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潜って見つけるだけではない、水中考古学がおこなう未知なる挑戦

水中考古学を切り開く ー前編ー

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研究開発推進機構 教授 池田 榮史

2023年8月1日更新

 水中に眠るいわゆる“お宝”は、見つけるのも大変だが、見つけた後もまた大変だ。水中考古学の第一人者である池田榮史・研究開発推進機構教授によるさまざまな挑戦のエピソードに耳を傾けていると、解決しなければいけない課題の多さに驚く。

 多くの人が知る、蒙古襲来という歴史的な出来事。その“伝説”を裏づける、沈没した元軍船が見つかったというニュースはかつて世間を騒がせたが、しかし安易に引き揚げてしまっては、むしろ劣化が進んでしまうというのだ。池田教授はいま、近い将来に訪れるはずの沈没船引き揚げの日に向けて、チャレンジを続けている。

 

 水中考古学とは、水面下にある水中遺跡を調査・研究の対象とする、考古学の一分野です。なかでも、私が2000年代初めから調査・研究に力を注いでいるのは、伊万里湾の一部である長崎県松浦市鷹島南海岸の沖合に位置する「鷹島海底遺跡」です。

 伊万里湾一帯は、蒙古襲来(元寇)の最後の舞台であり、1281年の「弘安の役」の際には総数4400艘とされる元軍船の多くが暴風雨によって沈没したとされる遺跡です。2011年以降にわたしたちが発見した「鷹島一号沈没船」ならびに「鷹島二号沈没船」にかんしては、多くのメディアでニュースにもなったので、ご存じいただいている方もいらっしゃるかもしれません。

 沈没船については後ほど改めて触れますが、現在進行しているのは、2022年10月に引き揚げた、元軍船の「いかり」の保存作業です。この作業は、単にひとつのいかりを保存することだけにかかわるものではありません。将来的に待望されている沈没船の引き揚げを含めて、実は水中考古学の今後を占うものなんですね。わたしも、大きな期待を抱きながら取り組んでいるところです。

 なぜ、「いかり」の保存作業がそこまで重要なのでしょうか。順を追ってお話ししてみたいと思います。

 今回引き揚げて保存を進めているのは、石材と組み合わされた木製の大型いかりでして、これは「鷹島一号沈没船」発見後の周辺調査のなかで2013年に確認していたものです。

 ただ当時は、私たちの調査以前に引き揚げられていた遺物で現地の保存処理装置のスペースが埋まっていたこともあり、私たちでは確実に保存処理を施す段取りがつけられなかったため、この段階で引き揚げないという判断をしました。無理に引き揚げてしまうよりは海底に埋めたままのほうが保存状態は良好ですので、そのままにしておいたのですね。

 2艘の沈没船にしても同様です。海底での埋戻しと保存の仕方にも、実はいろいろと細かな試行錯誤や実践の経緯があるのですが──といいますのも、海底面から露出した木材は、フナクイムシが数年のうちに蚕食(さんしょく)しつくしてしまうのです──、このこともあってわたしたちは、保存処理の段取りがつくまで、沈没船もいかりも引き揚げずにきたわけなんですね。

 そこで2013年以降の年月のなかで、私たちは従来の水中考古学においてなされてきた保存処理方法を見直す研究を進めました。

 これまで木材の保存処理にはポリエチレングリコール(PEG)という保存処理剤が用いられてきたのですが、高分子化合物、つまり非常に複雑な構造をもつ(PEG)は、木材への含浸がなかなか進まないんですね。たとえば、スウェーデン王室軍艦であるバーサ号(1628年沈没)は、1961 年に引き揚げられたのですが、PEGによる保存処理に約30年もかかりました。

 しかも、こうしたPEGを用いた保存処理では長い時間がかかるにもかかわらず、その後劣化してしまうということも、次第に明らかになってきています。わたしたちとしては、木製の大型いかりのみならず、将来的には元軍船を引き揚げ、保存していきたいわけです。これはまずい、そもそもその処理に時間がかかるということはお金もかかるぞ、さらには保存処理しても劣化が進むのであれば、もっといい方法がないのかどうか、保存科学の専門家の方にもご参加いただきながら考えていったんですね。

 そこで見つけた新たな保存処理剤が、トレハロースという天然糖質です。食品業界では長らく使われてきた高級甘味料でしたが、折よく日本の民間企業が人工的に製造できる手法を開発したこともあって、安価に入手・使用できる状況が整ってきていました。こうした状況のなかで、木製の大型いかりだとPEGでは保存処理に10年以上かかるのが、トレハロースを用いれば約2~3年で済む、ということもだんだんわかってきたんですね。

 さらには、PEGであれトレハロースであれ、木材に含浸させるためには溶液の温度をコントロールする必要があるのですが、そのための太陽熱集積保存処理システムも、同じく保存科学の専門家の方の力で完成しました。先ほど保存処理に時間がかかるとお金がかかる、といっていたのは電気を利用するからなのですが、自然エネルギーである太陽熱を用いるシステムが構築されたことで、大幅なコストダウンも可能になったんですね。

 そこでテストとして、以前に鷹島沖で発見されていた元軍船の隔壁板(船内の仕切り板)を使い、松浦市立埋蔵文化財センターでトレハロースによる保存処理を進めてみたところ、処理期間が短縮できるだけでなく、処理後の劣化もなさそうだとわかりました。

 このテストを経ていよいよ、いかりを引き揚げという段階に進んだのです。松浦市では2020年から2021年にかけてクラウドファンディングを実施。目標の1,000万円を超える寄付をいただきました。コロナ禍によってスケジュールはすこし遅れましたが、引き揚げ作業の見学ツアーも実施。交通費などを自己負担してまで現場に駆けつけてくださった寄付者の方々、そしてメディアと、熱気に囲まれながら、いかりの引き揚げは行われました。その後、2023年4月の段階で脱塩処理が終わり、トレハロースによる保存処理が進んでいるところです。

 このいかりの保存処理作業の先に、いよいよ沈没船の引き揚げが待っています。本当に楽しみです。

 では、そもそもなぜわたしは、ここまで水中考古学の世界に深入りすることになったのか。インタビュー後半では、その経緯についてお話ししてみたいと思います。最初はわたしも、海ではなく、「おか」の考古学者だったんですよ(笑)。

 

なぜ水中考古学の世界に深入りすることになったのか、池田榮史教授が語る後編「古墳の研究者が水中遺跡研究のパイオニアとなるまで」はこちらをタップして進んでください。

 

 

池田 榮史

研究分野

日本考古学、水中考古学、博物館学

論文

蒙古襲来と水中考古学(2022/03/31)

日本の水中考古学をめぐる現状と課題(2020/10/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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