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作家・燃え殻。プロレスとドフトエフスキーが教えてくれる自分の輪郭(前編)

(シブヤの"沼"学 VOL.1)

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作家 燃え殻さん

2021年2月13日更新

コロナ禍でもプロレスを見に行くことはやめなかった。

 

――「沼」、ありますか?

燃え殻さん(以下燃え殻)沼。プロレスかな。僕、小学校の頃からずーっと、プロレスが好きなんです。その頃フジテレビで夕方に女子プロレスをやってて、僕のおばあちゃんがプロレス大好きで。

 でも母親は「プロレスなんか見てないで、早くドリルやりなさい!」というタイプ。だからおばあちゃんは時間が近づくと「あんた、買い物に行ってきなさい」って母親を外に出すんです。

 僕とおばあちゃんでプロレス観戦。当時、クラッシュギャルズっていう長与千種とライオネス飛鳥のペアがいて、ダンプ松本が率いる極悪同盟と戦うんです。で、「髪切りデスマッチ」っていうのがあって。

 

――なんですか、それは。

燃え殻:負けたほうが坊主になるシュールな試合です。おばあちゃんは長与千種が大好きなんだけど、ダンプ松本がヒール的に悪いことして勝っちゃって、長与千種が坊主にされたことがあって。客観的に見ると、水着姿の女の人がマットの上で衆人環視の中、どんどん髪を切られて坊主になってくってすごい絵面。

 おばあちゃんは長与千種が好きなくせに「ギャハハハ! いやあ、人間っていいよね!」って大笑いしている。「あーおもしろかった! 来週も楽しみだね!」とか言ってね。

 もう、その頃からずーっとプロレス見てます。男子も見ますけど女子のほうが見るかな。コロナ禍でも見に行ってましたよ。会場では席を一つずつ開けるなど対策していました。

 

「小説は読まなくても、女子プロレスラーのブログやTwitterは昔から毎日読んでました」と燃え殻さん。

 

――本当にお好きなんですね。

燃え殻:見た試合は時々ですけどノートに戦歴を書いてました。

 なんていうか、様式というか、取り巻く世界が好きなんです。当時は女子プロに定年があって、その年齢が20代なんですよ。ちょっと宝塚みたいに、人気もあるしまだまだやっていけるのに卒業しなきゃいけない。見ている方も本気でワンワン泣きながら「ありがとう! ありがとう!!」って言ってる様子とか。見ていると、ぼーっとできる。別レイヤーで世界を見ているような……。

 引きで見てみると、なんか派手なコスチュームで各々の曲に乗って登場してきたりして、すごい世界。虚構とリアルの境界線がだんだん歪んでくる心地良さといいますか。現実世界とはまた違う視点で見てる気がします。その時に一旦全部置いて見れる心地良さがあるんですよ。それで非現実を持ち帰りたくなって、帰りにレスラーの顔がついたTシャツ買っちゃったりして。どこにも着ていけないのに。

 先日行った会場では、ぼくの隣にいたサラリーマンは完全に「正装」で、選手の顔がバーンと入ったTシャツの上にスーツ着てました。その人に「遅れてきたんですけど前の試合どうでした?」って聞くと「1試合目はこうで、ああで、2試合目はこう。3試合目はこういう感じで今はこんな感じ」って細かく教えてくれる。それ以上は、お互い話さないけど連帯感がそこにはあって、それも心地よい。

 プロレスは自分にとって祭事。ままならない世界で踏ん張って生きて働いている自分への祭事。

 

――プロレス好きなら読んでいるというあの雑誌ももちろん……?

燃え殻:「週刊プロレス」、もちろん買ってました。今も実家の押し入れに段ボールで保存してあります。ターザン山本さんが編集長だったときに一番読んでました。すごいんです、筆力が。実際に見た試合よりターザンさんが書いた文章のほうがおもしろい。あの時のターザン山本は神がかってました。試合中の選手の心情まで書いてあった記事もあった気がするんだよなあ。

 90年代に工藤めぐみって選手がいて、電流爆破デスマッチっていう試合があったんですけど。相手がコンバット豊田選手。自分的にはあんまりだと思ってたのに、週プロの記事で読むと泣けるんです。

 「ボロボロになった工藤めぐみが、それでも立ち上がってくる」みたいなことが書かれていた憶えがあります。読んだら「あの場に行ってよかった。オレは歴史に立ち会ったんだ」っていう気持ちになってくる。歴史修正とも言いますが(笑)。

 

「小学生の頃、横浜そごうで正月に開催されるプロレスラーの餅つき大会に参加してました」

 

――おそるべし媒体ですね。

燃え殻:余った年賀ハガキにレスラーの似顔絵描いて送ったりしたなぁ。もう、一生懸命に。たまに採用されましたよ。採用されるとレスラーのテレホンカードくれるんです。スタンハンセンのやつとか。

 投稿は承認欲求ですね。誰かオレの思いをわかってくれ! という。つまりは、「週刊プロレス」に投稿した勢いで今、小説書いてるんだと思います(笑)。

 

――ということは、燃え殻さんにとって小説もある意味、「沼」でしょうか? 

燃え殻:沼になったのかもしれません。以前はあまり小説を読まなかったんですが、コロナの影響と今、本業であるテレビ美術制作の会社を休職していることもあって、書くことと同時に小説を読むことにも時間をかけられるようになりました。

 

「『罪と罰』、ラスコーリニコフの気持ちが分かるんです!」

 

――どんなものを読まれているんですか。最近のインタビューでは金原ひとみさんとか白石一文さんを読んでいるということでしたが。

燃え殻:最近ではドストエフスキーを突然(笑)。

 

――ドフトエフスキー!

燃え殻:大槻ケンヂさんと話したときに「最近何読んでますか?」と聞いたら「オレ、最近ドフトエフスキーを読んだ。読みやすかった」っていうのでびっくりして、僕も読んでみたんです。そうしたら本当に読みやすいんですよ! こんなに読みやすいなら早く言ってよ、知らない間に47歳になっちゃったよって(笑)!

 大槻さんに「あのさ、カフカも読みやすいよ」って言われました。

 それで思ったことが2つあって1つは「100年以上前も人間は同じだなぁ」ってことをしみじみと。

 

燃え殻さんが最近読んだ本。それぞれの感想を聞いてみたい。

 

――それはどういう……?

燃え殻:100年以上前も、人間は同じようなことで悩み、葛藤して、欲に負ける。今はメールになったけど、昔の人は手紙を書きながら恋い焦がれていたんだなぁ、ツールは違っても一緒じゃないかって。だから100年以上前の本でも「気持ちわかるなぁ」と思う一文に出会えたり。

 そうすると、この世には全然関係ない人なんていないんじゃないかと思えてきて。

 僕は図書館で自分の本が書棚に差してあるのを見て感動したことがあるんです。僕が死んだ後にも誰かが本を手に取って「こいつ知らないやつだけど、分かるなぁ」とか、「昨日それ考えてたなあ」って感じる人がいるのかもしれないって思えて。

 僕の本を読んで気に入ったって言ってくれる人が、「これはオレの話、私の話だ」という感想をたまにいただいて。僕が今、ドフトエフスキーとか中島らもさんを読んで感じているのと同じなのかなって。

 工藤めぐみ選手の電流爆破デスマッチを昇華させた「週刊プロレス」を読んで「工藤めぐみはオレだ! ボロボロになっても立ち上がってくるクドメはオレだ!」と思う気持ちと言いますか(笑)。

 

「正直、小説を書いたから小説を読むようになったんです」

 

――どんな人にも共感する部分があって、なんかしら関係しているかもしれないと。

燃え殻:それと同時に自分の輪郭も分かると思うんです。よく就職の面接で「あなたの長所は」って「そんな漠然としたこと聞かれても」っていうような質問にも、「自分はこういう人間です」って漠然と言えるようになるんじゃないかな。

 小説を読んで「ああ、この気持ちはわかるな」「この考え方は違うな」「今まで気が付かなかったけどオレもそれ、おもしろいと思うわ」「あ、ここまでされると自分は不愉快だ」などと感じることが、自分という人間についての理解を深めてくれるのかもしれない。自分の構造、取扱説明書みたいなことを教えてくれるのが本だったり、小説だったり、今はしています。

 そこに書かれていることは嘘かもしれない、でも、そこには本当の人間性みたいなものが全部詰まっている。あ、それってプロレスと同じかもしれない。見ている方もやっている方も(これを言うと叩かれるかもしれませんが)約束事があると分かっている。それでも、というかそんなことどうでもいいくらい本気で感動して本気で泣いてしまう。「作り話なんだけどね」と注釈が入らないと、本当のことまで露わにできない入り込めない、その感じが小説に共通しているようにも思えるんです。強引なこと言ってますが。

 

――小説を読んで感じたもう1つのことは何でしょう。

燃え殻:世の中がグラデーションでできていることの大切さというか。

 ネットの世界は最近とくに右か左か、黒か白か、極端になりがちで「オレと同じ考えじゃないやつは認めない」ぐらいの態度に見える人いるじゃないですか。

 でも実際は、黒と白の間にはグレーがある。今日の体調や天候に気圧だって考えを左右する。すべてはグラデーションの中にある。その日の濃淡がある。まだ名前のついてない感情が、知っている言葉の組み合わせで表現されている小説が個人的には好きです。

 

「もしかしたら小説もTwitterのアカウント1つ1つもマッチングアプリやってる男もドフトエフスキーも〝オレはここにいる。誰かつながろうよ〟って同じことを発信してるのかも。一等星から六等星まで光り方は違うけど」

 

――世の中のグラデーションが小説にある。

燃え殻:室内にずっといると季節の微妙な変化にも気が付かなくて、暑いと寒いの二季しか感じられなかったりしますよね。人間関係も、同じような考えの数人とつるんでいけてしまう環境もある。

 でも季節は四季があるんです、ここ日本では。季節を表す言葉は本当はさらにもっとある。人間関係もわかりやすく「同意です」な人としか付き合わないと、少しの差を目にしただけで、言葉の上で手を出してしまう人になりがちな気がして。どちらかというと好かん、でもここは理解できると思える部分があるはずなんです。それを見つけることが、自分の知見を広げてくれることだと思うんです。

 Twitterでも自分がフォローした人の投稿しか流れてきませんよね。その中の誰かのリツイートで嫌なものが流れてくるとミュートしたりブロックしたりする。Twitterはそれでいいですけど、現実の世界で、それに近い行動を取りやすくなる自分がちょっと前にあって。ああ、ヤバいなと思いました。

 小説や映画に触れて、違う時代、同じ時代の意見が異なる人の描写に出会うと、どこか1つでも「あ、でもここは一緒だ」と思える部分があると、ただ切り捨てるという選択肢にいかないと思うんです。そうやって身体にいろんなグラデーションを取り込むことで、このコロナ禍、自分を保てている気がします。

 

――選んだものだけじゃなくて偶然出会ったものにも意味がある?

燃え殻:そう。動画サービスで1回なにか見たらその後「あなたへのオススメ」ってガンガン出てきますが、フラッとレンタルビデオ屋に行って、棚の隅でカバーの色も褪せちゃっているようなのを5本100円で借りてきたら、それが人生の宝物になるような時代、ありませんでした? 本屋をさまよいながら偶然の1冊に当たりを見つけられたこととか。

 たまたまプロレスで隣り合わせた人や取材で会った人、飲み屋で隣に座った人とも、二言三言の会話でも、つながれた瞬間、希望を感じたりするんです。感じたいんです。

 

 プロレス、そして小説を「読む」ことが沼であると語っていただきました。

 そしていま、小説を「書く」ことにも真剣に向き合っているという燃え殻さん。後編では燃え殻さんに起こった「書く」ことの変化についてお話を伺います。(後編に続く)

 

「本屋でたまたま巡り合った1冊が死ぬまで宝物になるように、偶然出会った人とも何かあるかもと思えるようになったのは小説を読み始めてから」

 

燃え殻(もえがら)

1973年横浜市生まれ。テレビ美術制作会社勤務。日報代わりに深夜、Twitterでつぶやく内容が多くの人の共感を得てフォロワーが24万人にもなる。『ボクたちはみんな大人になれなかった』はデジタルコンテンツプラットフォーム「cakes」で連載後、2017年に新潮社から書籍化され、累計8万部の大ヒットとなる。その他の著書にエッセイ集『すべて忘れてしまうから』(扶桑社)、『相談の森』(ネコノス)。2021年『ボクたちはみんな大人になれなかった』の映画がNetflixから全世界同時配信予定。主演は森山未來。

 

取材・文:有川美紀子 撮影:大畑陽子 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

 

 

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