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人はなぜ俳人になるのか?
――大河ドラマ的人生から俳人への軌跡・堀本裕樹さん

(つながるコトバ VOL.6_前編 )

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俳人 堀本 裕樹さん(平9年卒・105期法)

2023年1月1日更新

 俳句に注目が集まっている。バラエティ番組で俳句が取り上げられ人気を博しているし、その影響でおずおずと俳句をひねってみた人が、改めて日本語表現の美しさに気がついたり、毎日の通勤路の自然に目を向けるようになり、生活がイキイキしてきたという話も聞く。

 そこで今回は、テレビ番組『NHK俳句』の選者としても知られる俳人・堀本裕樹さんに俳句の魅力や、初心者が俳句を作るときの心得などについてお話を伺った。同時に、堀本さんがどのような経緯で俳人になったのかについてもうかがった。前後編でご紹介していきたい。

 

最初に目指したのは小説家だった

 堀本裕樹さんは、かなりの紆余曲折を経て俳人となっている。そもそも、最初は小説家を目指していたそうだ。

 「俳句に出会ったのは國學院大學に入学して、國大俳句(俳句サークル)に参加してからです。そもそもは散文である小説のために、韻文である俳句の力を磨こうと思ったんです。夏目漱石、芥川龍之介、泉鏡花をはじめ、文豪でありながら素晴らしい俳句を残している作家はたくさんいるので、小説のために始めたというのが動機でした。

 國大俳句の顧問は鎌田東二先生といい、哲学者であり宗教学者である方でした。現在は京都大学の名誉教授になっておられます。僕自身がすごく影響を受けた同郷の作家・中上健次さんとの対談集『言霊の天地』も出されており、ぜひお会いしたいという気持ちもあっての参加でした。

 しかし、大学時代にはほとんど俳句創作をしませんでしたね。國大俳句には合宿があるのですが、画家の横尾龍彦先生の別荘で、当時、鎌田先生はよくお酒を飲まれる時期だったこともあって、朝からビールを飲まされていました(笑)」

 文芸部にも所属していたが、そこでも激しく創作したというよりは、本を読んでいるほうが多かった。同じように法学部で文芸部にも所属していた友人と文学談義をしたり、下宿先で二人何も語らず、でも一緒にいて本を読んだりしていた。

 卒業時は、出版社の編集者を目指したが希望が叶わず、その後しばらくは迷走とも言える時期を過ごした。古書店や遺跡発掘のバイトをしたかと思うと「やはり就職しよう」と、出版社に入って営業職に就く。かと思うと、退職して地元・和歌山に戻り、ぶどう農園でバイトしながらぶどうを路上販売したり、スーパーでバイトをしたりした。

 それでも、創作への気持ちはゆらがなかった。雑誌投稿や賞への応募を続け、短歌では『短歌研究新人賞』で佳作を得て、俳句でもいくつか予選通過するなどの成果を出し始めていたという。

 「小説、短歌、俳句、どれも創作して賞に応募していましたが、俳句の入選率がほかの文芸よりも良かったんです。その結果、俳句を自分の表現として選び取っていったと言えるでしょうね」

「80歳まで俳人でいられたら、この迷走の時代を大河ドラマにでもしてほしいぐらい、いろいろな経験をして、いろいろな人に出会いました」

 堀本さん自身は淡々と語るが、お笑い芸人であり芥川賞作家の又吉直樹さんとの共著『芸人と俳人』(集英社)では、

 「(略)俳句に比べて小説のほうがずっと上だ、たった十七音で何が伝えられるんだと、僕は俳句を小バカにしていたんです。(略)でも、俳句を作り続けるにつれて、また、名句、秀句にたくさん触れることで、奥深さに魅了され、だんだん俳句に対する考え方が変わってきたんですよ」

 と語っているから、やはり「俳句が自分の表現手段だ」と強く思う瞬間があったのだろう。

 

迷走の日々の中生まれた会心の一句

 そして、「これでようやく1つ、自分の世界が作れた」と手応えを感じる句が生まれた。それは、迷走の日々のさなかだった。

那智の滝われ一滴のしづくなり

 「25歳ぐらいのときに詠んだ句です。この句はたくさんの方からの評価をいただきました。僕の故郷は和歌山で、両親は熊野本宮の出身です。世界文化遺産である熊野参詣道の土地で、那智の滝は御神体の一つです。那智の滝って、ものすごく高さがあるし、水量もとても多く、見ていると圧倒されるんですね。じっと見続けていると、滝と一体になってくるような感覚もあるし、同時に跳ね飛ばされそうな、畏怖のようなものも感じて、そのときに『ああ、自分は本当に小さい存在だ……。那智の滝のまさに一滴にしか過ぎない』と思ったんです。

 これは那智の滝を実際に目の前にしたからこその、小さい存在である自己を見つめ直すような思いをやっと表現できたと思えた一句です。この句は第一句集『熊野曼陀羅』に収めています」

 

『熊野曼陀羅』は、第36回俳人協会新人賞を受賞した。

堀本裕樹著『熊野曼陀羅』(文學の森、2012年) ふるさと熊野を詠んだ『熊野曼陀羅』は、故郷への熱い思いが織り込まれた句集。読む人は否応なく熊野の森に迷い込んでしまうような思いになる。

 そしてもう一度、東京で自分の信念に従おうと決心し、再上京。この頃の気持ちを、『芸人と俳人』のなかでこう語っている。

 「僕は、自分には言葉しかないというその妄信で進んできたんです。」

 当初、六本木ヒルズにあった会社でライターおよびコピーライターとして働いたりしたのち、角川春樹さん率いる俳句結社「河」に所属することとなった。ここで俳句に全注力する日々がやってきたのだ。角川主宰の弟子として、俳人として、さらに俳誌『河』の編集長として5年にわたり在籍。あまりにも濃い日々が続いた。だが「自分自身の俳句の方向性を極めてみたい」という思いで平成22(2010)年に結社を退会、編集職も辞すことになった。俳句を発表する場も仕事もなくなって裸一貫のスタートである。

 ここで思いがけない方向から声がかかる。現在、堀本さんをマネジメントしている広告代理店の取締役であり担当者は、大学時代に文学論を戦わせたり、下宿で一緒に読書したりした、あの友人(渡部充紀さん)なのだが、その渡部さんから連絡が来たのだ。

 渡部さんは大学卒業後、出版社に勤務していた。堀本さんがいつか小説家になると確信していたので、そのときは自分の会社で出版したいと願い、折りに触れ連絡をとっていた。堀本さんが独立したと聞いたとき、

 「結社『河』在籍中に数々の賞を取り、俳人として実績を積み上げている彼がここで終わるのはもったいない」と強く思ったという。渡部さん自身も出版社を辞めて広告代理店を立ち上げるなど変化があり「俳人としての堀本裕樹をプロデュースできないだろうか」と考えたのだ。

 こうして心強い相棒を得た堀本さんは、俳人として継続的かつインパクトのある仕事を取るために、渡部さんと二人で鳩首会議を繰り返し「俳句で何ができるか?」とアイディア出しを続けた。

 「私(渡部)の会社は経済誌やビジネス誌につながりを持っていました。そこで『日経ビジネスアソシエ』に“俳句はビジネスマンのコミュニケーションスキルをアップさせる”という企画を持っていったんです。俳句はいわばコピーを作るような脳を使うし、それをみんなの前で披露するわけですからプレゼンテーション力も必要。さらに、共感をどう集めるかという力も必要。言葉の力で研鑽を続けたら、ビジネススキルがものすごく向上するのでは? と考えたのです。

 そうしたら副編集長が『ちょうど俳句の企画をやろうと思ってたんですよ』と言うじゃないですか。トントンと話が進み、単発ではなく連載という形で仕事ができることになったんです」(渡部さん)

 編集部では先行して文筆家の千野帽子さんの起用を検討していて「だったら2人が選者となり、雑誌とWEBでビジネスマンから俳句を募って講評する形にしよう」と話が決まった。

 「千野帽子さんとの出会いは大きかったですね。その後、2011年から始まった公開句会『東京マッハ』を開催することにもつながったし、『東京マッハ』をやることで、芥川賞作家の長嶋有さんや、ゲーム作家の米光一成さんとも出会うことができました」

 そしてこの頃、もう一つ大きな成果があった。初の著作となる『十七音の海 俳句という詩にめぐり逢う』(カンゼン)※1の出版だ。※1 現在は『俳句の図書室』と改題し、角川文庫より出版されている。

 「渡部も『とにかく1冊本を出そう、絶対に名刺代わりになるから』と言うので、1年かけて必死の思いでコツコツと書き下ろしてできたのがこの本です。かなりしんどかったですが、話していた通りこの本が名刺代わりになって活動が広がっていきました。自分としても書き上げた達成感があって、本が俳人人生のスタートを後押ししてくれました」

 こうして、1つ1つの活動が次につながっていき、『NHK俳句』の選者としての出演はじめ、各種メディアに登場、大学での非常勤講師やカルチャーセンターでの講師などに加え、数多くの句会を主催するなど俳句の奥深さ、おもしろさを広く伝える活動をするとともに、令和4(2022)年には2冊めの句集『一粟いちぞく』(駿河台出版社)を出すなど着実に俳人としての歩みを重ねてきた。穏やかな口調や外観からは見えてこない、創作への熱い思いがこうして結実していったのである。

 

俳句を立体的に感じてもらうコラボもやってみたい

 これから、新しく手掛けたい活動などはあるのだろうか。

 「一つは、さまざまな異ジャンルの方とのコラボレーションですね。違う世界の方にあって、俳句のことを伝えたり、俳句を作ってもらったりしてみたい。僕一人で俳句のことを伝えるのもいいんですが、ほかのジャンルの方と話すことで『他の世界からは俳句はそんなふうに見えているんだ』という刺激をいただくことも多いので、それを読者や視聴者が見ると、俳句の世界がまた立体的に見えてくるし、豊かさが伝わるのではと思っています」

 すでに歌人の穂村弘さんと共著書『短歌と俳句の五十番勝負』(新潮文庫)を出版もしている。またテレビ番組『NHK俳句』では、

夕立来るおとやほどなく音の中

 という自句を堀本さんが朗読して、ジャズピアニストの山中千尋さんが即興で音楽を奏でたことがあり、その旋律から堀本さん自身も「句を理解する手助けになるようなピアノの響きであり、激しく煌く雨音に聴こえた」と感動したという。

 とすると、今後、俳句と音楽のインスタレーションや俳句と絵のライブペインティングなどもありうる!? 

 さて、日本人にとって知ってはいるけれど遠かった俳句という文芸が、身近に感じられてきたのではないだろうか? となると「自分も俳句を詠んでみたい!」という気持ちが湧いてくる。そこで次回は、超初心者向けに俳句を詠むときのヒントを堀本さんからうかがってみたい。

 

撮影は大磯で行われた。「僕自身、湘南に住んでいるので、毎日この海を眺めているんですよ」と、窓外の海に目を向けた。

 

堀本裕樹(ほりもと・ゆうき)

1974年和歌山県生まれ。國學院大學卒業。俳句結社「河」の編集長を3年務め、在籍中に河賞、銀河賞、角川春樹賞を受賞。2010年に独立。第2回北斗賞、第36回俳人協会新人賞(第一句集『熊野曼陀羅』で受賞)、第11回日本詩歌句随筆評論大賞、和歌山県文化奨励賞など数々の賞を得る。2018年に俳句結社「蒼海」を立ち上げ主宰となる。句集に『熊野曼陀羅』、『一粟』のほか、著作に『俳句の図書室』(角川文庫)、『散歩が楽しくなる俳句手帳』(東京書籍)、『芸人と俳人』(集英社文庫・又吉直樹との共著)、『五七五で毎日が変わる! 俳句入門』(朝日新聞出版)、小説に『桜木杏、俳句はじめてみました』(幻冬舎文庫)ほか。2022年度の『NHK俳句』選者も務める。

堀本裕樹オフィシャルサイト

 

取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

 

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俳句を詠んでみたい! ではどうするか……。

 

 

 

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