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長期政権の体制崩壊から何を学ぶか

中国史に学ぶ中央集権国家の成立と崩壊(後編)

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文学部 准教授 江川 式部

2021年9月30日更新

 8世紀の中頃、唐は、節度使の安禄山が起こした安史の乱(755-763)を境に、社会や政治体制が大きく変貌する。安史の乱平定後、募兵制や両税法など新たな諸制度を導入して支配体制を修復するが、9世紀になると各地で反乱が相次ぎ、やがて黄巣の乱鎮圧に功のあった朱全忠によって政権交代が行われ、907年に唐は滅亡する。文学部史学科の江川式部准教授(専門:中国中世史、中国礼制史)は「人々に無理を強いる政権運営が格差の拡大を進め、社会不安を増大させた」と話す。

【前編】隋唐王朝から考える国のカタチ

唐の都「長安」があった現在の陝西省西安

―― 唐が崩壊したきっかけは何か。

 唐が成立した半世紀後には、国家運営のほころびが、収税システムの均田制や兵制の基盤であった府兵制などに表れていたことが、史料から分かる。土地を手放して逃避する人たちが増え、戸籍制度が実質的に機能しなくなった。また広くなった国土を維持するために防衛ラインを延ばさざるを得ず、多くの兵力を必要としたものの、兵役の忌避も相次いだ。そのような中で、755年に安史の乱が勃発、北方のウイグルの軍事協力で反乱軍を鎮圧したが、前後10年近くの戦乱により社会は大きく変化した。辺境だけでなく国内の各地に藩鎮[i]を置き、節度使を配置して地域の行政・軍政を統括させるなど、唐朝は事実上の地方分権を余儀なくされた。府兵制はすでに機能しなくなり、募兵制という傭兵制度に切り替えられた。均田・租調庸制も崩壊し、より現実的な両税法[ii]に改められる。

 9世紀の末、塩の密売人である王仙芝と黄巣が反乱を起こした。いわゆる黄巣の乱(875‐884)の勃発である。当時行われていた塩専売制のもと、密売によって利益を得ていた王仙芝・黄巣らが、政府の密売摘発の強化に反発して乱を起こしたのである。乱に参加した者の多くは、没落して生活が困窮した人々であった。反乱軍は当初、政権交代を目指していたわけではなく、食料を求めて各地を転々と流亡したため、唐朝は鎮圧に10年近くの年月を要した。乱により穀物生産の中心地となっていた江南に大きな被害を受けた唐朝は、国力を消耗して滅び、五代十国の分裂期へと移行していく。

―― 唐の滅亡が周辺国に与えた影響は。

 唐の滅亡の前後、周辺の国が相次いで政権交代に追い込まれるという事象が起きている。朝鮮半島の新羅は高麗によって滅ぼされ(935)、雲南地方では大理が建国された(937)。モンゴル高原では契丹族が国を建てた(916)。ベトナム最初の長期王朝である李朝(大越国)が成立したのもこの時期である(1009)。これらの事象には、唐国内の荒廃が大きく影響したとみられている。300年近く続いた唐という国やその国家システムが、ユーラシア東部の広い地域にわたり、生産物流を中心とした経済的な要になっていた。その要を失い、それまで構築されていたこの地域のさまざまなシステムが機能不全を起こし、各地の政権交代を引き起こすきっかけになったと考えられている。

―― 現代の私たちは、唐の滅亡から何を学ぶべきか。

 今から1000年前に政治や経済の負の連鎖が広範囲にわたって起きたという史実は、現代のグローバル社会に多くの示唆を与えている。国内の政治経済であれ、国際的な外交であれ、排他的な考え方は無意味であり、自国優先主義が行き過ぎると、その影響はグローバルに広がる。もはやどの国が風邪をひいても、その影響は世界のさまざまな所に顔を出すようになってきている。

―― 若者へのメッセージを。

 唐の中期、戸籍を逃れる人々が多く出るようになり、その結果、朝廷は現住所での納税を認めざるを得なくなった。社会の大勢を、国は無視するわけにはいかない。社会の流れに沿って制度はつくられるのであり、人権が重視される現代社会では、1000年前よりもそうなる可能性はより高くなっているはず。中国史の学びから、現在(いま)を自分の目でみて考え、行動することの大切さを感じてもらえればうれしい。


[i] 8世紀の初めより、唐辺境の要地に置かれた軍団。安史の乱後には国内にも多く配置された。節度使を長として管轄区内の民政・財政権と軍事権を掌握した。節度使には、はじめ中央から文官が派遣されていたが、やがて上級武官や外国出身の将軍が起用されるようになった。

[ii] 唐の徳宗期(780)にはじめられ、明代後半(16世紀後半)まで行われた税法。「両税」の名称は、夏(6月)・秋(11月)の二期の徴税期が設けられたことに由来する。土地の所有者が税役を負担し、各戸の資産に応じた銭納、耕作面積に基づく穀物納入などを原則とした。

参考文献『教養の中国史』(ミネルヴァ書房、2018年)

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