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「心の小径」の金田一京助

中学生の多くが教科書で出会った

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名誉教授 中村 幸弘

2021年10月25日更新

 アイヌ語調査に彼地へ赴いた若い金田一京助(1882 〜1971)がアイヌの子どもたちの前で絵を描いて「何?」と聞いてその呼び名を収集した回想エッセイが「心の小径」である。その学習に必須の国語辞典も、金田一京助編『明解国語辞典』(三省堂)だった。昭和20年代半ばからの三十数年、金田一を知らない日本人はいなかった。

金田一京助

 東京帝国大学文科大学言語学科卒業の翌年、明治41年國學院大學講師、大正11年教授、昭和3年東京帝国大学助教授、10年「ユーカラノ語法特ニソノ動詞ニ就テ」で文学博士号取得、16年教授、18年退官、46年ご逝去まで、引き続き國學院大學教授として、63年にわたってご出講くださった。

 言語学者。民族学者。アイヌ語研究の本格的創始者。ご著作は、『アイヌ叙事詩ユーカラの研究』『国語音韻論』『国語史―系統編―』など、50 点に及ぶ。

 これも、昭和20 年代後半からのことで、新制大学となった國學院大學でも言語学概論をご担当。旧大講堂での文学部文学科の科目だったが、他学科からの聴講者も多く、年間通して満席だった。

金田一京助の講義風景(昭和30年代)
【校史・学術資産研究センター所蔵】

 鮮やかな首尾の整ったお授業には、毎回余話が配されていた。『アイヌ神謡集』を残して19歳で逝った知里幸恵を悼んだ翌週は、その弟の真志保が旧制一高から東京大学に進んでアイヌ語研究者となった努力を称えられた。高等小学校からの友人だった石川啄木のエピソードは幾つかご用意があって、年度によって違えておられたようである。どこで触れられたのか、将棋とお豆腐とがお好きとのこと、広く知られていた。

 昭和44、5年のころ、70年安保闘争の学生運動激しいなか、国語学研究室助手の背に負われて中庭を横切られるお姿があった。その何年か、杉並のお宅から、本郷の東京大学の見えるマンションに移っておられたが、長いご研究のお疲れがお身体を蝕んでいた。その幾晩か、國學院大學国語学研究室の若い教員、助手数人が近くの小ホテルに宿泊して侍り、ご臨終のお見送りをさせていただいた。今年度、先生の題字をいただいた國學院大學国語研究会の機関紙「国語研究」は、第85号となろうとしている。学報連載コラム「学問の道」(第37回)

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