近くて遠い? 遠くて近い? そんな親の気持ちや大学生の子どもの気持ちを考えます。
「支持待ち」世代
「支持待ち世代」というのは、「指示待ち世代」の間違いではないのか。そんな読者の声が聞こえそうです。しかし、今の学生たちは、保護者世代以上に、他者から承認されること、誰からか自分を支持してくれることを求めているのです。
こうした「支持」への欲求を諦めたふりをする学生も見受けられます。しかし、多くの若者は、とりわけ個人主義的競争社会の中で、どちらかと言えば犠牲になった子どもでもあるのです。
人間開発学部の必須科目「教育の原理」の最初の授業で、自分の過去の「振り返り」を求める課題を出しました。次は、その回答の一つです。
「いじめ、いじめと社会は問題にしていますが、私たちこそ、日本の競争的学歴主義の中でいじめられてきたのです」
「先生、ありがとう・・・」
ある男子学生は、授業中、私から出された質問にうまく回答できませんでした。
そこで、「そうだよな。これは重い質問だから、そう簡単には答えられないよな」と返したところ、一筋の涙。そして、笑顔を返して、「先生、ありがとうございます」と、涙声。
過去には、教師に認められるということは、ほとんど無かったとつぶやきました。
彼は、誰もが持つ社会的欲求の一つ「社会的承認」、すなわち周囲から「支持」を受けることに飢え、また、それを渇望していたのです。
「誰かが上がれば、誰かが落ちる」
本学入学課の依頼で訪問した「出前講座(模擬授業)」先の高校で、潜在的能力を引き出す「人間開発」の意味と方法に関する講話をしました。その後、生徒と一緒に講話を聞いてくれていた担当教師が告白してくれました。
ある時、「光が当たるのは、この中の上位3分の1の成績の子だけだ。残りは光が当たらない」と檄を飛ばしたそうです。
教師自身は、受験に向けて励ますつもりだったのです。ですが、一人の女子生徒が言い放ったそうです。
「でも、誰かが上に上がれば、誰かが下に落ちて、光が当たらなくなるのでしょう。」
「損在」感
中学2年生を対象に自己肯定と自己否定と学習成績との相関を調べる「自己認識調査」を実施しました。仮説では、“学習成績と自己肯定感とは正の相関関係”でした。
しかし、結果はそうなりませんでした。5段階評価法で言えば「3」の中位の生徒が、一番自己否定的だったのです。皮肉なことに、むしろ成績が下位の「2」や「1」の生徒の方が、自己肯定感が上がっていたのです。
本調査で「自己肯定」とは、「親が(先生が)話を聞いてくれる」「親が(先生が)期待してくれている」など、17項目です。「自己否定」の場合は、それらが「いいえ」です。
「『普通の子(日本の標準的な子)』がキレる」という言葉が浮かんできました。筆者は、彼らの抱えるこの心境を「損在感」と概念化しました。
筆者も関わった2007年版『中央教育審議会報告書』においても、官公庁関連の出版物ではこれまで使われない言葉が使われました。
それは、「自分への自信の喪失」、「閉じた個」といった、主情的、情感的な言葉です。
この種の行政報告書では、行政用語や法的に規制された言葉しか使用されないのが通例なのです。
ではなぜ、その慣例を破ったのか。
それは、連帯の中で本来「開かれた個」であるべき子どもたちが、「自分への自信」を喪失し、その資質や能力が「人間開発」されず、「閉じた個」になっているという、逃れることができない厳しい教育の実態があるからです。
「尊在」感づくりを
このような過酷な状況下で、掛け替えのない大切な存在であるという「尊在感」を求めて、本学に入学した学生も少なくないのです。
前回(5月)、このコーナーで「学修時代の学び~0からの出発~」を提唱したのも、本学にも受験体制で傷ついて来た「支持待ち」学生が少なくないからです。
マスコミでも取り上げられているように、コロナ禍にあって学生は今、親子対話による心のケアを必要としています。
だが、そのネックになっている壁が、「このおもい」がわからないという親御さんの不安です。そうした壁を少しでも取り除きたいと、このコーナーは企画されました。
次回(9月)は、「尊在感づくり」について、述べましょう。
新富 康央(しんとみ やすひさ) 國學院大學名誉教授/法人参与・法人特別参事 |
学報掲載コラム「おやごころ このおもい」第12回