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子どもを受容する社会の醸成を【前編】

人間開発学部 子ども支援学科 山瀬範子准教授に聞く

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人間開発学部 子ども支援学科 

2022年6月27日更新

 男性が育児休業を取得しやすい環境が整い始めている。令和4年4月、育児・介護休業法が改正され、企業に育休取得対象者への意思確認が義務付けられた。10月からは通常の育児休業とは別に、子供の生後8週間以内に4週間まで休業できる「産後パパ育休(出生時育児休業)」も始まる。男性の育休取得が加速することが期待されるが、国学院大学人間開発学部・子ども支援学科の山瀬範子准教授(教育学、教育社会学)は「子育ては母親、父親だけではなく、社会全体で向き合う必要がある」と話す。山瀬准教授に育児の変遷や課題などを聞いた。

 

「育児は女性が」の考えはいつから? 「専業主婦」は戦後生まれ

 今でこそ家事や育児は女性と男性が分担するものという意識が浸透し始めているが、これまで日本の社会の中で根強かった「育児は女性がするもの」という考えはいつから始まったのだろうか。

 実は、日本で「専業主婦」という言葉が生まれたのは戦後になってから。戦前の日本は農業など第1次産業が中心で、女性も仕事を担っていた。家族形態は大家族で、3世代同居が一般的だったため、女性が子どもを祖父母に預けて働くことも普通だったという。

 女性の役割や家族形態が大きく変わったのは戦後、高度経済成長期に入ってからだ。日本の産業構造は第1次産業中心から、第2次、第3次産業へと変化していく。産業構造の変化により都市部に人口が集中し、企業は労働力を確保するために主に男性を終身雇用、年功序列賃金などで正社員として雇用した。こうした流れとともに、職場と家庭が物理的に切り離され、女性は家で育児と家事を任されるようになった。

 

 山瀬准教授は「『サザエさん』のような3世代が同居する家族構成から、『ドラえもん』のような核家族へと家族構成が変化していったのもこのころ」と説明する。

 

「育児をしない男を、父とは呼ばない」 厚生省のポスターが与えた衝撃

 家事と育児を中心に担っていた女性の職場進出のきっかけとなったのが、昭和61年に施行された男女雇用機会均等法だ。募集・採用や昇進、部署配置など雇用管理での性別による差別や、結婚、妊娠・出産などを理由にした女性労働者への不利益な扱いなどを禁止した。その後のバブル崩壊による景気の減速も共働き世帯増加の要因になった。

 働き始めた女性は家事や育児に加え、仕事も担うようになり負担が大きくなっていく。国は子育てに対する父親、母親の共同責任を浸透させようと、施策やキャンペーンを打ち出した。

 平成11年、厚生省(現・厚生労働省)が作成した1枚の啓発ポスターが大きな注目を集める。当時、人気があった女性シンガーの夫である男性タレントが乳児を抱っこした写真で「育児をしない男を、父とは呼ばない」と書かれている。平成11年度の男性の育休取得率は、わずか0.42%(令和2年度は12.65%)。当時、このポスターが社会に与えたインパクトの大きさがよく分かる。

 さらに厚生労働省は平成22年から、男性の子育て参加や育児休業取得の促進などを目指す「イクメンプロジェクト」を進めている。山瀬准教授は「『イクメン』という言葉は父親だけに限らない。将来、子育てにかかわりたい、子育てを楽しみ自分自身も成長したいというすべての男性に向けた言葉」と話す。

 

 

 

 

 

 

山瀬 範子

研究分野

教育学、教育社会学

論文

「保育者養成と子ども理解」(2020/06/30)

書評 住田正樹著『家庭教育論』(2013/06/30)

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