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人育ての國學院~「修理固成」の誇りを~

おやごころ このおもい

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國學院大學名誉教授・法人特別参事 新富 康央

2023年11月20日更新

近くて遠い? 遠くて近い? そんな親の気持ちや大学生の子どもの気持ちを考えます。


「学歴」は「学習歴」

 今月1日、第141回創立記念祭が執り行われました。「大学で、とりわけ國學院大學で学ぶとは、どういうことか」。今回も、本学関係者にとって基本である、このテーマについて掘り下げていきたいと思います。

 大学史で言えば、國學院大學は戦前、早稲田大学、慶應義塾大学と並んで、「私立文系3大学」の一つでした。

 大学は、そもそも現代のように受験競争で選抜される機関ではなく、社会教育機関でした。つまり、学びたい者が居て、学校教育のような公的教員資格は無いが学び取らせたい研究内容を保持する教員が居れば成立する、教育機関でした。「学歴」は本来通り、ではなく、でした。

 では、本学の「私立文系3大学」の根拠をどこに求めるか。それは、『古事記』の「修理固成(つくろひかためなせ)」に基づく「学習歴」の優秀性にあったと思われます。 

 つまり、学びの意欲を喚起する「修理固成」の「人育ての國學院」です。具体的には「教職の國學院」として、社会的にも表象されるようになりました。

我が国の「学校」の起源

 実は、我が国の「学校」の起源を考察する上で、間接的にではあっても國學院大學との関係性は無視することができません。

 それは、我が国の「学校」は、明治5年教部省の下に置かれた教導職制に依る神社学校(神仏習合の寺院も)を起源としているからです。通説では寺子屋学校起源説もありますが、寺子屋は幕末期には数百人規模のものもあり、場所として使用されたのです。地方では今でも、神社・寺院の横に由緒ある伝統校が存在するのはその故です。

 なぜ、神社かと言えば、幕末から明治維新にかけて、神社は当時、氏子たる公民の社会生活・文化面での社会的啓発活動の場だったからです。

欧米との「学校」起源の比較に見る、我が国の学校教育の本質

 それに対して欧米は、その起源を「読み書き算」を教える塾型の巡業(サーカス)でした。近世に入り各地に5千人以上の都市が生まれ、巡業する必要がなくなり、「学校」として定着したのです。

(1)従って、我が国では、教育権は「国権」。故に、教育内容等は、衆・参両国会の審議を得て法的拘束力を持つ「告示」により規定されています。また、教科書の無償配布も、教育権が国権故です。それに対して欧米は、古くローマ法以来、教育権は「親権」。故に、そもそも「不登校」などの概念はありません。アメリカでは、ほとんどの州で、「ホーム・エデュケーション・システム」が確立しています。通学か家庭教育かの、保護者の選択なのです。

(2)我が国では、教師は、神職の延長故に「聖職」。明治6年の徴兵令でも、平時における常備兵免役の特典を受けました。明治22年、ドイツの制度を導入し、徴兵令の大改正に依り徴兵猶予条項は廃止されますが、その期間はなんと6週間なので徴兵免役とほとんど同じでした。それに対して、欧米はサーカスなので、例えば校長は「スクール=マスター(団長)」です。つまり、サーカスと同様、校長は日本のような中堅管理職ではなく、教員の人事権も教育内容決定権も保持しています。

(3)とりわけ重要な欧米との相違点は、我が国は欧米のような「読み書き算」の技能の習得だけでなく、その範疇は広く、生徒指導や特別活動、道徳教育(心の教育)など「人づくり」まで含むことです。実際、アメリカで「教育は人づくり」という講話をすると、彼らにとって、こういう発想は斬新なので興味を持って聞いてもらえました。

 このように、一口に「学校」と言っても、その起源を異にすれば本質・特質を異にします。

 確かに、明治14年「教育令」以降、我が国の学校教育も欧米化(教育制度はフランス、教育内容はイギリス、教育方法はアメリカ)が図られますが、その本質に係わる面では、本学の教育理念は関わっていたと言えます。

 今回は、学徒の怠学を戒めている「明治天皇御製」で締めくくります。

「ものまなぶ道にたつ子よ怠りに まされるあだはなしと知らなん」(人の道を学ぶ子らよ、何事でも怠るということは、自分自身の敵である。外に敵はいない。自分自身の怠け心に勝る敵は無いと知ってくれよ)

新富 康央(しんとみ やすひさ)

國學院大學名誉教授/法人参与・法人特別参事
人間開発学部初代学部長
専門:教育社会学・人間発達学

学報掲載コラム「おやごころ このおもい」第19回

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