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俳句を詠んでみたい! ではどうするか……。
俳人・堀本裕樹さんにうかがった「作句するということ」

(つながるコトバ VOL.6_後編 )

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俳人 堀本 裕樹さん(平9年卒・105期法)

2023年1月1日更新

「俳句はまず詠んでみることが一歩です」と、初心者をあたたかく励ます堀本さん。

 俳人、それは俳句を詠む人。人はいかにして俳人になるのか、前編は俳句の世界で活躍する堀本裕樹さんに俳人となるまでのドラマのような来歴についてうかがった。

 後編の今回は、俳句という文芸表現の魅力や「自分も俳句を詠んでみたい」と思った人へのアドバイス、制作への向き合い方についてお話をうかがってみた。堀本さんは俳句に興味を持った人たちへの働きかけも幅広く行っているからだ。記事を読んだあと、ぜひ一句取り組んでみてほしい。

 

初心者はまず「五七五」と「季語」を意識しよう

 俳句を作ってみようと初心者が思ったとき、最初につまずくのは「いろいろ決まりごとがありそうで難しそう」という点ではないだろうか。ところが、堀本さんはこう言った。

 「僕は、基本的に俳句ってスポーツみたいに厳格なルールはないものと思っているんです。まずは俳句の世界に飛び込んで、一句作ってみてほしい。そのときに気をつけたいのは2つだけ。五七五で詠むことと、季語を1つ入れることです」

 なるほど。しかし「では」とはりきって作ってみたものの、できた句が果たしてこれは俳句なのか?……という悩みもまた、初心者にはありがちだ。有名な俳人の句も、見たままを表現しているように思えるけど、自分の拙い句とどう違うのか? 最初のうちはその違いさえもよく分からない。

 「そうですね、その悩みは初心者ならだれしも感じることだと思います。そこは経験を積むことがいちばん大事なのですが、できれば句会に参加するのがいいと思うんですよ」

 句会! 何か、ハードルの高そうな言葉が出てきた。

 句会とは何か。句会とは、複数の人が集まって各自が句を提出して発表する場。無記名で作品を選び合い、読み合い、感想を言い合い、批評し合う集まりだという。これまた、初心者は怖気づいてしまいそうな集まりである。だいたい句会はどこで開かれているのだろうか。

 ……というのは俳句に縁のない人が思うことで、ネットで自分の住んでいる場所と句会をかけ合わせて検索してみてほしい。いくつものサークルが見つかり、またサイトを見てみるとたいていが初心者歓迎と書かれているはずだ。

 「一人で句を作り続けても、どこがいいのか悪いのか分からないし、だんだん行き詰まって鬱々としてしまう。他人の客観的な評価は、句を磨く上で大事ですね。それに、句会って、共感の場でもあるんです。自分の句について『この句、いいね』とか『この句の気持ち、分かる』と感想をもらえると、その方と共感できて心が開放されるし、癒やされたりします。単純に批評し合ったり、うまくなるためだけではなく、人に句を見てもらうっていうのはそういう点からも大切だと思いますね」

「いるか句会」の様子

 句会は、多様な年代、経歴、職種の人が集まっているので、とても刺激的だ。俳句について語るのが中心なので、話題作りに悩むこともない。思いがけないコミュニケーションが生まれるかもしれない。

 また、前編で話に出たように、人前で自分の句について説明し、共感を得る行為はある意味プレゼンテーション力を磨くことにもなる。

 人前で句を発表するのはハードルが高いと感じる場合は、新聞や雑誌への投稿、またTwitterでの投稿で反応を見るのも良いのではと堀本さんは言う。

 「俳句を匿名で投稿できるアプリもあるらしいですね。対面での講評にハードルを感じている人にはいいんじゃないでしょうか」

 

語彙をどう増やすか

 もう1つ大きな問題がある。俳句は十七音という短い詩である以上、一文字も無駄にできない。1つの単語で無限の想像が広がる言葉を精査しなくてはならない。しかし、そのためにはたくさんの言葉や表現を知る必要がある。脳内の引き出しにたくさんの語彙が詰まっていればいるほど、極端な話、20文字ぐらい、あるいは400文字ぐらい費やして書く言葉を、2文字の単語に言い換えることもできる。

 とはいえ、現代人はたくさんの微妙な感情を1つの言葉ですませていることが多い。たとえば、驚いても危なくても素晴らしくいいと思っても全部「ヤバい」で表わしたりしていないだろうか?

 「よく言うんですが、作句で大事なのは『詠むことと読むこと』。詠むは俳句を作ること。やはり作句を重ねてこそ見えてくるものってあるんです。読むはたくさんの言葉、文章に触れること。心惹かれる文章を見つけたら、俳句でも、小説でもエッセイでもなんでもいいから読むこと。いつも『ヤバい』で終わらせていた気持ちを、作家はどう表現しているか。読めば読むほど『なるほど』と思うことが増え、語彙や表現力が増えていくはずです」

「名句の解釈も、解説本や世の中の評価に必ずしも忠実に読まなければいけないというルールはないんです。自由に解釈していいんですよ。それも俳句の楽しみの1つです」

 作句に必須の『歳時記』もまた、語彙や表現、そして日本語の美しさを再認識させてくれる。『歳時記』とは春夏秋冬に新年を加えた5つの分類それぞれの季語と解説、その傍題、例句が掲載されている本だ。傍題というのは、季語のバリエーションであり、たとえば冬の季語である「雪達磨」の傍題は「雪仏」「雪布袋」「雪兎」「雪釣」である。

 歳時記には日本の自然の美しさや繊細さ、多種多様な季節の言葉がいっぱい詰まっている。「あの現象を言い表すのにこんな言葉があったんだ」と感動すらしてしまう。

 たとえば、春の日差しいっぱいの日にサーっときらめくように吹く風を「風光る」、冬に静まりかえっている山を「山眠る」、そして春になり緑が少しずつ戻り明るくなってきた山を「山笑ふ」、秋の夜の澄んだ空気の中で輝く美しい星々の空を「星月夜」と表わすなどなど……。なんと感受性と美しさのある言葉だろうか。

 「最初は過去の名句を読んでも、どれが季語 か分からないかもしれませんが、歳時記を手元に置いて読み込んでいくと、句の奥深さが分かってくると同時に、作句するときもさまざまな思いを一語に託すことができてくると思います」

 堀本さんの第二句集『一粟いちぞく』の表紙にも掲載されているこの一句。

蒼海の一粟の上や鳥渡る

 “蒼海の一粟”は故事成語で、「大海原に浮かぶ一粒の粟。人間の存在は、広大な宇宙から見れば非常に小さいものであるというたとえ(「デジタル大辞泉」より)という意味だ。この言葉だけでもたった9文字でここまで深い意味があるのかと驚かされる。

 大海原を漂う、ちっぽけな、粟のひと粒、ぐっとフォーカスするとそれは一人の人間の姿でもある。人生という海で波にもまれ、なすすべもなく漂っているその上を、鳥が渡っていく様子が、まるで大気圏から俯瞰したような視点で迫ってくる。まさに、わずか十七音で人間のはかなさも感じ、真っ青で大きくうねる広大な海のビジュアルも浮かんでくる(俳句の解釈はライター個人によるもの)。

 これが、俳句の魅力ではないだろうか。

これから俳句を作ってみたいという初心者の方は、又吉直樹さんとの共著『芸人と俳人』(集英社文庫、2018年)を参考にしてみてください。初心者が感じる疑問をうまくすくい取る又吉さんと、それに応えてゆく堀本さんとの親密な対談は導きになるはずです。

口語ならば作句は易しいか?

 しかし、初心者にとってのハードルはまだある。「や」「かな」「けり」に代表される“切れ字”だ。誰もが聞いた覚えがあるであろう、

閑さや岩にしみ入る蟬の声(松尾芭蕉)

 この句の「や」、または

春の海ひねもすのたりのたりかな(与謝蕪村)

 この句の「かな」、これらが切れ字だ。

 初めて俳句を作るときに切れ字をすんなり入れることができるだろうか? たいがいの人は「通ぶってる感じがして恥ずかしい」とか「古くさく感じる」などといって、うまく使えないのではないだろうか。俳句を作るときには絶対に必要な技法なのだろうか。

 「そんなことはなくて、いろいろな表現の仕方があるので、切れ字がない俳句もたくさんあります。僕自身は有季定型、五七五の定形でしかも文語で作句しているので使いますけれど、最初に作句した頃はやはりうまく使えているのかよく分からなくて『これで正しいのかな?』と手探りで作っていました。しかしこれも数をこなすことが重要で、作句を重ねると同時にいろいろな作品を読んでいると、徐々に『この切れ字は効いているな』とか『これは効いていない』と判断できるようになってきます。

 切れ字は詠嘆や省略、格調などの意味合いがあります。作句するときに使い続けていると、日本人のDNAレベルで古代的な言葉の力、言霊が蘇ってくるような心持ちになり、違和感なく使えるときがきます。最初は見様見真似で大丈夫。一応、切れ字は一句の中に複数使わないほうがいいなどありますが、使い続けるとその辺りも身につきますし、切れ字の効果が分かってきます」

 ちょっとホッとするような言葉をいただいた。しかし、それでも抵抗があるという場合、もっと普段話しているように(俵万智さんが短歌の世界に現れたときに「口語短歌」と言われたように)口語で俳句を作るほうが違和感なく、容易に作れるのではないだろうか?

 「うーん、それはどうかなと思いますね。たとえば、俳人の池田澄子さんの代表句に、こんな作品があります。

じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

 この句には、口語で簡単に語られているように見えて、その奥には仏教の輪廻転生の思想が感じられます。もしくは読みようによっては輪廻転生を否定しているようにも見える。「じゃんけんで負けて」ですからね。輪廻転生っていっても、実際には人間がまた人間に生まれ変わったり、あるいは蛍に生まれ変わったりしているのかは誰にも分からない。だけど仏教では厳然とその思想があります。それを口語で言われると、軽やかさの中に逆に深みを感じませんか?

 おそらく、作者はこの句の形に行き着くまでにはどの言葉をどう使うか、どのように言葉を響かせるかなど、徹底的な推敲を行ったと思います。だから普段使っている口語こそ、作品化するのは難しいのではと思いますね」

池田澄子さんの句集を手に、口語と俳句の関係について解説してくださった。

 なるほど、まず五七五、そして季語1つ。「習うより慣れよ」。それが一歩ということだ。俳句の基本的なことは作句する中で吸収していけばいいのだ。

 「俳句を作ろうと思うと、今まで見ていた景色が違って見えてくるはずです。ぜひ、まず一句詠んでみてください。もし、誰かに句の感想を聞いてみたいと思ったら、僕が主宰している『蒼海俳句会』も初心者に門戸を開いていますから、まずはホームページを覗いてみてくださいね」

 俳句は、毎日を生き生きさせてくれる。お話をうかがってそう感じた。

「俳句を始めると日常が違って見えてきます」と堀本さん。確かに、木立の輝きや吹いてくる風も、句にしようと思うとよく観察するせいか、今まで気が付かなかった美しさにハッとさせられる。

 

堀本裕樹(ほりもと・ゆうき)

1974年和歌山県生まれ。國學院大學卒業。俳句結社「河」の編集長を3年務め、在籍中に河賞、銀河賞、角川春樹賞を受賞。2010年に独立。第2回北斗賞、第36回俳人協会新人賞(第一句集『熊野曼陀羅』で受賞)、第11回日本詩歌句随筆評論大賞、和歌山県文化奨励賞など数々の賞を得る。2018年に俳句結社「蒼海」を立ち上げ主宰となる。句集に『熊野曼陀羅』、『一粟』のほか、著作に『俳句の図書室』(角川文庫)、『散歩が楽しくなる俳句手帳』(東京書籍)、『芸人と俳人』(集英社文庫・又吉直樹との共著)、『五七五で毎日が変わる! 俳句入門』(朝日新聞出版)、小説に『桜木杏、俳句はじめてみました』(幻冬舎文庫)ほか。2022年度の『NHK俳句』選者も務める。

堀本裕樹オフィシャルサイト

 

取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

 

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