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謎多き坂東武者、
那須与一の素顔に迫る【後編】

野中哲照 文学部教授が読み解く平家物語の世界

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文学部 教授 野中 哲照

2022年7月20日更新

 平家物語の有名な章段「扇の的」で活躍する那須与一。文学部の野中哲照教授が紐解き、与一は実在しないが那須光助というモデルがいて、与一の存在には「反鎌倉・反体制」のメッセージが込められていることを前編で紹介した。後編では「扇の的」の意味や、野中教授流の軍記物語の楽しみ方を紹介する。

 

いくさ占いの意味があった「扇の的」

 野中教授は「扇の的」には興味深い点が複数あると指摘する。その1つが、平家はどんな意図で「扇の的」を出したのかという点だ。野中教授は「いくさ占いのために出されたものだと考えられる」とみる。そう考えられる根拠になるのが「扇の的」のそばに立つ女房の装束と、扇の色柄だ。女房の装束は上がほぼ白、下が赤に見える衣装で、今の巫女のようなイメージである。扇の色柄も一般的な宮廷女房の持つものではなく、赤地に金箔の日輪を押したもので年始の祝儀など神事で用いられるもの。「巫女のような格好をした女房が、神事でしか用いられない扇を出している。戦場であること、源平が対峙している局面であることを考えると扇の的がいくさ占いであることは明らか」(野中教授)

 那須与一が扇の的を射るために使う鏑矢(かぶらや)も、神事で用いるものだ。戦で使われる征矢(そや)に比べ、鏑矢は先端に重心が偏り、横風の影響を受けやすいという不利な点がある。不利な鏑矢を用いなければならなかったのはいくさ占いだったからだ。

 「この意味が分かることで、読み手は与一が追い込まれた切迫感やプレッシャーを受け止めることができる。与一が『扇の的』を射たからこそ、源氏がいくさ神の加護を引き寄せ、源平合戦で勝利したのだという重要なメッセージを受け取ることができる」(野中教授)

 

敵の平家が与一の射扇を称えたのは3回揺さぶる構造のため

 野中教授は「那須与一は対読者意識の強い物語で、読者に緊張をしいて、緩ませる、また緊張をしいて、緩ませるという読者心理を3回揺さぶる構造になっている。物語の最後に緊張状態から読者を解放する必要があった」と解説する。敵である平家が与一を称えるのは内部論理としては不自然だが、「源氏神話」として成り立たされるために、平家にも祝祭に参加させているのだ。野中教授は「読者を幸せな気分にする(解放)ため」と話す。

 

ドラマと同じ「V字型」で、軍記物語は楽しめる

 野中教授が軍記物語の研究の道を志したのは、早稲田大学時代に、国文学者の梶原正昭・名誉教授(故人)に師事したことがきっかけだという。梶原氏の平家物語の章段を解説する講義は、多くの学生を引き付け、感動し涙する学生もいたほどだった。「2年続けて同じ講義を受けても、そのたびごとに気付きのある名講義だった。国文学の研究の道に進みたいと思うきっかけになった」(野中教授)。大学院の博士課程でも梶原氏の研究室に助手として在籍した。

 軍記物語の楽しさはどんな点にあるのか。軍記物語も映画やドラマと同じで日常の中で事件やトラブルが起こり底まで落ちて(刺激)、その後、解決する(安定)という「V字型」の展開が多く、ハラハラしながらストーリーを追える楽しみ方があるという。新著「那須与一の謎を解く」には一般の人にも読んでもらいたいという思いで、イラストや図表を多くつけて、分かりやすい構成にしている。

 野中教授は「軍事が好きだから軍記物語を研究していると思わることがあるが、それは違う。平家物語は人の情けやいくさの異常性について描かれている部分がたくさんある。平和について考えるために軍記物語を研究しています」と締めくくった。

 

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野中教授が実在性を検証「那須与一は実在しないがモデルはいた」

野中 哲照

研究分野

日本中世文学

論文

「『陸奥話記』の原型としての『奥州合戦記』」(2015/03/01)

「『陸奥話記』の形成過程論のための前提――『扶桑略記』『今昔物語集』との関わりから――」(2014/12/01)

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