本学は、明治15(1882)年の皇典講究所創設以来140年の歴史を有する大学である。図書館も同じ年数を経て現在に至っている。その蔵書は皇典講究所創設以来脈々と積み重ねられてきた。しかし資料の収集の面において、多くの苦労があった。「大学令」大学昇格時における絶対的な洋書の不足、また太平洋戦争後の学部増設時における社会科学系図書の不足であった。
皇典講究所開設にあたり神道事務局の蔵書が譲り渡された。これが本学図書館の蔵書の源流となる。『皇典講究所第一年報』(同17年5月16日刊)によれば、7坪の文庫が表門の正面にあり、図書係一名が配置されていた。
34年頃には稲村真里(第1期)による目録の編製が行われている。本学は、35年と39年の2度の火災で校舎等を失った。図書館は35年の火災で図書室備付の図書を失うが、書庫部分は被害を受けず、現在でも神道事務局の蔵書印が押された図書が多数見受けられる。39年の火災の後、藤岡継平に図書館主務を委嘱。43年には「和漢図書仮字別目録」が編製された。
9年、澤田が死去すると、進藤譲が専任の図書館長となる。教員系列ではない図書館長は大変珍しいことである。19年、進藤は福岡県立図書館長に転出。その後任には島田春雄(第36期・国文)が就任した。進藤は第23期師範部卒。卒業後は、私立東京中学校、県立熊谷農学校、愛知国学院で教鞭をとる。2年から「國學院雑誌」の編集に従事した。館長就任後は、全国高等諸学校図書館協議会、私立大学図書館協議会に加盟し、大いに活躍をした。
蔵書は年々充実し、加藤孝太郎、江口辰太郎、三矢重松、高橋龍雄等の院友や早川千吉郎、水野忠欵等から寄贈を受け、また佐佐木高行家、八代国治からの寄託も得た。重要文化財である「久我家文書」も戦前に寄託されたものである。学報連載コラム「学問の道」(第46回)