ARTICLE

【先輩に聴く】次代の教育へ 「縁は円(えん)」

人との繋がりが成長を生む

  • 全ての方向け
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

長野県私立松本国際高等学校教頭 山﨑 豊茂(平15卒・111期日文)

2021年10月4日更新

 陸上・短距離を始めて5年余りで東京五輪の男子4×100mリレーのメンバー候補入りしたデーデー・ブルーノ選手(東海大)と競技を結びつけたのは、國學院大學陸上競技部出身で長野県の松本国際高等学校(、以下「本校」)の山﨑豊茂教頭(平15卒・111期日文)だ。コロナ禍で教育現場は厳しさを増すが、「縁は円(えん)」を信条とする山﨑教頭は多くの生徒に国語と陸上の楽しさを伝えようと、次代へつなぐ教育を目指している。

ー教員志向、陸上の原点は?

 中学時代の担任に憧れて教員を目指した。陸上・長距離は家族の影響で始め、高校の陸上部に所属して本格的に取り組んだ。國學院大學への進学は、長距離の強化に乗り出したことと、教員養成に実績がある点が決め手だった。

 陸上競技部では、私は主力選手ではなかったが、当時の森田桂監督から才能がないなりに後輩への声掛けを積極的に行うことなど、走力のある選手たちとは違う角度からチームに貢献することを教わり、その姿勢が今の仕事に生きる。今でも使わせてもらっている訓話も多く、「本当の優しさとは何か」などは心に残っている。甘やかすことではなく、厳しくとも相手のためになることが本当の優しさで、「生徒はいい顔しないだろう」と思っても叱らねばならないことに通じるのだ。

ー教員として

 「いつか森田監督に教え子を託したい」と高校教員となったが、3年間は陸上部の指導と無縁で、競技経験のない部活の指導が担当だった。そんな時に森田監督が退任すると聞き、「10年も働けば、そのうち陸上部の顧問を任されるかも」と思っていたことを悔い、陸上の指導ができる教員を探していた本校の前身校(当時:創造学園高校)へ移ることにした。学校経営が再建途上だった当時はグラウンドも陸上部もなく、着任と同時に入ってくれた部員1人と二人三脚でのスタートだった。

 高校で一人の生徒と関われるのはたった3年。精神面で成長できれば高校生はいくらでも記録が伸びるのだが、そうした生徒を見る度に森田監督の「花瓶に花を咲かせる」という言葉を思い出す。「花を咲かせるには花瓶に水を入れねばならない。だが小さければ入れにくい。だったら広げればいい」というのが森田監督の考えで、記録を伸ばすには体を作れということ。それを教育に応用し、「いろいろ学んで人間の器を広げろ」と教えている。それが分かる子は自分を変えていくことができる。教科の学習に限ったことではなく、陸上でも周囲の成長まで考えて行動できるようになると、生徒は人として大きく成長する。その様子を見守れることが教師のやりがいだ。

デーデー・ブルーノ選手(左)と山﨑先生(松本国際高校陸上部提供)

 サッカー部を1年生で退部していたブルーノ選手は、仲の良かった陸上部の友人から「一緒にやろう」と誘われて2年生から陸上部に入部した。陸上競技を通して成長させたいと指導を続けたが、まさか東京五輪の候補に選ばれるとは思いもしなかった。本番では走れなかったが「練習用の競技場で世界レベルの選手を見て、非常に良い刺激を受けた」と報告してきた。ブルーノ選手がサッカーで挫折したままだったら、挫折感が大きくなりもしかしたら高校を辞めていたかもしれない。だが彼は陸上で自分の器を広げ、五輪に至るまでの道を切り開いた。陸上部に誘った級友のおかげで人生を拾ったともいえる。中国の故事成語「知音(ちいん)」()ではないが、互いを知る最高の友達に巡り合えたのは彼らにとってよかった。

―コロナ禍の影響は

 短距離、長距離、跳躍等どの種目が強いのかは高校によって異なる。それぞれの不足点を補うため近隣高校の陸上部と合同練習していたが、感染予防のために不可能に。選手同士が楽しそうだった姿を思うと、競技レベルの向上には他校と交流し、切磋琢磨することが重要だったと再認識した。収束後にはいろんな地域に出て、いろんな物や人に出会ってもらいたい。スマートフォンやタブレットの画面でつながれるが、実際に触れ合うことの大切さをコロナ禍が生徒たちに教えてくれた。

 また、コロナ禍で母校のオープンキャンパスに生徒をつれていくことがままならず残念だ。実は國學院大學の観光まちづくり学部には期待している。特産のリンゴを生かしたふるさと納税返礼品を考案し、地域の活性化に取り組む生徒もいるので、観光県・長野を盛り立てるため進学させたい。

―後輩にメッセージを

 大学在学中、講義や文献などの図書、寮生活、人との付き合いから多くを学んだ。大学での学びはきっと役に立つ。ただ、それを生かすのは自分次第。こつこつと真摯(しんし)に生きることが大切。この先、コロナ禍より大きなピンチに遭遇するかもしれないが、その時に大学での学びを生かせるような人間になってもらいたい。院友として母校の陸上競技部や硬式野球部の活躍も楽しみにしている。

 人とのつながりで成長させてもらった私は「縁は円である」と考えている。縁は円のようにつながり、いつか返ってくる。一つの縁が5年後、10年後につながると思うと、森田監督や陸上の先輩方とつながれた院友でよかったと思う。そしていつか、教え子が國學院のユニフォームを着て3大駅伝を走ることで、縁をつないでもらいたいと願っている。


やまざき・とよしげ 平成15年國學院大學文学部日本文学科卒業。松本国際高校教頭。千葉県市原市出身。中学時代に陸上・長距離を始め、國學院大學入学後は陸上競技部に所属。在学中に同部は箱根駅伝初出場(第77回大会)を果たす。卒業後は高校の国語科教員として千葉県と山梨県の高校で教鞭を執った後に現在の勤務校に移り、令和3年から現職。

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU