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近代国語学史に金字塔
「最後の国学者」三矢重松

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文学部 教授 諸星 美智直

2021年7月21日更新

 國學院第1期生として明治26(1893)年7月に卒業した三矢重松(1872~1923)は、文部省大臣官房図書課に奉職後、官を辞して教育研究の道に進み、中学教諭を歴任後、32年に上京して嘉納治五郎の運営する亦楽書院、ついで改組した宏文学院で魯迅などの中国人留学生に対する日本語教育に従事した後、34年に國學院講師、大正9年9月に教授となった。文法・源氏物語などの講座を担当するとともに商議員として芳賀矢一学長と國學院大學の発展のために尽力している。國學院大學国文学会の会長として学会の発展に尽力し、また源氏物語全講会を創設して自ら講師を務めた。東京外国語学校講師・東京高等師範学校教授も兼ねている。

三矢重松の授業風景(大正5年)

 その学問は文法学を中心に国語・国文学の多岐に亘ったが、卒業論文「源氏物語の価値」で早くも連体形終止法の存在を指摘している。院友の教師の多かった宏文学院では複合辞まで学べる画期的な『日本語教科書』の編集に協力し、また『國學院雑誌』に連載した「口語の研究」は明治30年代になされた口語文法の体系的な記述の嚆矢であり、『荘内語及語釈』では言語形成地である庄内の方言を記述している。その主著たる『高等日本文法』は近代文法学史上、大槻文彦の『広日本文典』が国学による文法研究と西洋の言語学と折衷させた文法体系であるのに対して、中世以来の日本の伝統的な「詞」「辞」の概念を踏まえて「独立詞」「付属辞」に二分し、これを名詞・代名詞・動詞・形容詞・副詞・接続詞・感動詞の七詞と助動詞(動助辞)・てにをは(静助辞)の二辞に分類している。なかでも単なる推量とされてきた助動詞「まし」に後に反実仮想の術語を以て称される用法を指摘したことは高く評価されており、また日本語史上、明治期にはほぼ消滅していた「の」「が」の尊卑に言及したことは、その没後に中世語資料が多く紹介されて尊卑の研究の進展を促している。

 大正12年7月に病牀で「古事記に於ける特殊なる訓法の研究」で本学第1号の文学博士の学位を受けたが、7月18日、病のため51歳の若さで歿した。遺稿は高弟の安田喜代門・静雄兄弟によって『国語の新研究』『国文学の新研究』『文法論と国語学』に纏められている。和歌の遺作も多く、「価なき珠をいだきてしらざりしたとひおぼゆる日の本の人」は『源氏物語』の優れた価値を詠んだ一首である。学報連載コラム「学問の道」(第35回)

 

 

諸星 美智直

研究分野

日本語教育学・日本語教育史・近代日本語・ビジネス文書学

論文

「「おついでの節」の依頼表現」(2023/03/31)

「ビジネス日本語における前置き表現「つかぬことを伺いますが」のストラテジー」(2022/03/31)

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