有職故実の語は有職(識とも)と故実の二つの語から成る。故実とは儀式・作法・法令などにおける先例・典故・故例また先例とするに足る事例のことを指し、有職とはこれに通暁することや通じた人のことをいったものである。こんにち学問分野や講義名としていわれる有職故実は、こうした知識を古典研究であったり、朝廷・武家の儀式などの研究に取り組むうえでの補助的学問として体系化したものである。そして有職故実の講義は、國學院大學でも特徴的な科目の一つとして知られている。
本学で有職故実というと鈴木敬三(四六期)がとりわけ高名である。國學院大學をでたあと、宮内省図書寮に奉職し、のち國學院高等学校の教諭となり、さらに國學院大學文学部の教授となった。絵巻物を素材に、そこに描かれた室内装飾具や服装、武具などの研究に取り組み、その大きな足跡はひとり有職故実方面ばかりでなく、古代・中世の絵画史研究にも多大な影響をおよぼした。
かれの有職故実への関心は生来のものであったようで、とくに甲冑に関心をもち中学時代には歴史風俗画に通暁した関保之助のもとに入門して、軍陣故実の研究を志したという。のち関とは宮内省で先輩・後輩として職をともにする。なお、関は当初は正確な歴史風俗画の樹立を志していたが、乱視のために歴史画家としての筆を折り、有職故実の研究の道に進んだという経歴を有した。
また鈴木が本学に在学していた当時、有職故実の授業を受け持ったのは河鰭實英である。河鰭は幕末の公家三条実美の四男で、長じて河鰭家に養子入りした。宮内省図書寮(有職調査部)に奉職し、やはりのちに鈴木の職場での先輩となる。有職故実を古典の文化的研究と考えた河鰭は、とくに服飾史の方面に造詣が深かった。後半生に昭和女子大学の教員となってからは、有職故実にかかわる史・資料を大学に寄贈し、被服参考室の整備拡充に努めた。
後年、鈴木はアジア・太平洋戦争下、宮内省図書寮で天皇実録の編纂に従事し、公家の故実も勉強し始めたと述べているから、かれの有職故実研究者としての貌はどうやら関・河鰭らの謦咳に接するなかで具わったものらしい。
さらに河鰭以前、本学で有職故実を講じたのが女子学習院教授を本務とした松本愛重である。松本は当時流行した文明史に対抗し、文化史観ともいうべき史学への志向性をもって、風俗(唐風・常食・衣服・礼服・家屋建築・敷物・音楽・婚礼・葬儀)の変遷を明らめることに学問上の重きをおいた。
本学における有職故実の開講の歴史を辿ると、どうやら近代歴史学黎明期の潮流のなかで、本邦風俗の変遷に注意を向ける人びとにより織りなされてきた系譜にゆきつくらしい。翻って史学の立場に立脚した国学研究へのアプローチの一例として、今後、学問史的関心からも注意してみていく必要があるだろう。
※学報連載コラム「学問の道」(第56回)