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國學院大學 古文書学講義の系譜

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研究開発推進機構 助教(特別専任) 比企貴之

2023年7月24日更新

 國學院大學における古文書学というと、その第一人者として岩橋小弥太(第15期・明治40〈1907〉年卒)の名が想起される。そして、その岩橋の学問的関心は、明治36年以来、國學院に古文書学担当として出講していた、本邦古文書学の体系化に大きな功績を残した黒板勝美(当時、東京帝国大学助教授・史料編纂掛編纂官)、また日本法制史を専門とし古文書にも精通した三浦周行(同掛編纂官)の講筵(こうえん)に列したことで涵養された。

 黒板が41 年に講師を辞すと、後任には同じく古文書学の碩学である伊木寿一が着任した。さらに大正15(1926・昭和元)年、史籍・書籍の編纂経験や京都帝国大学での教歴を積んだ岩橋が古文書学担当として着任すると、以後の村田正志ひいては近年に至る、院友研究者による古文書学講義の学問系譜が紡がれていく端緒となった。

 このように國學院の古文書学講義の歴史は、一見すると黒板に始まるかのようにみえる。ところが、最近、学外の方から寄贈いただいた資料群のうちに、岡部精一という人物の「國學院ニ於テ 古文書學講義」と題した講義ノートが含まれていたことが判明した。岡部は東京帝国大学の出身で、黒板の一学年上級、のち参謀本部に属し『日清戦争史』の編纂や地理調査などに従事した。

 岡部の帝国大学卒業の年次、そして黒板の國學院出講開始の時期を踏まえれば、講義ノートは明治28 年から同35年のあいだのものと覚しい。つまり国学院における黒板以前の古文書学講義の具体を示すものだ。

 古文書学という学問は、19世紀を通じてヨーロッパで史学の実証学問的性格が確立するにともない、史学研究のうえにおける補助学として発達した歴史がある。講義ノートを繙ひもとくと、例えば、冒頭「古文書学概説」に該当すると覚しき箇所では和文・欧文が混在していて、古文書学という日本新紹介の学問手法が国内で成熟・体系化される以前の、生々しい質感が漂う。と同時に、このことは、当國學院で最新鋭の学術知見が教授されていた事実を伝えるものでもある。

 ひとり古文書学の講義に限らず、黎明期國學院の史学系科目の教壇には、東京帝国大学や同史料編纂掛に本務をもつ人物が実に多く出講していた。まさしく日本の学問を基軸としながらも、洋の東西を問わない、総合的な研究教育の雰囲気で学内は満ちみちていたのである。

 

 

学報連載コラム「学問の道」(第52回)

比企 貴之

研究分野

日本中世史、神社史、神祇信仰、神社史料、伊勢神宮、石清水八幡宮

論文

大正八年 八代国治日記(2024/03/06)

明治三十年 八代国治日記(2023/03/06)

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