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日本語を教えることと、日本語の研究をすること

日本語を言語学的に分析する ー後編ー

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文学部 教授 菊地 康人

2023年6月26日更新

 日本語の仕組みを追いかけてきた人だからこそ、日本語を母語としない留学生にも、その仕組みをうまく伝えることができたのかもしれない。菊地康人・文学部日本文学科教授が誠実な語り口で振り返る自身の歩みからは、日本語学と日本語教育の幸福な関係が見えてくる。

 1980年代から日本社会で急増した留学生たちに、実際に日本語を教えてきた日々。その一方で1990年代半ば、菊地教授が一般向けに執筆した概説書『敬語』は、好評をもって迎えられた。本書を中心にした敬語研究によって、言語学の大家の名を冠した金田一京助博士記念賞を受賞。『敬語』は、その姉妹編である『敬語再入門』とともに後に講談社学術文庫より文庫化され、今に至るまでずっと、敬語に悩む現代人に愛読されている。インタビュー後編では、日本語教育と日本語学という自身の両輪について語ってもらった。

 

 1980年代の後半、私は前任校の大学で、海外からの留学生たちを相手に、日本語教育を担うことになりました。ちょうどその頃は、1983年に当時の中曽根康弘内閣が発表した「留学生受入れ10万人計画」に基づいて、日本に少しずつ留学生がやってくるようになってきていた時期でした。

 日本語学と並行して私が日本語教育をやってみようと思った背景には、こうした世の中の動きとともに、母の存在もあったと思います。実は私の母は昭和20年代から、日本にやって来た宣教師の人たちに日本語を教える仕事をしていました。自宅で個人教授をしている姿を間近で見て育ったもので、日本語教師という仕事に昔から親近感は抱いていたのです。

 もちろん、研究者として駆け出しだった私は、自分は言語学者としてがんばらなきゃという意識もありました。ただ、当時助手として勤めていた大学に、留学生に日本語を教えるセクションができたとき、そちらに移ってやってみてもいいかもしれないと思うようになったのには、母の影響もあったのかなと思います。

 そして実際に教え始めると、面白さがわかってきました。日本語学も続けながらではありますが、日本語教育に一生懸命取り組むようになりました。大学で日本語教育関係の仕事というと、実際に留学生に日本語を教える仕事と、「日本語教育とは」ということを日本人学生に伝える仕事と、2系統あるわけですが、私は前者を最初級から最上級まで、そしてある時期から後者も担当してきました。教員生活のほとんどの期間は本来の専門の言語学の授業も兼担していたので、大変でしたが、いろいろな経験ができてよかったと思っています。

 語学教師の仕事というのは、教科書をごく普通に決まった順番で使って、特に工夫もせず月並みな授業と練習をしている分には、それに慣れてくれば、そんなに大変な仕事ではないともいえます。ただ、それでは学習者はそんなに上達しません。学習者が上手になるように導くというのは、実は大変なことなんですね。それには、教授者はあれこれ欲を出さなければなりません。

 私は初めのうちは正直言ってそこまでの意気込みはなかったんですが、同僚に、そういう意識の高い人がいて、私もその刺激を受けるようになりました。その同僚は、学習者が、あまり長い時間をかけたり、多大な苦労をしたりせずに、できるだけ高いところまで到達できるように、それも、できるだけ自然な日本語を身につけられるように、ということをいつも考えている人でした。アイディア豊かな教育設計をして、それを成功させるセンスの高い人で、自身のアイディアを惜しげなく他の先生方にも伝えて、組織としての教育に貢献してくれました。実は私のかつての教え子でもあったのですが、後年は、彼女から教わることのほうが多くなってしまいました。彼女のほかにも、非常勤の先生方も含めて、教育にディスカッションに日々真剣に取り組むティーチングスタッフに恵まれて、私は前任校のかなり独創的な、良質な日本語教育を創ってくることができました。私自身も授業をしていて、学習者が上達していくのを見るのは愉しかったです。

 研究についても、少し触れましょうね。

 まず、言語学・日本語学のほうでは、敬語を一つの専門にしてきました。学部学生のとき、敬語研究の大家、辻村敏樹先生がたまたまその年度に非常勤として出講なさった授業を受講できたことが、幸運でした。著名な先生が学部生の書いたレポートを真剣にお読みくださって、励ましてくださったことで、私も研究者としてやっていけるのかなという気持ちになりました。その後、辻村先生が出版社から頼まれていた敬語の概説書を、先生のご健康問題を受けて、まだ若輩に近かった私が書くことになりました。それが『敬語』という本です。学術書としての面も啓蒙書としての面ももつように書きました。

 文法関係では、インタビューの前編でも触れた「は」と「が」、「XはYがZ」文をはじめ、いろいろな現象について論文を書いてきましたが、本は書いていないので、敬語の研究者としてしか知られていないみたいなところがあります(笑)。

 ひとつ付け加えておくと、言語学者の仕事について、これは正しい言い方、これは誤り、ということを言うのが、つまり規範を述べるのが仕事なんだろうと思っている方が結構多いみたいなんですが、実は、これは言語学者の中心的な仕事ではないんですね。私はたしかに文化審議会の『敬語の指針』(2007年2月)を作る仕事も、お役に立てるならと引き受けましたが、本来の仕事は、そうではなくて、敬語でも何でも、ことばを観察すればおもしろいことが見つかる。それをさらに分析して、その現象の背後にあるルールや仕組みを見出す。これが言語学者にとっていちばんおもしろい仕事です。

 〇か✕かが問題になるような現象については、〇✕を言う前に、たとえば「させていただく」については、なぜそういう言い方が広まってきたのか、本来はどういう言い方で、それがどう変わりつつあるのか、そこに個人差もあって、〇✕の判断が分かれるのはどんなケースか、といったことを明らかにしていくわけです。敬語一般の歴史的変化の傾向も参照する必要があります。ご関心のある向きは「敬語の現在-敬語史の流れの中で、社会の変化の中で-」(『文学』(隔月刊)9-6、岩波書店、2008年11月)をごらんいただければと思います。

 「ら抜き」についても、どうしてこういう現象が起こるのかを、可能表現の歴史も含めて見て分析すると、「ら抜き」ではなく、実は「ar抜き」と見るべき現象なんですね。そして、これはどうも起こるべくして起こることのようだな、といったことが見えてきます。私も「ら抜き」は個人的にはあまり好きではないけれど、言語学者の目でこの現象を冷静に分析すれば、やがて定着するでしょう。これは他の言語学者も言っています。「ら抜きは嘆かわしい」と触れて回るのが言語学者の仕事ではないんですね。

 日本語教育についての研究は、私の場合、さきほどお話しした、日本語教育をもっとよくするためにという動機からの研究が中心です。日本語学の研究と、日本語教育の経験を踏まえて、それをリンクさせて、日本語教育を改善する設計の提案をする、という趣旨の論文を、3つの学習項目について、最近発表しました。少しでも日本語教育の現場の先生方のお役に立てれば、そしてそれが学習者を益することにつながればという思いで、若いときのようなペースで、立て続けに発表してしまいました。

 3つの学習項目というのは、「は」と「が」、受身、授受動詞(あげる・くれる・もらう)です。

 書誌情報もお伝えしておくと、1つは、「日本語教育における『は』と『が』」(『國學院雑誌』122-10、2021年10月)。2つめは、「日本語教育の受身の指導法改善と、被害の有無の識別法―〈さし向け〉による受身の捉え直しと、その日本語学への提案―」(庵功雄編『日本語受身文の新しい捉え方』くろしお出版、2022年12月)。そして、「文法的な見方を活かす授受動詞の日本語教育設計」(日本語文法学会『日本語文法』23-1、くろしお出版、2023年3月)。あとの2つは、一緒に教育設計をしてきた人との共著論文です。

 「受身」については、教えても学習者が上手に使えないと言って、「受身不要論」を唱える人がいます。でも、そういう白旗をあげる前に「教え方を工夫することで学習者が上手に使えるようになるのでは、それにはどうしたら?」という教育改善の研究をするのが先だと思うんですね。この論文はそういう趣旨のものです。

 また、こうした日本語教育の受身を考える過程で、日本語学にも寄与できるようなことも見出せました。この受身の論文を読んだ日本語学の研究者(日本語教育はそれほど知らない方)で受身についても論文を書いてこられた方が、「日本語教育を通して見ることで、日本語学についても、これほど豊かで深い見方ができるようになるとは!」という感想を送ってくださって、うれしかったです。私自身、日本語教育の経験のおかげで、日本語学者としても成長できたと思っています。日本語学と日本語教育の双方向的なつながり、コラボレーションを創っていきたいと、私は以前から思ってきたのですが、ようやく少しそれができるようになってきたかなといったところです。

 日本語を分析する日本語学。学習者が日本語の仕組みを理解して使えるようになるための方法・設計を考える日本語教育。その双方に、時にコラボさせながら、これからも取り組んでいきたいと思っています。

 

 

 

菊地 康人

論文

文法的な見方を活かす授受動詞の日本語教育設計(2023/03/31)

日本語教育の受身の指導法改善と,被害の有無の識別法-〈さし向け〉による受身の捉え直しと,その日本語学への提案-(2022/12/23)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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