ARTICLE

産地は“TSUTAYA O-EAST屋上”
渋谷のど真ん中で、美味しい野菜が採れるまで

渋谷の真ん中に有機農園を作る― 「アーバンファーミング」という私たちの暮らしを変える“新しい種”(URBAN FARMING CLUB 小倉崇さん Part.1)

  • 全ての方向け
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

URBAN FARMAES CLUB 代表理事 小倉 崇 さん

2022年2月15日更新

 

 「渋谷に畑を作る」

 そう心に決め、円山町のライブハウス・TSUTAYA O-EASTの屋上に畑を作ってしまった人物がいる。

 「なぜ渋谷でやるんですか?」と聞かれるのですが、農的な場所と最も無縁だと思われる渋谷でも、土と種と太陽と水があれば作物ができる――。それを示すことができたら、農業に対する考え方を変えることができるのではないかと思ったんですよね」

 農業からは連想されないだろう革ジャンに身を包んだ、NPO法人「アーバンファーマーズクラブ」代表理事・小倉崇さんは、そう微笑む。
 都市で行う農業のことをアーバンファーミングと呼ぶ。小倉さんはこれまで、O-EASTの屋上に加え、恵比寿ガーデンプレイス内の「エビスガーデンファーム」、東急プラザ表参道原宿6Fにある「おもはらの森(やさいの森)」、SHIBUYA STREAM内の「渋谷リバーストリートファーム」など、渋谷区のデッドスペースを農園に生まれ変わらせてきた。しかも、有機農園として。「アーバンファーマーズクラブ」のホームページには、こう綴られている。

 「未来を耕そう。」

 都市に農をつたえ、つなげる。無機質な都市に、有機的な空間を誕生させた開墾者に、農との出会い、これからの農について話を聞いた。

 

============================

 

 「家庭菜園のようなことを、いつかはやってみたいとは思っていました。ただ、何をどう始めればいいのかわからない。自分で先延ばしにする理由を見つけては、エクスキューズしていた」

 農業とのきっかけを尋ねると、そういたずらっぽく笑う。小倉さんは大学卒業後、出版社へ就職。その後、フリーランスとなり、編集者・ライターとして活動する。
 大手航空会社の機内誌の仕事を請け負っていた際には、日本一美しい農村風景として農林水産大臣賞を受賞した山形県・飯豊町に一年間通い、農業を肌身に感じる機会もあった。だが、農業を自分事として落とし込むにはエクスキューズがあったと偽らない。

 「2011年3月11日、東日本大震災が転機になりました。同じ年の2月に長男が生まれたこともあり、電気や物流が止まってしまう東京の姿を見て、疑問や不安、恐怖を覚えました。スーパーやコンビニに行っても何も商品がない。食べるものを生み出す力が東京にはないのではないか?「自分で育てていれば」と、ものすごく後悔したんですよね」(小倉さん、以下同)

 農林水産省によれば、2018年度の日本の食料自給率は過去最低の37%。カロリーベース、生産額ベースともに低い水準にあり、再興は喫緊の課題だ。だが、都会に暮らす我々にとって、どこか他人事としてとらえているのも事実。「別に自分がやらなくても」――。そんな余裕を、予期せぬ事態は木端微塵に打ち砕く。

 「日本全国の有機農家さんを訪ねるという仕事をしていたので、耳学問ではないけどなんとなくの知識はあったかもしれません。でも、植物すらまともに育てたことがない(苦笑)。自分で作物を育てたいとは思うものの、まったくの初心者だった」

 自らエネルギーを生み出すことに関心を抱いていた小倉さんは、市民たちによる電力自給プロジェクト「藤野電力」(神奈川県・相模原市)を取材する。そこで、一人の若い農家・油井敬史さんと出会う。

 「彼は、藤野の隣町・相模湖町へ移住し、地元の農業生産法人で約1年半の研修を終え、新規就農したばかりの新米農家でした。有機農業の中でも自然栽培と呼ばれる農法を実践していた」

 有機農業とは、「化学的に合成された肥料や農薬を使用しない」、「遺伝子組み替え技術を使用しない」、「環境への負荷を低減する」といった条件を満たした農業を指す。

 「油井君は、有機JASでも使用が認められている肥料さえも使わずに、土の力だけで野菜を栽培していた。自分で食べ物を作ってみたいという気持ちが日増しに強くなっていたので、定期的に彼の畑を訪問するようになったんですよね」

 


相模原町の畑を介して、仲間が増えていく。「都会のつながりとは異なるコミュニティが生まれた」と小倉さんは振り返る.

 

農業を介すことで、利他的になれる自分がいた

  小倉さんは、「真冬に、彼の畑でそのまま食べたホウレンソウの味に衝撃を受けた」といった旨を、自著『渋谷の農家』(本の雑誌社)で綴っている。さらに、追撃が襲う。

 「こんなに情熱をもって美味しい野菜を作っているにもかかわらず、油井君は農業だけでは生活が成り立っていなかった。バイトを掛け持ちしながら、一生懸命野菜作りに励んでいた。僕が仕事で得る1万円と、彼が野菜を作って生み出す1万円は、何か違う価値があるような気がして。野菜作りを教わるという気持ちから、気が付くと彼を世の中に出したいという気持ちに変わっていった」

   農林水産者の発表によれば、令和元(2019)年の農業就業人口約168万人。平成22(2010)年は約260万人だ。実に、毎年10~50万人ほどが減り続け、先述した食料自給率の低下を招いている。背景の一つが、「稼げない」という根本的な問題である。家族経営の農家における1時間当たりの所得(時給)は、1000円を切る。最低賃金以下の時給で働いている農業生産者も多い。
  こうした状況に対して、国も指をくわえて見ているわけではない。過去には、新規就農者に対して年間最大150万円を最長5年間(「経営開始型」の場合)にわたり支援する「農業次世代人材投資資金」などもあった(現在は一部改正)。だが、こうした助成金に対し「もっと考えようがある」と小倉さんは苦言を呈す。

 「給付金そのものが生活資金に回ってしまう。本来であれば、設備投資に回すべきお金なのですが、自転車操業になってしまう。では、あまり費用がかからない有機栽培に向いているかと言われれば、そうでもない。事業計画書がしっかりしていないと、借りられる畑が、山なのか畑なのかわからないような場所になってしまうことも珍しくない。天候に左右され、支援も少ないので販路もあまりない。土作り、販路の開拓、地域に馴染む……そういった観点に鑑みて、5年が“有機の壁”と言われている」

  さらには、真剣に就農するつもりがないにもかかわらず、助成金目当てで農業に一丁噛みする例もある。入口だけ考えて、出口は設計しない――、就農支援も“日本の制度あるある”に倣ってしまっているというわけだ。

  「油井君と相談した結果、助成金を受けずにやることを決めた」。小倉さんは、週末のみ相模原に通い、農業にたずさわりながら、油井さんを支援する活動を続けた。『weekend farmers』と名付け、自分たちを鼓舞した。

  「週末だけですが、めちゃくちゃ気持ちよかったですね。農作業が終わると車で帰るんですけど、温泉に入ったような多幸感があった。あるとき、医学系の博士号を持つ先生に聞いてみると、土に触れるとストレスホルモンと呼ばれるコルチゾールが減り、幸せホルモンと呼ばれるオキシトシンが出ると。多幸感にはエビデンスがあった(笑)」

  それだけではない。農業を介すことで、利他的になれる自分がいたと振り返る。

  「仕事をしていると、主語が「私」になりがちだと思うんですね。自分の企画を通すためには誰かを蹴落とさなければいけない、とか。でも、油井君のような人間を見ていると利他的に考えることができたし、作物にしたって収穫するとどれだけ意気込んでも、きちんと育たなければどうにもならない。農は調和を意識する大切さを教え、シンプルにしてくれるんですよね」

 

 

料理人も認めた TSUTAYA O-EAST 屋上産の野菜

 次第に、『weekend farmers』に賛同する者も増えていった。前出・藤野電力の立ち上げメンバーの一人である土屋拓人さんもその一人。「weekend farmersの宣伝部長」と小倉さんが語るように、TSUTAYA O-EASTの屋上に畑を作るきっかけをもたらしたのも、土屋さんだった。渋谷のスクランブル交差点にある大型ビジョンの運営などをしている「シブヤテレビジョン」が関心を示した――というのだ。

 「渋谷で野菜を販売するマルシェなどいくつかプランがあったのですが、コンクリートで覆われている渋谷に畑を作ったら面白いと思ったんですよ。話を聞くと、「シブヤテレビジョン」さんはTSUTAYA O-EASTも運営しているという。「これだ!」と思って、屋上に畑を作りませんかと提案しました」

 渋谷の街を一望できる屋上。その50平米ほどのスペースに、1.5メートル×3.5メートルの巨大なプランターを3つ作り、日当たりや排水を考慮しながら設計した。平成27(2015)年8月、TSUTAYA O-EASTの屋上に、ウソのようなホントの畑が生まれる。相模原でのノウハウをいかして作り上げた、有機栽培のできる畑である。

 「汗だくだくになりながら作業しました。でも、作業後に飲んだビールは、今までで一番美味しかった」。時折、小倉さんは少年のように破顔する。

 

 収穫祭を題して屋上でイベントを行うや、「渋谷の畑」は、瞬く間に話題となった。ウソかマコトか。毎日のように研究者や企業、ママさん、女子高生……多岐にわたる人が見学を申し込んでは、案内をしていたといい、その際には、カラスやねずみの被害といった都会の畑だからこその問題も包み隠さず説明した。
 だが、ひとたび野菜を食べると、誰もが驚愕した。事実、当取材で恵比寿ガーデンプレイス内の「エビスガーデンファーム」を訪問した際、小倉さんは栽培されているわさび菜を指さし、「そのまま食べれますよ」と自信満々に言い放つ。

 「いやいや、タレントがビニールハウスのロケでやるやつじゃなんだから」などと思いながら試しに口の中に放り込んでみると、衝撃を受けた。圧倒的にみずみずしい。それでいて、辛みも甘みもあって、美味しいのだ。これが、渋谷のど真ん中で作られた野菜!? どうしてこんな味になる……。

 筆者のように、その味に驚きを覚える人は後を絶たず、中には油井さんの畑がある相模原まで足を延ばす飲食店関係者も多かったそうだ。TSUTAYA O-EAST周辺には飲食店が集う。料理人たちも認めた味、これ以上の説明は必要ないだろう。

 「渋谷の畑が誕生してから2年後、油井君の収入は3倍になり、農業だけで生活ができるようになりました。世の中に知ってほしい、その思いは達成できたのかなって。僕も彼に出会えて生き方が変わった。良い出会いだったと今でも思っています」

 小倉さんの人生は、渋谷の畑を契機に次のフェーズへと入る。

 「屋上を訪問した人たちに話を聞くと、多くの方が家庭菜園や土に触れたがっていることがわかりました。都市でも美味しい野菜は作ることができる。都市生活の中で、農的なものを取り入れることはできないか。それで「アーバンファーマーズクラブ」を立ち上げることを決めました」

 

後編へ続く)

 

取材・文:我妻弘崇 撮影:久保田光一 編集:小坂朗(原生林) 企画制作:國學院大學

 

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU