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謎多き坂東武者、
那須与一の素顔に迫る【前編】

野中哲照 文学部教授が読み解く平家物語の世界

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文学部 教授 野中哲照

2022年7月20日更新

 

 平家物語の章段「扇の的」に登場する武将で、弓矢の名手として知られる那須与一(なすのよいち)だが、詳しい人物像をご存知だろうか。「扇の的」は源平合戦の時代、香川県高松市の屋島で平家方が差し出した扇の的を源氏方武将の那須与一が見事射ぬいたというストーリーで、中学校の教科書に採録されるほど有名な章段だ。

 だが、これほど有名であるにもかかわらず、那須与一の人物像については知られていない。「那須与一は実在しないがモデルはいた」――。那須与一の謎をひも解き、新たな解釈を加えた國學院大學文学部の野中哲照(てっしょう)教授(日本中世文学、軍記物語)が、那須家の系図の分析などから与一の実在性を検証した。さらに与一の出身地から物語に込められたメッセージについても考察した。前後編で紹介する。

 

那須与一は存在しなかった? 

  まずは平家物語の章段の1つである「扇の的」のあらすじを紹介したい。

 平家方と源氏方の屋島でのいくさは、決着がつかないうちに日没を迎えた。義経が撤退しようとしたその時、沖のほうから立派に飾った小船が漕ぎよせてきて、平家の女房が扇を舟の上に立て、手招いた。義経は、那須与一に掲げられた的を射落とすように命じる。与一は鏑矢を取って弓につがえ、那須温泉大明神(那須温泉神社)に必中を祈念し、十分に引き絞ってから射放した。鏑矢は扇のかなめの際から1寸(約3センチ)くらい上を射切った。扇は空へ舞い上がり、春風にもまれて海に入った。沖では平家方が船端を叩いて感嘆し、陸では源氏方が箙(えびら)を叩いてどよめいた――。

 160~190もの章段がある平家物語の中でも特に有名な「扇の的」で活躍する那須与一だが、その素顔は意外と知られていない。どんな人物だったのか。那須与一は実在の人物なのだろうか。「那須与一は実在しないが、モデルはいた」。これが野中教授の見解だ。こう結論づける材料になったのが那須氏の系図「群書類従 那須系図」と「玉燭宝典 那須系図」の分析だ。系図では与一とその子ども、2代続けて実子がなく、養子でつないでいる。「他に血縁がある兄弟がいるにもかかわらず、血縁のない養子をもらい、跡継ぎにさせている系図に不自然さがある」(野中教授)。「玉燭宝典 那須系図」にも与一の名前はないという。

 与一のモデルは誰か。野中教授は那須光助の名を挙げる。光助は建久4年(1193年)、源頼朝が那須野で狩りをした時に、現地(栃木県大田原市)での案内役として活躍した弓馬が堪能な武将だ。鎌倉時代に成立した「吾妻鏡」には源頼朝が那須野で狩りを催した時に、光助が案内役を務めたことが記されている。野中教授は「光助は大田原市北金丸あたりの出身で、壮年後、那珂川水系の一級河川である箒川の流域に拠点を移したとみられる。宇都宮氏、小山氏といった周辺の大名とは違い、必死に豊かになろうとした開拓領主だったのではないか」と語る。

 

那須与一に込められた坂東武者たちのヒエラルキー

 さらに、野中教授は「与一には『反鎌倉・反体制』のメッセージが込められている」とみる。その根拠となるのが、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場する坂東武者たちのヒエラルキーだ。

 坂東武者とは、京の都からみて東に位置する坂東八か国、今の関東生まれの武士を指すが、実際には、中核をなす相模国(神奈川)、武蔵国(東京および埼玉)の武士に、その外円にある上総国、下総国、安房国、常陸国、上野国、下野国の武士が〝次ぐ〟存在として位置づけられていたという。与一の出身地である那須は、関東の北辺の下野国(栃木県)の中でも北に位置し、最も辺境の地といえる。平家物語には、非正統の鎌倉方武士たちが活躍する章段が多い。「(与一を主人公にしたことで)相模や武蔵の武士ばかりが活躍したわけではないという、反鎌倉幕府や反体制のメッセージが読み取れる」(野中教授)。

 さらに「与一」(余一)という名前からも「十余り一」、すなわち十一男で長男や次男、三男という嫡流格の子ではない末端性が窺える。与一の乗る馬の鞍に描かれた家紋の「丸ぼや」は、大木に寄生する灌木のヤドリギで、これも末端性を表しているという。後編では「扇の的」の構成の工夫や、野中教授流の軍記物語の楽しみ方を紹介する。

 

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「扇の的」の意味や、野中教授流の軍記物語の楽しみ方を紹介

 

 

※本記事中の写真や図版の転載をお断りいたします。

野中 哲照

研究分野

日本中世文学

論文

「『陸奥話記』の原型としての『奥州合戦記』」(2015/03/01)

「『陸奥話記』の形成過程論のための前提――『扶桑略記』『今昔物語集』との関わりから――」(2014/12/01)

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