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かくも映像的な文章が生まれる背景(お笑い芸人/作家 板倉俊之さん 前編)

(シブヤの"沼"学 VOL.2)

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お笑い芸人/作家 板倉俊之さん

2021年8月31日更新

 板倉俊之さんは実力派のお笑い芸人。コンビ「インパルス」で、またソロでステージやテレビで笑いの渦を巻き起こしています。一方で、平成21(2009)年に処女作『トリガー』を上梓して以降、令和3(2021)年までに5冊の小説を世に送り出している小説家でもあります。つむぎだされる小説世界はどれも人の意表を突く、驚きに満ちたものばかりです。そんな板倉さんに“書くという沼”について2回にわたりお話をうかがいました。

 

 

若さと「この物語を書くことは正しい!」の思いで書き抜いた処女作

——平成17(2005)年頃に「麒麟」の田村裕さんや「千原兄弟」の千原ジュニアさんなどが自伝的な小説を書いて注目を浴びたことで、板倉さんにも執筆の声がかかったそうですね。それが小説を書くようになったきっかけですか?

 板倉:そうです。でも、僕には自伝にするようなパンチの効いた人生はなかったんで「フィクションだったら……」と出版社の方に言ったら「それでもいいです」と。それで書いたのが『トリガー』です。

 

「『トリガー』の冒頭は、罪(ささいな日常の行動)と罰(否応なく銃で撃ち殺される)が見合ってない始まり方で、読む人に衝撃を与えたかった」

 

——フィクションはゼロから世界を作らなければなりません。しかも『トリガー』は単行本で328ページもの長編です。フィクションを1冊書くほうが大変な気がしますが。

板倉:この物語の設定自体は、高校時代から考えていた話ではあったんです。ぼんやりと「ムカつくやつをバンバン撃ち殺したらスカッとするだろうなー」って(笑)。

 たしかに長編ではありますが、途中で「書けない」って投げ出すことがなかったのは、書く前にしっかり結末まで見えてから書いたからかもしれません。「この物語は破綻しないで最後までいけるな」と構築に自信が持てないと、怖くて書き出せないんですよ。

 これ書いたときはまだ20代だったので、勢いもあったと思います。「この物語を書くことは正しい!」という信念があって、そういう青さが最後まで書けるエネルギーになったかもしれません。……今は、僕が消えても小説を書かなくても世界は変わらないよ……という客観的な目が出てきて、逆にそれ以降、書きやすくなった気がします。

 

『トリガー』(単行本:リトルモア、文庫:新潮社)2028年の日本は、犯罪を防ぐために、各都道府県に拳銃を所持し、無制限に射殺することが可能な「トリガー」を設置しているという設定。トリガーたちと「射殺許可法」を作った国王たちが繰り広げる近未来ハードボイルド。

 

——板倉さんの小説にはどんでん返しなどの仕掛けがいろいろありますが、それも書き出す前に全部構築して、逆算して書き出す感じなのでしょうか?

 

板倉:『トリガー』は、登場人物であるトリガーや国王それぞれが章に分かれているので「こいつのブロックはできあがったな」と思ったところから書き始めていました。ただ、この小説は人物同士の関係があとで判明したりするんですが、そのつながりは書いているうちにあとからできてきたりしたんです。

 書いている間にそんな偶然が訪れることもあります。そういう偶然って結構あてにしていい偶然なんですよね。真剣に書いて物語世界に入っていると、予期していなかった「あっ、もしかしてこれとこれ、結びつくじゃん」みたいなことは9割方起きると思っています。まあでも偶然をあてにして書き始めることはさすがにないので、そこはプラスアルファ部分ですけど。

 

「読者を驚かせたい、それはいつも意識しています」

 

 

映像的な文章の構築法は?

——板倉さんの文章は非常に映像的な感じがします。読んでいると頭の中で映画が始まるような。

板倉:実際、『トリガー』は完全に映像を文章にしていますね。頭の中に浮かんだ映像をそのまま書いた。最初に浮かんだのは、ムカついたやつの頭を爆裂させる映像ですね(笑)。

 映像的な書き方だから、銃を構えている人物の視点のあとに、狙われている人物の視点が入っています(いわゆる、カットイン)。マンガ化もされましたが、マンガにはしやすかったんじゃないかな、そのまま描けばマンガになるから。

 次に書いた『蟻地獄』からは、視点があっちこっち行き来しないように、視点を固定して主人公が見た情景を書くようにしています。だから、客観のカメラがないんですよね。上空から見た絵とか。最新作の『鬼の御伽』にしても、鬼と人間が戦っている様子を本当は横のカメラから撮りたいんですが、やっぱりそこは視点人物が見た景色から外れないようにして書いています。

 

「闘いのシーンでは、二人の身長差や持っている武器の稼働範囲なども思い浮かべながら書いています」

 

——“客観のカメラ”、“横から撮りたい”というお話からも、映像的な思考で文章を書いていらっしゃると思いました。

板倉:そうですね、逆に映像が浮かんでないと書けない。というか、書く人はみんな映像を思い浮かべて書いているのでは? 思い浮かべないで書いている人、いるのかな。

 でもだからといってスラスラ書けるわけではなく、1日かかって数行というときも多いです。たとえば、廃墟があって、その構造が物語の進行に深く関係するときは、絵で見せるわけにもいかないから、自分が考えている構造を、読んでいる人にきっちり伝えるためにどう書けばいいか悩みますね。伝わらないことが怖いので、書きすぎて無駄な文章もあったかもしれませんが…。

 

——映像的な文である印象は、たとえば『月の炎』のこんな一文。ちょっと読み上げます。

「彼はかぶっていたパーカーのフードを外し、服の表面できらきらと光る雨滴を払う」とか、ネットのユーザーレビューでも絶賛されていた、中華料理屋さんで親子3人が食事をとるシーンの「母は澪をなだめ、メニュー表をひらく。張り付いたビニール同士がはがれていく音がした」という文章は、映像が鮮明に思い浮かびます。

 

『月の炎』(新潮社)2018年発表の、板倉さん初のジュブナイル小説でありミステリー小説。小学5年生という純粋だが大人の世界も見始めている少年少女たちが、皆既日食の日から始まった連続放火事件の犯人を探し、守るもののために戦うストーリー。

 

板倉:うーん、今聞いても「俺…なかなかいい文章書いてるな」と思いました(笑)。もっと評価されていいんじゃない(笑)!?

 そうそう、フードの雨滴の表現はほんとにそのとき、浮かんだんです。大雨だとビショビショになるけど、小雨だと水滴がそのままついて、手で払ったらパパッと取れる様子が。中華料理屋のシーンも、僕が思い浮かべた店のメニュー表そのままを表現したんです。

 

「自分では文章が映像的かどうか、意識したことはないですね」

 

——映像的だから、非常に情報量が多い文章だとも思うんです。『鬼の御伽』に収録された2作品は、戦闘シーンになると目の前で戦闘が起きているようなリアルさにびっくりしました戦闘の描写はすごくていねいですよね。

板倉:闘いのシーンは「理由のない勝利」がきらいなせいで、なぜ勝ったのかがちゃんと分かるように書きたくて、必然的に描写が細かくなるんです。もうボッコボコにやられて死ぬ寸前までボロボロになってるのに、根性や気合で「うおおおおお!」ってよみがえって相手を倒すようなシーンよくあるじゃないですか。僕はそれが絶対に嫌なので、「なるほど、それだったらここまでやられていても勝つな」「圧倒的に強い鬼に勝てるのはこういうわけか」と読者が納得できるように描写したいんです。だからどうしても長くなってしまう。

 

『鬼の御伽』(株式会社ドワンゴ)は、鬼と人間の対立と関係性がかつてない視点で描かれている。『パーフェクト太郎』と『新訳 泣いた赤鬼』の2作を収録。巻末の番外編も静かな余韻が残る秀作。

 

——後半の怒涛の伏線回収の根拠がかなりさかのぼっての1行というように、緻密な構成になっていますよね。いずれの作品もどんでん返しや伏線回収が見事ですが、これらも先に全部構成を考えてから書くのでしょうか?

板倉:そうやってこの伏線の回収はこうやって書く……という自分のルールを決めてないと、書けないんですよね。たとえ読んでいる人にその1行を読み飛ばされたとしても。だからとくに前半は、「あ、ここでこれを説明しておかないと、後半の展開が生きないな」みたいに、伏線回収の種まきをしなきゃならないので、書くのも時間がかかりますね。

 

「前半は後半の設定が破綻しないように考え考え書くので時間がかかります」

 

 

「胸糞悪い」話が一転、ハートウォーミングな物語へ

——これまでに『トリガー』『蟻地獄』『機動戦士ガンダム ブレイジングシャドウ』『鬼の御伽』と、それぞれ世界観が異なる作品を書かれていますが、着想はどんなふうにして生まれるのでしょうか。

板倉:そうですね、あれこれ思いついたストーリーを書きとめてあるので、書きたいものはまだまだいっぱいパソコンの中に眠っているんですけど、その中で「これなら最後まで破綻しないでいけるな」と確信が持てるものが日の目を見るというか。

 思わぬ成り行きで最初に考えた話と結末が変わることもあります。『月の炎』は、最初まったく違う話だったんです。最初はまあ胸糞悪い、救いようがない話だったんですけど、「読んでくれる人をびっくりさせる」という点では合格点かなと思って書き始めたんです。

 でも書きながら自分で気分が悪くなってきて「いったい俺はどこに向かってるんだ。人を気分悪くさせるために書いてるのか!?」という心境になってきまして。

 自分としては、どれほど胸糞悪い話でもそこに伝えたいメッセージがあるなら何やってもいいやと思っているんですけど、それもなくて…。で、書く意味を見失って、いったんやめちゃったんです。

 

「いい話だと思っても書いているうちに破綻して、捨ててしまったものなんて、いくらでもありますよ」

 

——えっ、どのくらいまで書いていたんですか?

板倉:いやもう、ラスト寸前の噴水公園が出てくるあたり(注:まさに終盤)までいってたんですけど、書くのをやめてしまった。でももったいないし、どうにかならないかと毎日頭のどこかで考えてはいたんですね。

 そうしたら4か月ぐらい経った夜、登場人物の事を考えていたら、突然「えっ? もしかして、これ、いい話に書き換えられるんじゃないか?」っていうルートが見えてきたんです。それで、寝るつもりだったけどすぐ起き上がって原稿読み直したら「うん、最後まで破綻しないでいける!」となって、あとはもう一気に書いたんです。

 

——最初におっしゃっていた「偶然」がやってきたんですね。

板倉:いやもう、これは捨てる覚悟ではいたけど、やっぱりもったいないと思って毎日考えていたから偶然かどうか分からないけど。でも『月の炎』は、いい話にできて本当によかった。

 今までにも「これはいける」と思って書き始めたけど、破綻してしまって捨てた、そんなのパソコンの中に山ほどありますからね。

 

 まるで映画を見ているような文章が生まれる背景について語っていただいた前編に引き続き、後編は板倉さんの創作スタイルや、集中すると食事も忘れるほど書き続けるという、作品の産みの苦しみについて語っていただきます。

 

まだまだ、書きたい話は山のようにあると語る板倉さん。

 

プロフィール

板倉俊之(いたくら・としゆき)

1978年生まれ埼玉県出身。NSC東京校4期生。1998年堤下敦と「インパルス」結成。コントネタはすべて作成。2009年『トリガー』で小説家デビュー。以後、『蟻地獄』『機動戦士ガンダム ブレイジングシャドウ』(ノベライズ)『月の炎』『鬼の御伽』を執筆。2021年には『蟻地獄』が舞台化され、脚本・演出も担当。

 

板倉俊之Twitter   (@itazuratoshiyuk)

YouTubeチャンネル 板倉作品館

YouTubeチャンネル 板倉趣味チャンネル

 

取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

 

 

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