ARTICLE

国文学を守る最後の砦、それが國學院

日本芸術院新会員に選ばれた、人間国宝 狂言師・山本東次郎師が語る「狂言」と「母校」

  • 全ての方向け
  • 文化
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

大蔵流狂言師 人間国宝 山本東次郎

2017年9月26日更新

170905_429

 ユネスコの無形文化遺産に登録され、「武家式楽」としての格式を今に伝える「能楽」。その一翼を担う「狂言」は、我が国を代表する伝統芸能の一つで、大蔵流、和泉流の2派によって継承される「狂言」のうち、東京を拠点に活動している大蔵流山本東次郎家の当代・山本東次郎則寿師(昭36卒、69期文)は、昭和30年代に若木が丘で学んだ國學院大學の院友でもある。「狂言は引き算の美学。人間の愚かしい心をギリギリの言葉でお届けする」「今は国文学を守ってくれる大学が少なくなり、それこそ國學院が最後の砦」。狂言方から8人目の人間国宝(院友では3氏)に認定されている山本師は、都内に構える自家の能舞台に本学在校生を招き、「狂言」と「國學院」について大いに語った。

引き算の美学で愚かしい心描く狂言は「人間賛歌」

――――ユネスコの無形文化遺産に登録されている「狂言」とは、どんなものでしょう

山本師 能・狂言には二つの大きな柱があります。一つは「礼節」、つまりお客様に失礼のないように演じること。

 もう一つは「引き算」。狂言は台詞をギリギリに削り込んで「点」で言います。お客様それぞれがご自分の想像力を膨らませて「点」と「点」を「線」につなぎながら観てくださればきっと楽しいものになるでしょう。お客様の知性や感性を信じているので一方的に押しつけるような失礼なことはしないのです。

 和歌・三十一文字、俳句・十七文字にどれだけの思いを込められますか? 日本の文学は言葉を削り込み煎じつめ表現する引き算の美学がありますが、狂言もそれと同じでギリギリの言葉を使っている。だから一字一句聞き漏らしてもらいたくないのです。

 狂言の言葉は能に比べて分かりやすいということになっていましたが、今はそれも理解できなくなっている。そうかといって、現代語を取り入れて演じるのでは古典でなくなります。私はどんなことがあっても不動のものでいたいという思いが強い。伝える努力をし続けなくてはいけないといつも思っていますが、身体は衰えていきますし、ちょっと怠けると声も落ちてくるので、それを保つ努力を常にしていなくてはいけない。

%e2%98%86170827_atari_0177

 狂言には「様式」があります。狂言は人間の愚かしい心を描いているのですが、私が個性的な演技でやったらその愚かしさは私だけのことになってしまいます。「こんな愚かしい心は貴方の中にもあるのでは?」と思っていただくためには、私の身体を透明にしないといけない。そのために「型」で演じるのです。

 

――――狂言の教えで今の学生の伝えたい「慮い」や「標」は

山本師 父の遺訓に「乱れて盛んになるより、むしろ固く守って滅びよ」というものがあります。本来は演じる側の人間である僕らの心の中にしまっておくべきものですが、相撲協会が八百長問題などで揺れた時に(横綱審議委員の)内館牧子さんが「先代東次郎がこんなことを言っている。これこそ相撲協会に必要な言葉」とおっしゃって外に出ました。

演じる者にとって、お客様に笑って頂くことは非常な快感なのです。笑って頂こうと思って過剰な演技をしているうちにどんどん型が崩れていく、それが「乱れ」です。一時的には喜んで頂けても本質ではないのですぐに飽きられ忘れられてしまう。どんなに辛くても観客に媚びず正しく芸を継承していけば、滅びることはないという逆説的な言葉です。

狂言はあえて「事件」を描きません。事件は特別な人の行き過ぎてしまった果ての姿で、観客はそれを対岸の火事のようご覧になる。それでは困るのです。狂言は人間の愚かしい心を芽のような状態で描くのです。芽のような刺激のない状態でゆっくりとお話を聞き、滑稽で愚かしいことを笑っていただく。人間は愚かな心を持ちながら楽しく生きている。そうすれば相手を許すこともできる。もっとゆったりとした心が世の中に広まってくれればいいな、というのが狂言の悲願です。

狂言は喜劇ですが、ストイックなものでもあります。台詞を一息でいうところを三つに区切ると楽ですが、それを一息でいうためストイックに稽古する。「楽をしたら僕でなくなる」と思うから自分を追い詰め、縛るのです。

 

校歌そのものの「渋谷の丘」 学生生活は山とリンクで

 

――――昭和30年代に本学で学生生活を過ごされていますが、在学時の思い出を

山本師 NHKの辺りは何もない丘で、夕日を見ながら青春を語ったりしました。ちょっと行くとワシントンハイツがありましてね。今は代々木公園ですか。プラネタリウムのあったビル(東急文化会館)は僕らが通っている頃にできたのです。今はビルの谷間に隠れてしまっていますが、駅から少し行くと金王八幡宮も見え、なんとなく「渋谷の丘」という感じで校歌そのままでした。ハチ公口の方では恋文横丁とかも行きましたね。今の「109」の辺りですか、道玄坂を上がっていって東急本店の方にちょっといった所に細い道があって、そこに恋文の代筆をする人がいたのですよ。

大学時代はワンダーフォーゲル部に属していたのですが、私が山に行くようになったのは中学の頃で最初は蝶の採集で行ったんです。小学生の頃、夏休みは来る日も来る日も稽古稽古で舞台から見える窓の外にある日カラスアゲハの姿を見つけ、ゆったりと飛ぶ蝶が自由の象徴みたいに見えて憧れたのです。父は稽古は鬼のように厳しかったですけれど、山登りのようにしっかりとした目標を立てて困難に立ち向かっていくことは良いと思っていたようで舞台に支障がなければ許してくれました。

高校の頃は陸上競技をしており、取り壊された国立競技場の前の競技場(明治神宮外苑競技場)で走ったこともあるのです。けれども特別に足が速いわけでもなく、「ただ走るのは面白くない」と思っていた時(昭和29年)に札幌でスピードスケートの世界選手権が開かれて、その様子をニュース映画で見たのですが、つるっつるのリンクを飛鳥のように滑る姿に「あれいいなぁ」と。國學院に入って、当時はスケート部がなかったので同好会を作り、毎年暮れになると合宿にも行きました。冬の何日間かを父の視界から隠れた場所で過ごせるのも嬉しかったですし(笑)。

その頃は舞台を一生懸命やってもうまくいくと「指導が良いから」と父が評価され、うまくいかないと、「あのお父さんの子なのに」と非難される、「こんな間尺に合わない話はない」と。だから自分の力だけでできることを試したいという思いもあったのですよ。(スケートや登山は)すごく苦しいのですが(稽古で)いつも凄くうるさく言われているので、苦しければ「怠けていない」という実感がするのです。本来は怠け者だったと思うのですが、父に怠けるなと徹底的にすり込まれたので、今でも一日何もしないでいると怠けているような罪悪感にかられるのです。

%e2%98%86170829_atari_170

万葉集に始まり、源氏物語は・・・卒業までに読み切れませんでした

 

――――國學院での「学び」はいかがでしたか

山本師 父は明治生まれの能楽師にしては珍しく、東洋大学を出ているのです。「絶対に大学に行った方がいい」といわれ、すぐに思い浮かんだのが國學院でした。私は和歌や古文が好きでしたが語学が苦手だったので、「国語で点数が稼げるかな」とも思いまして。父が「大学ってところはな、勉強しなくても通ってりゃ利口になるんだ」といってくれたので気が楽になりました(笑)。英語やフランス語は単位を落として追試を受けましたけれど、まがりなりにも卒業はいたしました。

他の科目は落としてもしょうがないと思うのですが、国語と国文学は落とすのはイヤでした。その頃一番厳しかった今泉忠義先生は、「今忠は落ちる」という評判だったのですけれど、「これだけは一発で取りたい」と一生懸命勉強しまして、今泉先生は訳をする時に人称をはっきり書くと絶対に通してくれるということに気付きました。それで、その勉強をしたことを覚えています。後は「万葉集」から始まって「源氏物語」は・・・卒業までに読み切れませんでした。能に関するところだけは読みましたけれど(笑)。

何かと誤解を受けている狂言の真の意味や価値をわかってほしいと思って40歳を過ぎた頃「狂言のすすめ」という本を書いたのですが、この時ほど大学へ行っておいてよかったと思ったことはありません。どのように書いたらより良くわかって頂けるか。きちんと項目を立てられたのは、やはり國學院で学ばせてもらったからと思いました。

今は国文学を守ってくれる大学が少なくなっています。それこそ國學院が最後の砦では? 日本文学や古文になじんでいる人も少なくなり、「就職するのに国文学なんて」という話にもなっています。でも、僕は「知的なものの根本は国文学」と教わってきましたので、それがなくなるということは、ものすごく辛いことです。國學院は国文学を大事にしてくださる大学であることがありがたいし、(院友で)よかったなと思っております。

 

たまプラ―ザの狂言鑑賞会は節目の20回。恩返しで大曲を

%e2%98%86170829_atari_394

―――― たまプラーザでの狂言鑑賞会(11月21、22日)が今年で20回を迎えます。特別な演目も用意していただけるということですが

山本師 「花子(はなご)」という曲で「極重習(ごくおもならい)」と呼ばれる最難曲です。「たまプラーザで狂言会ができないだろうか」というお話を頂いて、階段教室に特設舞台を作って頂き、毎年上演させて頂いています。今年ついに20回を迎えることになりました。学生さんがあまり来られないのは残念ですが、近所の方たちがとても楽しみだとおっしゃって毎年おいでになる方も多く、「この曲はどうだろう?」と(難解な曲を)出しても皆さんしっかり観てくださっていたので、私にとっても楽しみなのです。ご恩返しのつもりで大曲を一生懸命やらせていただきます。

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU