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日本の成年の歴史をひも解く いくつもの「大人像」(前編)

「成年」の定義はいつから? 歴史と背景をひも解く

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文学部教授 小川 直之

2021年12月22日更新

 

成年年齢が令和4年4月1日から、現行の20歳から18歳に引き下げられる。成年の定義が見直されるのは約150年ぶり。自分の意思でさまざまな契約ができるようになるほか、公認会計士や司法書士などの資格も取得できるようになる。一方、成人式の時期やあり方に法律上の決まりはなく、各自治体の判断で行われる。日本の歴史上、成年はいつ定義され、時代ごとにどんな意味を持っていたのか。民俗学を専門にする文学部の小川直之教授に聞いた。

【後編】庶民世界の「大人」には「3つの基準」があった

平安時代の書物に「成人」の記述 平家物語にも

なぜ成年年齢を18歳に引き下げるのだろうか。法務省のサイトでは「投票権の年齢や選挙権の年齢などが18歳と定められ、国政上の重要な事項の判断に関して18歳、19歳を大人として扱う政策が進められている。成年年齢の引き下げは若者の自己決定権を尊重するものであり、積極的な社会参加を促すことになると考えられる」としている。世界的にも成年年齢は18歳とする国が主流だという。

小川教授は「日本で成人や成年という記述が最初に登場するのは平安時代に遡る」と説明する。ちなみに現代では「成人式」という言葉が広く使われているため、「成人」という言葉のイメージが強いが、法律上は「成年」とされている。

平安時代末期の国語辞典「色葉字類抄(いろはじるいしょう)」を見ると、成人という言葉が「成長する」という動詞として使われている。また、中世の文学「曽我物語」では「子の成人(せいじん)を願いぞかし」と、「子の成長を願う」という意味の記述がある。

833年に編纂された律令の解説書「令義解(りょうのぎげ)」でも成人という言葉が出てくる。こちらは「成年に達した者」という使われ方で、現在の「成人」に近い意味だ。「平家物語」でも大人という意味で「成人」の記述がある。

「成人式発祥地碑(宮崎県諸塚村)」(小川教授提供)諸塚村では昭和22年から男性20歳、女性18歳を対象に「成人祭」を始めた。同年には埼玉県蕨町(現・蕨市)でも「青年祭」と称して現在の成人式につながる式典を始めている。ただし、「成年式」は昭和9年には名古屋市連合青年団が満20歳の者を対象に行っている。

兵役を課す年齢を「成年」とした明治時代

国の法制上では、明治9年に「自今満弐拾年ヲ以テ丁年(ていねん)ト相定候」という太政官布告が出されている。

この「丁年」というのは、古く8世紀の「大宝令」にまで遡り、その後もこの用語が使われていく。21歳(数え)から60歳までの男性を正丁(せいてい)といい、兵役と課税対象者となった。正丁の年齢に達したものが「丁年」である。ちなみに61歳から65歳までを次丁(じてい)、17歳から20歳までを少丁(しょうてい)と呼んだ。「兵役と課税が必要だから定めた制度と言える。日本は制度や文化が非常に長く続く国で、この用語と考え方が明治時代まで続いた」(小川教授)。

この太政官布告の3年前、明治6年には「徴兵令」が制定され、「徴兵は20歳に至るもの」と決められた。これを補完する意味で先の太政官布告で「丁年」を定めたと見てとれる。ただ、「徴兵令」においては実際に徴兵されるのは全体の3~4%だったというから拘束力は弱かった。小川教授は「家を継ぐ長男や、お金を納めた富裕層など免除規定が非常に多かったため」と説明する。

今でいう「成年」の規定は明治29年制定の民法で、これでは第3条で「満二十年ヲ以テ成年トス」としている。これが今まで続いてきたが、昭和になると庶民感覚としては昭和2年公布・施行の「兵役法」が大きな意味をもった。男子は満17~40歳まで兵役の義務に服し、20歳に達した時に徴兵検査を受け、適する者は兵役に召集された。「徴兵令」とは異なり、徹底された兵役義務で逃れようがなかったという。「第二次世界大戦中までに出生した人たちは、徴兵検査をもって成年、成人と考えた方が多い」(小川教授)。また、現代は成年を迎えると「義務」と「権利」が生じるが、この時代には兵役という「義務」しかなかった点もポイントだ。兵役法は終戦後に廃止になる。

後編では庶民世界の「大人」には3つの基準があったことを紹介する。

 

 

 

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