がけているそうだ。やりがいは、応援で選手を元気づけたり、誰かの役に立てたりすることというが、なにより嬉しいのは、お客様の拍手や『よかったよ』の言葉。主役はあくまでも選手であるからこそ、自分たちの存在が認められることはさぞ嬉しいにちがいない。硬式野球部や陸上競技部の応援のほか、学校行事での活動もある。長年の應援團ファンもおり、多くの人たちの前で演技を披露することは誇らしいだろう。

 「応援団は大学ごとに形式も流れも異なり、今風で楽しく元気にという大学もありますが、國學院大學のリーダー部は伝統として基本的に笑顔を見せません。全身を使って鍛錬を重ねた上での技術を披露しながら、力を選手に届けるんですね。チアリーダー部とブラスバンド部は、リーダー部を支える位置づけになります」

 これまで、團長はリーダー部の学生が務めてきた。そのような中で、チアリーダー部に所属する齋藤さんが團長となるまでには悩んだり不安に感じたりすることはなかったのだろうか。

 「同学年にリーダー部の部員がいなかったという背景がありますが、なんといっても歴史があるので先輩方も多く、初めてリーダー部以外の、しかも女性團長となることを納得していただくにはどうしたらよいか悩み考えました。3年生まではただ楽しく熱く活動していればよかったのですが、伝統を背負う責任は重かったですね。とにかく大学の名前を汚さないように、そして應援團を未来に繋げていけるようにと必死でした。」

硬式野球部の応援シーン。チアリーダー部が校歌のリーダーを振るのは歴史上初のこと。 チアリーディングは自己表現の場、お客様の拍手がなによりの喜びだ。

 

應援團初の女性團長として

 しかし、試行錯誤しながらも、齋藤さんならではの仕事もできたはずだ。

 「これまでリーダー部が厳しくまとめてきたので、チアリーダー部が増えて緩くなったとは思われたくない、というのがまずあって。けれども、伝統を守りきることは大前提ですが、一方で應援團が存続していくためには時代に合わせた変化も必要でしょう。私にできることは、上下関係を重んじる中でも後輩が意見しやすい雰囲気をつくったり、よく声をかけて話し合うようにしたり、一人ひとりその人なりの頑張りを認めるとか…気配りすることですかね。新しく始めたこととしては、参加する行事を増やし、他大学とのコラボなども企画しました。企画提案や交渉ごとは好きなんです」

 聞けば、小学生の頃から常に学級委員や生徒会に選ばれて、組織としての計画を立てたり、人をまとめたりする経験を重ねてきたという。とはいえ、60人近い團員をまとめるのは簡単なことではないはずだ。コロナ禍によって、先輩や團長の仕事を実際にそばで見て体験し受け継ぐということが途切れてしまった部分もあるだろう。

 「体験できなかったことは監督などに相談しながら手探りでやらざるを得ないですし、自主的に應援團最優先で生活してきた私とは違う価値観をもつ團員もいます。ですが、上から押さえ付けることはしたくない。團長として発言したり行動したりする前に、いつも自分に問いかけることは、『それは應援團に必要かどうか、迷惑をかけないか、團の名前を汚さないか』。これが私の芯なんです。芯がなければ、誰にもなにも伝わりませんからね。また理不尽なことは言わないようにも気をつけています。自分ができていないことは皆には言えないので、なんでも全力で取り組むことでお手本になればいいなと思ってやってきました」

 應援團での活動を誇りに思い、楽しみ、半面、誰よりも自分を律して過ごしてきた。その日々を振り返って、いま、自分自身のことをどう感じているのだろうか。

 「入学後、授業もイベントもオンラインの時期を経験し、何事も自分次第だと改めて気づきました。志をもって、自分で選択し、やり遂げることの大切さ。そして團長を務めたことで強くなったし、めげなくなりました。また、1年前には大学の名を背負うことに重責を感じていましたが、いまは少しでも團を次世代、後輩につなぐことができたのではないか、そして團長としても團を背負わせていただけたという感謝の気持ちをもっています」

 そう語る顔には、晴れやかさと凛々しさが漂う。春には社会人となる齋藤さんに、心からのエールをおくりたい。

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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