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本当に考えるべきは「待機児童の解消」なのか。
― 改めて問う保育のあり方 ―

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人間開発学部 教授 塩谷 香

2022年1月12日更新

 もう何年も社会的課題として挙げられる「待機児童」の問題。解決策として「保育所を増やすべき」といった声が多く聞かれるが、今ひとつ改善していないと感じる人も多いのではないだろうか。

 しかし、子どもたちの発育を考えたとき、本当に保育所を増やすことが最善の解決策といえるのだろうか。そんな疑問を投げかけるのが、國學院大學人間開発学部子ども支援学科の塩谷香教授だ。

 若年層の人口減少もあって、今後数年間で待機児童の問題は解消されると言われている。塩谷氏は、その先の問題として、多くの保護者が子どもを小さいうちから長時間保育所に預けることに「不安」を感じるという。一体どういうことなのか。保育の現状、そしてその裏にある家族や社会の問題など、保育の現場を取り巻く課題を聞いた。

 

小さい子どもが長時間預けられることのリスクとは

 

 待機児童の問題を語るとき、「保育園を増やすべき」という論調が多い。だが、子ども自身の発育や教育を考えたとき、そもそも未成熟な子どもを1日中施設に預けることが最適かどうか、立ち戻って疑問を抱くべきと塩谷氏はいう。

 「今のお子さんは、早ければ0歳から親と離れて長時間、場合によっては10時間以上施設に預けられます。預ける施設と時間を増やし、待機児童を減らしても、それだけ長時間、親と離れて生活する事が子供の発育に良い事なのでしょうか。待機児童の問題は、本来最初に考えるべき『子どものために何が良いか』という視点が弱い気がします」

 近年は、待機児童問題の解決として、幼稚園を認定こども園に移行する動きも活発だ。認定こども園とは、幼稚園と保育園の両方の機能を合わせた施設。幼稚園は、利用できる年齢が3歳以上と高く、預かる時間も1日4時間ほど。0歳から利用でき、10時間以上預かれる保育園に比べると、年齢や時間の問題で預けにくかった。特に共働き世帯が増えた現代社会では保育園志向が強い。

 そこで生まれたのが認定こども園だ。幼稚園より利用できる年齢層を広くし、1日あたりの保育時間も長くした。これも、待機児童解消を見据えた動きだ。

 とはいえ、預ける時間が長時間になるほど、1人の子どもに関わるスタッフは多くなる。1日2、3人が時間ごと担当するケースも珍しくない。それは「健全な子どもの発育を考える上で懸念となるでしょう」と塩谷氏。特に小さな子どもは重大な問題だと指摘する。

 「保育者によって、抱っこの仕方やおむつの替え方は一人一人微妙に違います。小さな子供には、同じ人が同じやり方で世話をしてあげることが大切で、特に0〜1歳の子どもは特定の人に世話をしてもらうことで、その保育者の行動予測がつくようになってきます。この“予測がつく”ということがとても大事なのです。『いつもこうしてくれる』『こうすれば相手はわかってくれる』と感じると、子どもは基本的な信頼感を相手に抱くようになります。発達心理学では、小さいうちに基本的な信頼感を育むことが非常に大切なのですが、毎日複数の人が入れ替わりながら世話をしてしまうと、信頼感が育まれにくくなる可能性があります」

 

理想は『担当制』で子どもを見ること。しかし人材不足で難しい実情

 

 特定の人に対して子どもが安心感を覚えると、次第にその隣にいる人、あるいは近しい人にも“大丈夫かもしれない”と安心の輪を広げていくという。0〜1歳の頃に、そういった他者への安心感を覚えると、後々の情緒的な安定にもつながるようだ。

 しかし、この時期にいろいろな人が世話する環境にさらされると、子どもは相手の行動を予測しにくく「混乱や不安を抱く」と塩谷氏。安心感の醸成は人格の基本になる部分であり、だからこそ、小さい頃から長時間子どもを施設に預けて、いろいろな人が世話するのはリスクがあるという。

 「解決策として、特定の保育者が特定の子どもを見る『担当制』が考えられます。できる限り子どもの世話をする保育者の人数を絞っていく方法です。ただ、それができれば理想的ですが、そうするには保育者の人数を潤沢に確保する必要が出てきます。現在は保育者の人材不足も深刻です。十分な数の人を用意して細かく担当を割り振るのは簡単ではないでしょう」

 保育業界の人材不足は深刻を極めている。本来であれば、どの保育所も8時間勤務できる常勤の先生を毎日確保したいが、実際は常勤保育士の数が足らず、非常勤の保育士が数人で時間ごとに穴埋めしながらやりくりしているケースも多いという。

 厚生労働省の「平成25年社会福祉施設等調査」 を見ると、保育士の離職率は10.3%となっている。それ以上に目が行くのは、キャリア7年以下の保育士が約5割を占めており、若いうちに辞めてしまう現状が見える。施設側も、離職率の高さから、数年で辞めることを前提に経営しているケースも少なくないという。勤続年数が上がっても給料は上がりにくいなど、長く働き続ける職場環境が不十分な施設もあるようだ。

 「一方で、保育士が求められるスキルは増しています。子どもたちのバックグラウンドは多様化し、また、共働き家庭の増加で長時間預ける保護者も多くなっている。さらに忘れてはいけないのが、保護者への『保育指導』(児童福祉法第18条4)です。保育士の業務は、子どもの保育と保護者への保育指導が主ですが、その保育指導の負担が増してきているのです」

 保育指導の負担が増す背景として、塩谷氏はこう説明する。

 「インターネットで検索すれば子育てに関する情報をたくさん入手できます。しかし、情報が多すぎたり、出所不明な情報が出回ったり、かえって保護者が混乱することも少なくありません。また、核家族化が進み、自身の親にも相談しにくくなっています。ママ友などに相談することもできますが、子育ての悩みをさらけ出すことで『自分が母親としてうまくできていない』と思われるのを恐れる人もいるのです」

 結果、保護者の悩みは、今まで以上に保育士へと集まる。それが業務過多を招き、現場は疲弊。離職につながることもあるだろう。さらに「保育士の給与の安さや業務の多さが報道されたことで、若い人たちが保育関連の仕事を志望すると、周囲に止められるケースも増えている」と塩谷氏。こうした負の連鎖がますます保育人材の不足を深刻にしている。

 

社会が狭くなり「子どもは行き場を失う」。地域住民との関係も重要に

 

 さて、ここまでは保育の現場の状況を紐解いてきたが、ひるがえって現代の家庭状況は、子どもにとって良いものなのだろうか。先ほど「核家族化」というワードが出たが、こうした家族形態が増えることは、子どもが育つ上で不安な面があるという。

 「物心がついた子どもに必要なのは、豊かな人間関係です。私がこの説明でよく例に出すのは、タラちゃんがサザエさんに怒られたときの行動です。子どもにとって人間関係がいかに大切かよくわかるでしょう」

 タラちゃんは、サザエさんに怒られると、おじいちゃんやおばあちゃんのもとに行き、泣きながらやりとりを説明する。次第にタラちゃんの感情が鎮まると、おばあちゃんやおじいちゃんが「一緒に謝りに行こう」とついて行く。そうして事は収まり、また親子の良い関係が続く。

 だが核家族の場合、おじいちゃんおばあちゃんがいない。すると「両親に怒られた子どもは行き場がないのです」と塩谷氏。ここが核家族の不安点だという。

 「小さい子どもは、自分の失敗や落ち込みを一人で立て直すのが難しい。そこで誰かのもとへ行き、気持ちを落ち着けてもらったり、修復を後押ししてもらったりすることが必要です。しかし、核家族で両親に怒られてしまうと行き場がありません。さらに、夫婦喧嘩や夫婦関係の悪化も、子の行き場をなくします」

 最近は、地域住民の関係も希薄化してきたと言われる。昔なら、近所の幼馴染のお兄さんお姉さんが、地域の子どもと一緒に遊んだり、面倒を見たりという風景があったかもしれない。しかし、そういった関係も少なくなり、ますます子どもの行き場は減っている

 「面倒を見ていたお兄さんやお姉さんの視点で考えても、実は地域の子どもを見た経験が、自分が大人になり子育てをする際に役立ちます。しかし、そういった経験が減った今は、子どもを知らない親がたくさんいる。自分の子ができて初めて、きちんと子どもと接する人が多いのです。すると、親は経験がないために自分で面倒を見るのが不安になり、保育園に預けてしまう。そういった背景もあるのではないでしょうか」

 家族形態や地域の変化によって、今は子どもの豊かな人間関係を築きにくくなっている。保育施設は、いわばその「空白」を埋める役割をも期待され、より多機能化が求められている。その結果、業務は多忙になり、人材も不足する。そういった中で子どもを預けることが「本当に子どもにとって良いことなのか」と塩谷氏は繰り返す。「保護者にしかできないこと、やるべきことを理解してほしい」という。

 「大切なのは、子どもの人間関係を豊かにすることです。そのためには、保護者が自分自身の人間関係を広げないといけません。両親や親戚との距離を近くしたり、地域の子どもや住民と接する機会を増やしたり。その関係が子どもにも反映されるのです」

 待機児童というワードを聞くと、単純に「保育所を増やそう」と考えてしまいがちだが、あくまで考えるべきは「子どもにとって良い環境をつくること」だ。その視点を忘れて、子どもの問題を語ることはできない。決して保育施設だけの話ではない。家族のあり方、地域のあり方を含め、子どもにとって良い社会とは何か。すべての親、教育者、市民が考えるべき問いではないだろうか。

塩谷 香

研究分野

保育学(特に乳児保育、子育て支援)

論文

魅力ある職場づくりを考える~保育の質と職員集団のあり方~(2021/07/01)

人材確保・定着に向けた魅力ある職場づくり(2021/05/01)

このページに対するお問い合せ先: 國學院大學広報課

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