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作家・燃え殻。コロナで日常が奪われたから日常を書くようになった(後編)

(シブヤの"沼"学 VOL.1)

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作家 燃え殻さん

2021年2月13日更新

 Twitterで24万人ものフォロワーを持つ燃え殻さん。90年代の空気感漂うデビュー作『ボクたちはみんな大人になれなかった』(新潮社)はあらゆる世代に忘れかけた感情を蘇らせ、切ない気持ちにさせてくれます。本作の映画化も決定し、ますます活躍する燃え殻さんに聞いた「沼」、前編ではプロレスと小説を「読む」ことについてお話ししていただきました。

 後編では小説を「書く」ことについて詳しくお伺いします。

「僕は、〝いいものが書けたから売れなくてもいい〟とは思わない。だから、小出版社から出した新作は、文学フリマで手売りもする予定でした(新型コロナ感染拡大で残念ながら出展は中止)」

 

――コロナ禍で今まで読まなかった小説を読むようになったと伺いました(前編)。そして、小説を書くことにも変化があったとか?

燃え殻:変わりましたね。

 なんか「照れてる場合じゃねえな」と思うようになりました。

 ちょっと前まで「自分は本業もあるので、一冊になるだけでも光栄です」という態度を取るほうがカッコいいと思ってました。言いづらいんですけど。

 物を書いている人々の中で僕の立ち位置って鬼っ子ぽいところがあると思う。Twitterから書く話になったので、ある方面からは「Twitterから出てきたくせに真剣に『書くこと』を語ってるよ、プププ」という見方もあり、一方で「腰掛け気分かよ」って声もある。

 新聞社の取材を受けて「頬杖ついて下さい」と言われてそのとおりにポーズした写真が掲載されると「ついに小説家気取りですか」ってリプライという矢が飛んできた。

 そういうこともあって「たまたま、席が空いていたんで書かせていただいています」みたいな体をとる癖がついてしまって。

 

「真剣に書くし、真剣に売ることにも関わっています、今」

 

――今はどう変わったのでしょうか。

燃え殻:「照れずに真剣にやって、敗れるなら真剣に敗れたと納得したい」と思ってます。

 僕は賞を取ったわけでもないから、結果を出さないといけない。

 「売れなくてもいいものを書いた」と認めてもらえる作家の方もいらっしゃると思う。実績と信頼といいますか。でも、僕などは、そんなことは許されない。

 森の奥のレストランでおいしいカレーを作って、一口食べて、「うん」と深く頷くというようなことは自分には許されない。僕は路面店で時間を守って、ちゃんと満足していただけるカレーを作らないと。それでダメだったら、真剣に敗れたと思える。そこで「うん」と深く頷ける。

 

――文体も変わりましたか。

燃え殻:たぶん。『ボクたちはみんな大人になれなかった』のベースはスマホで書いてたんですよ。本になる前にcakesで連載していたんですが、編集者と自分宛てに思いついたことや書こうとすることの断片をメールしてました。それをつなぎ合わせる形で小説にしてcakesに出していたんですが、新潮社で本にすると決まったときに読み返してみて「これじゃダメだ」と思ったし、言われた。

 ネットは横書きじゃないですか。でも本って縦書きですよね。その違いが本当に大きかった。

 縦書きと横書きの見え方の差に関しては、ちょっと今はちゃんとすべて説明できない。でも確実に違うとは言える。

 これは個人的な感想ですよ。外れてるかもしれない。なんとなく横書きでスクロールで読ませる文章って、言葉を激しくできる、塩分過多の方が向いてるというか、家系ラーメンより味が濃い目な感じ。針が振り切れるような言葉の量が多いと言いますか。

 文末が3回「でした」「でした」「でした」で終わっても、ネットだと気にならないけど縦書きになると1回は「です」にしないと持たない気が。あー、ちゃんと説明できない。すみません。ビッグサンダーマウンテンって、針が振り切れるほどの爆発ポイントって一つか二つじゃないですか。あれ、縦書きなんだと思うんです。何を言ってるかもう自分でもガチャガチャなんですけど。

 

 

――ネットはタイトル含め、インパクトが重視されている感じありますね。

燃え殻:タイトルから濃い目な、「女を口説く10の方法」とか「一日30分で10kg落ちる運動」とかとか。Twitterなら140字で教えてよ、動画もとにかく短く端的に即・結論が来ないと飽きられちゃう。

 でも、一冊の小説にする時はちょっと違ったんです。僕が書いたものも、初作が本になる前はまあいわば短冊ですね、それを巻物にして読み返してみたら、これがまあ、うるさいっていうか、ギャーギャー騒ぎすぎで。山がありすぎて疲れる。「こりゃ、このままじゃ一冊の本にはならないな」と思った。実際、新潮社の担当編集者からも「これでは出せません」と言われました。そこで「どうしたら読める文章になるだろう」ってことに真剣に向き合わざるを得なくなり、鍛えていただいた気がします。

 今年(令和3(2021)年)から新しく週刊誌で連載を始める予定なんですが、まさに今、書くことに真剣に向き合っています。

 

――書き方が変わってきているんですね。ツールはどうですか。いまもスマホで?

燃え殻:Wordで書くようになりました(笑)。ノートパソコンも買いました。

 真剣にものを書くことに向き合うようになったのは、そうならざるを得なかった事情もありますね。コロナ禍があり、僕自身、今、本業のテレビ美術制作会社を休職していますから。

 コロナはいろんなものを変えた。ずーっと、人とはなるべく対面で会いましょう、書を捨てて町へ出ろと言われてきたけど、今は会っちゃダメだという世界になった。ディスタンスの世界。そうなったときに「あ、書こう。読もう」と思ったんです。

 

「ネットの文体は塩分過多で豚骨こってりのラーメンみたい。僕は今、そういう文体に慣れた人からしたら〝味がしない〟という魚介スープみたいな文章に取り組んでいます」

 

――表現する内容も変わってきたのでしょうか。

燃え殻:変わりました。

 最初の小説は、それでも自分の中での「すべらない話」を一生懸命やったつもりなんです。でも今は、最初の設定しかないものを、書きながら転がしていった。そういうものをやってみたくなって。

 コロナ禍で日常が奪われたことによって、日常を書きたくなった。

 ちょうど昨日書いていたのは、男2人が単に日常の話をしているシーンなんですが、前だったらカットしてたかもしれない。

 映画でも「その会話のシーン、いる!?」っていう場面あるじゃないですか。でも、それがあるからこそ、その後にくる悲劇や喜劇のシーンが際立ってくる。仮にあとで悲劇・喜劇を書かなかったとしても、日常を描くことに意味を感じているんです、今。

 「お金はある方がいい」「若くないとダメ」って、それだけの価値観では一種類の人しか生きられなくなるけど、実際はグラデーション。グラデーションであってほしいという祈り。あっちがダメならこっちで生きればいい。信じる神様だって、人それぞれでたくさんいていいと思う。

 

 

「会社員になる前にエクレア工場でバイトしていたことを〝大変でしたね〟って言われますが、その時はその時なりに楽しいことがいっぱいあった。物事って1つの色だけじゃない」

 

――山場が多いことに慣れた今までの読者にとっては、日常を描く文章を読み解く力量も必要になってきそうですね?

燃え殻:読んでくれる人が飽きないように、日常の描写でもおもしろいと思えるようなものにしたいと努力はしています。「このガム、味がないな」と思っていたら、噛んでいるうちに 一瞬だけ梅の味がした、ぐらいの感じにできればと。また分かりづらいことを言ってる。すみません。

 僕の最初の小説はストロベリー風味か何かだったかもしれない。でも、今はいちご味にできたらいいな……。甘いだけでなく、ちょっと苦い味もするようないちご味。

 

――ちなみに、ネット出身の燃え殻さんですが、本はやはり特別ですか? 最近では、本は2か月ぐらいしか店頭に並ばないものが多く、アーカイブできるネットのほうが後世に残るという考え方もありますが。

燃え殻:それは違うと思うんです。

 「熱量」が違うと思う。「文学フリマ(略称:文フリ)」っていう、同人とか個人とか、文学に関わっている人がブースで自分の作品を販売するフリーマーケットスタイルの展示会があるんですが、そこでは自分の半生を何巻も書いていてしかもまだ未完、なんて本もある。フリマだから自分で値付けをするんですが、普通の単行本より高いものも、極端に安いものもある。商業出版の本でも同じページ数でその価格の本はなかなかないのに、その値付けをしてしまうのは「熱量」なんだと思う。逆に赤字でも読んでほしい、だから価格は度外視という人も。それもまた「熱量」なんだと思う。

 ネットのほうがずっと残るっていっても、それって誰か読み続けるのかと思う時がありますね。いわば人工衛星みたいに永遠に宇宙をぐるぐる廻っているのに似てるんじゃないでしょうか。ただぐるぐる廻ってて、性能の良い望遠鏡で見たら、廻ってるのが見えて「確かに存在はしてるけど誰か見るの?」っていうものなんじゃないかな。

 

 

「文学フリマでは大学の文学サークルから個人まで、真剣に文学に向き合ってる人たちがいて、赤字だろうが真剣に書いて真剣に売ってる。その熱量はすごいんです」

 

――なんとなく、燃え殻さんと「熱量」という言葉は遠いように思っていました。

燃え殻:「熱量」っていう表現をするようになったのは自分が小説を書いたり、このコロナ禍で小説を読み始めてからだと思います。今まで見えていなかったものや関係ないと思っていたものもつながりがあるんじゃないか? と、小説を読んで思うようになってから。それまでは熱量少なめの人間だったと思います。

 

「新潮社の電子文芸誌『yomyom』では『これはただの夏』を連載しています。今年(令和3(2021)年)には本にまとまる予定です」

 

――物語の構成の仕方も変わったんじゃないでしょうか? 伏線の張り方、回収とか……?

燃え殻:以前は伏線を張らなきゃと思っていたし、恥ずかしい話、読んでくれる人にすぐ評価されたいとも思っていたけど……、まあ、ネットだとけなされるのもすごいスピードですけど。

でも今はもう少し、自分の思うがままに。

伏線ということで言えば、承認欲求で「週刊プロレス」に投稿していたことを考えると、今、小説書いていること自体がすごい長い伏線回収なのかもしれません(笑)?

 

「バッサリ、ズバッとした〝ひとごと〟な回答ではなく、自分だったらどうするか……。極力自分ごとにして回答したのが『相談の森』です」

 

――確かに! 

 さて、最後に昨年の12月に出版されたばかりの『相談の森』(ネコノス)について少しお聞きしたいのですが、Twitterでの感想などを見ていると、普通の人生相談にはない回答が評判のようですね。

燃え殻:自分が時々目にする人生相談は、強い言葉が多いなって思ってたんです。もっというと、怖い言葉といいますか。そりゃ正しいけど、目の前で言われたら正論すぎて、怖いなって思うような。

 たとえば、「そんな職場は不条理だ、辞めましょう」と簡単にズバッと言うことはじつは簡単だけど、実際には会社に仲間がいる、世話になったクライアントがいる。現実はすぐにバッサリはなかなか難しい。だから「自分ごとにしたときにどうか?」って考えて答えるようにしたんです。「半年後にやめようか」とか「ブラック企業に勤めつつも転職サイトを見て、転職期と意識しながら緩やかに変えてく」とか。

 

 

――一番印象に残っている相談は?

燃え殻:息子さんが朝起きない、起こさないと学校にも行かなくて引きこもりのようになっているというお母さんからの相談には、書籍化するときに相当書き直しました。最後に「生きていればどうにかなるから大丈夫です」と書いたのですが、書きながら「本当にそうだろうか」と何度も何度も書き直した。それが回答として正しかったか、今でも悩んでます。でも個人的には、それを実証していきたいと思って生きている。

 

――「人に寄り添うやさしさ」「陽だまりのような暖かさ」など、相談に向き合う燃え殻さんの姿勢に癒やされるという感想が多いようですね。バシッと断ち切らない、隣に座って話を聞いてくれているお兄さんのようなスタンスが共感を呼んでいるように思いました。

燃え殻:ありがとうございます。この本は、自分自身販促にも力を入れていて。出版社は友人の浅生鴨がやっているネコノスというところですが、発売前に重版が決まって、今までで一番うれしかった。イラストレーターの久保田さん、装丁家の熊谷菜生さんにも感謝です。

 

――次の小説を楽しみにしています。小学校時代の承認欲求が今の小説家としての燃え殻さんの伏線だったとすると、10年、20年後の伏線は今、張られているのかもしれません。どんな形でそれが現れるのか、読者は注目していかないといけませんね。

 

「人間のほとんどは『後悔』と『なにくそ』と『仕方ない』でできていると信じている」(『相談の森』より抜粋)

 

燃え殻(もえがら)

1973年横浜市生まれ。テレビ美術制作会社勤務。日報代わりに深夜、Twitterでつぶやく内容が多くの人の共感を得てフォロワーが24万人にもなる。『ボクたちはみんな大人になれなかった』はデジタルコンテンツプラットフォーム「cakes」で連載後、2017年に新潮社から書籍化され、累計8万部の大ヒットとなる。その他の著書にエッセイ集『すべて忘れてしまうから』(扶桑社)、『相談の森』(ネコノス)。2021年『ボクたちはみんな大人になれなかった』の映画がNetflixから全世界同時配信予定。主演は森山未來。

 

取材・文:有川美紀子 撮影:大畑陽子 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

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