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「人は人に悩む」という事態に、先人はどう対応してきたのか

人間関係の悩みを起点に据えた民俗学研究 ー前編ー

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神道文化学部 助教 柏木 亨介

2023年8月7日更新

 老いも若きも、悩みの尽きない人間関係。柏木亨介・神道文化学部助教は、そんな身近な悩みを起点に据えて多様な研究に取り組む民俗学者だ。その研究の広がりをとらえようとする、インタビュー前後編。その語りからは、たとえば神社のお祭りも、支える人々がいるからこそ成り立つということが、改めて見えてくる。そして人々が集えば、さまざまな人間関係が生まれ、喜怒哀楽を分かち合う。その営みの歴史は、私たちそれぞれの日々のリアリティと、実は近いところにある。

 

 私の研究は、実証・理論・実践という3つの方面から進めています。ひとつは、神社をはじめとする、儀礼と社会規範に関する実証研究。もうひとつは、伝承、歴史、民俗神道といった学術概念をめぐる理論研究。さらには、村八分、ハンセン病政策といった、社会問題に対して民俗学的回答を与えるという実践的研究にも取り組んでいます。

 一見、バラバラな主題に見えるかもしれませんが、私自身もそのつながりについては、普段から明確に言語化してはいません。ただ、私は「人は人に悩む」という、人間存在の根源的な問いに関心があるのです。端的に表現すれば「人付き合いの歴史」です。

 人間関係というものは、誰にでも煩わしく感じるときがあります。職場の上司部下や学校の教師と馬が合わないといったことは日常茶飯事でしょうし、友人関係などに悩んでストレスを抱えることだってあります。感覚が近いと思われがちな家族どうしでも、喧嘩が絶えないということはあるわけです。

 しかし、だからといって、人はひとりでは生きることができません。ですから私たちは常に、他者との関係に悩みながら生きているという側面がある。そしてその悩みは、おそらく昔の人も抱いていたのだろうと思います。たとえば狩猟採集をおこなっていた縄文人だってきっと、ろくに働かない仲間にどれほど分け前を与えようか、といった不満や悩みがあったのではないでしょうか。

 誰もが、煩わしい人間関係のなかで我慢をし、一方でそれ以上に家族や友人たちと喜びを分かち合いながら生きてきた。もちろん時代ごとに喜怒哀楽の表現の仕方はさまざまな違いがあって、それらが文学とか芸能、祭りとして今に伝えているわけですが、私の関心としては、「人は人に悩む」という事態に、過去の人びとはどのように向かい合ってきたかを民俗から考える、という点にあります。つまり、今の問題を時間の深みのなかで考えようとしているのです。

 そこでなぜ、民俗学なのか。私は東京出身なのですが、ここは地方からいろんな人がやってくることで多様性に満ちた社会が生みだされています。ではそうした人々のバックグラウンドである地方社会とはどんなものなのだろう、と。民俗学は市井の人々の生活文化をそうした地域で調査することが多いですから、きっと最適だろうと思ったこともあり、地方の大学に移って研究を進めていきました。

阿蘇山火口に平穏を祈って奉幣する火口鎮祭のようす

 では、人間関係をどのように調査していけばよいのか。私が調査に際して着目したのは、日本のどこのムラでも見かけることができ、しかも昔から存在してきた神社でした。神社を軸として考えていけば、一つの地域のことでも日本全体のこととして、しかも歴史的に考えることができ、日本人の人付き合いの本質が見えると考えたわけです。古くから続いてきた神社祭祀は、史料で追うことができますし、さらに、地元の方々にお話を聞いたり見学したりすることで見えてくるものもあります。それは、協力し合ったり喧嘩したり、ときに怒って反発し、ときに喜びを分かち合うという人間関係のリアリティです。

 祭祀の姿には、そうした人間関係が反映されています。近年私が書いた論文のひとつに、熊本の阿蘇神社とその祭神が、自然災害からの復興と地域振興という営みのなかでどのような意味合いの変化を遂げてきているのか調査し、分析したものがあります。

 歴史を振り返ると、阿蘇神社の信仰と祭りの社会的意義というものは、時代的特徴が見て取れます。水田や放牧地の開発に力を注いでいた江戸時代や明治時代あたりまでは、神社の由緒は国土開闢(かいびゃく)の神様(開拓神)を強調していました。それが戦後になると、食料増産と農業経営の安定が社会的課題でしたから、信仰の内容は豊穣の神様(農耕神)が強調されました。国の重要無形民俗文化財「阿蘇の農耕祭事」は、そうした価値観が強かった時代のなかで指定されたものです。

 ただし、最近の状況はやや違ってきています。阿蘇では、2012(平成24)年の九州北部豪雨に加え、2016(平成28)年の熊本地震で大きな被害を受けました。お祭りの事前の会議では、被災者の心情を慮って、今年は中止しようかという話も出るわけです。しかしそこで、阿蘇神社の祭りには祈りの意味もこめられてきた、という今まであまり意識してこなかった価値への発言が出席者のなかから出ることによって、お祭りは引き続きおこなわれていくことになりました。

 さらには、復興事業においては、企業や民間団体など、地域外部からの支援を受けながらおこなわれています。また、地元行政も巻き込んだ、ユネスコ世界文化遺産登録推進運動という、「阿蘇」地域のブランド化のなかで、神社の役割が期待されてもいます。

 こうしたなか、阿蘇神社の信仰の意味合いもまた、農業(農耕神)から、除災・復興(火山神)へと移りつつあるのです。

 ひとつの祭祀の歴史を地域社会側からみていくと、ある社会的な関心のもとに執り行われてきたことがわかります。一人ひとりの生活を成り立たせるためには、みんなと協力し合わなければならないこともあり、祭祀はそれを確認する場として機能しています。協力関係の意義を理解し合っていれば、みんなと一緒にいることが、どれほど心強いかを実感するでしょう。これは日頃人間関係に悩む現代の私たちにとっても、示唆に富む事例なのではないでしょうか。

 そして、こうした関係性から弾き出されてしまうという事態もまた、私たちの社会では多く発生してきました。インタビュー後編でお話しするのは、社会規範から外れてしまった場合の、村八分や病気による差別と隔離についてです。

人間関係の悩みを起点に据えた民俗学研究-後編「村八分、ハンセン病、に対する民俗学的回答を考える」はこちらをタップしてください。

 

 

柏木 亨介

研究分野

民俗学・文化人類学

論文

戦後神道研究における民俗学の位置−民俗学的神道研究の展望−(2022/12/15)

真宗門徒の死者供養にみる民俗的心意−愛媛県今治市大三島町野々江のイハイを背負う盆踊り−(2022/09/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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