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11年ぶり東都優勝の硬式野球部
「あと1勝」乗り越えた4年生の団結、結束力

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硬式野球部 

2021年7月19日更新

 「4年生がチームを引っ張ってくれた」。11年ぶりに東都大学野球で優勝を決めた直後の記者会見で、硬式野球部・福永奨主将(健体4)は胸を張った。平成22年秋の初優勝以来、幾度となく優勝争いを演じながらも先輩たちが手にできなかった優勝旗。その大きな壁をどのように乗り越えてきたのか。選手、監督をはじめ裏方としてチームを支える学生スタッフの声を聞くと、逆境を跳ね返す中で得た確かな自信があった。

平成22年秋以来の優勝を成し遂げた硬式野球部の4年生たち

 「11年ぶりの東都優勝はうれしい。昨年秋の新チーム立ち上げ当初は、優勝できるかわからなかった」と福永主将は振り返る。秋のリーグを3位で終え、新チームがスタートした昨年11月のチーム状況を4年生は「最悪だった」「入れ替え戦も意識した」と口をそろえて話した。

 「合宿所での生活や、周囲への気遣い、心配りはよくなかった」と話す髙山匠主務(健体4)。そうした選手たちの意識を変えようと、寮生活では川岸正興学生コーチ(経4)と同じ部屋で寝起きして、チームの方向性を話し合ってきた。「どこか下級生任せの部分があった」(川岸学生コーチ)という4年生を中心に部員たちは「しつこいくらい」(髙山主務)ミーティングを重ねてきた。その結果、4年生の中には、チーム運営に主体的に携わる意識が芽生えたという。鳥山泰孝監督はそうした学生たちを「福永、川岸、髙山の3本の柱が言葉と姿勢でチームの方向性を一つにしてくれた。個性とチームの組織力が調和してきた」とみている。

全日本大学野球選手権2回戦で戦況を見つめる鳥山監督(右から2人目)、川岸学生コーチ(同3人目)、髙山主務(同4人目)

 選手たちは、個々のレベルアップも忘れてはいなかった。背中でチームを引っ張る福永主将は「人一倍練習をしてきた」と自信をみせ、投手2冠の池内瞭馬投手(経ネ4)も「コントロールや強い球を投げることを意識して強化してきた」、打撃2冠の山本ダンテ武蔵選手(経4)も「点を取れるバッティングを目指してやってきた」と話す。「投手、攻撃、人間力での破壊力」を掲げた鳥山監督のテーマは徐々に体現されていこうとしていた。

 それでも2,3月に行われたオープン戦では主軸をケガで欠き、負けが続いた。「チームがやってきたことを試合で試して、ミーティングを繰り返して成長できた」と山本選手は明かす。

 成長の証しは、リーグ戦のベンチからも感じられた。「一番声を出してます」と断言する山本選手や川岸学生コーチを中心に活気ある声がグラウンドの選手たちとの間に一体感を生んだ。守備の要としてキャッチャーマスクをかぶる福永主将も「試合の状況や監督の考えることを整理して選手に伝えることできている。足りない部分は4年生がカバーしてくれる」と信頼を寄せ、チームの結束が勝利の要因だったと明かす。1年生でレギュラー入りを果たした坂口翔颯投手(経営1)と伊東光亮選手(経1)は、「ベンチの声が結果に繋がっている。気持ちを変えてくれる先輩たちの声はすごい」「自分たちも率先して参加しないと」と4年生の背中を追いかけている。

試合中、大きな声で指示が飛ぶ國學院ベンチ(東都大学野球春季リーグで)

 ベンチに入れない選手たちも心は離れなかった。緊急事態宣言の発令で、無観客試合が続いた4月下旬以降、率先してレギュラー選手のサポートに当たったのは4年生だった。その様子を見て川岸学生コーチは「チームに心のズレがなかった証。優勝よりもうれしかった」と当時を振り返った。

 春秋連覇を目指す秋季リーグ、そして日本一へ。「このままでは終われない」と話す福永主将は「4年生の団結、結束力が必要。自分たちらしく、全力でプレーするだけ」と決意を新たにする。指導者と選手の呼吸が合ってきたという川岸学生コーチは、「全日本大学野球選手権に出場して、日本一がどの距離にあるかを感じた。コロナ禍の寮生活や練習は大変だが、置かれている環境は皆同じ。やれることをやるだけ。他校を跳ね返す力をつけて一体感を持って戦いたい」とチームを鼓舞する。鳥山監督は「戦国東都を制することは偶然ではない。心技体の基礎力が備わってこそ」と話す。そのうえで「より現実味をもって日本一に挑める。リーグ優勝を喜ばなくなるチームにしたい」と学生たちの飛躍に力を込めた。

福永主将(全日本大学野球選手権2回戦で)

 インタビューの最後に福永主将は「4年目になってやっと野球が楽しい」と笑顔を見せた。寮生活も練習も試合も一体となってやってきたからこその自信がある。練習に打ち込む選手たちの背中はそれを物語っていた。

 

 

 

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