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隣で知らない言語が話されていても気にならない。少数民族・ナシ族と「共存」

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文学部教授 黒澤直道

2021年2月13日更新

 

 

 中国は雲南省を中心に居住する少数民族・ナシ族。彼ら独自の信仰であるトンバ教において語られる、自然神「シュ」と人間の共存のストーリー。黒澤直道・文学部外国語文化学科教授へのインタビュー、その前編での収穫を踏まえて、後編ではさらに「先」を考える。
 それはいわば、共存のストーリーの周囲で見落とされがちな、共存を見据える上での、より多くのヒント。「体系ならざる体系」や「音声言語」といったトピックが、私たちの現在位置をゆっくりと浮かび上がらせる。

 

 

 前編では、観光開発によって失われていく伝統文化を、ナシ族自身が再発見・再評価してきているということに触れました。そしてその文化の中でも、ナシ族が持つ信仰であるトンバ教、さらには自然神シュと人間の関係性を、アフターコロナの時代における重要なテーマとして取り上げていきました。
 自然界の主宰者であるシュと争った末、仲介者によって調停された人間は、何か活動しようとすれば必ずやシュに対して借りをつくることになる。つまりシュは債権者であり、人間は常に負債者である。その借りを解消するために、儀礼を行っていくのだ――という教えであるわけです。
 今の私たちに強く訴えかけてくる、共存のストーリーですね。と同時に、こうした神話をすんなり受け止めるだけでよいのか、と考えることで、より共存というものを深く捉えることができるかもしれません。どういうことでしょうか。

 


麗江市の西、維西リス族自治県内のナシ族村の朝食。炒めた青トウガラシ、小麦の蒸しパン、揚げた餅、チベットのバター茶とツァンパ(麦こがし)が共に並ぶ。

 

 まず端的に、この共存のストーリーがシュと人間の関係のすべてではない、ということがあります。トンバ教での儀礼は長時間にわたり、経典には様々なバージョンがあるのですが、実はその中には、シュと人間が争い続け、やがて人間が繁栄を極めるという経典も含まれているのです。異なるストーリーが、併存している。なぜこんなことになっているのかはまだよくわからないのですが、これもまた興味深いですし、自然と人間の関係を考えると、示唆的なものがあります。
 より大きな観点からも、考えていきましょう。というのも、このシュと人間のストーリーが描かれているトンバ経典は、絵文字のような独特の象形文字・トンバ文字によって書かれている、ということを踏まえる必要があるのです。
 トンバ文字は非常に目を引く文字であり、19世紀後半から欧米人による研究が始まり、1930年代からは中国人による研究も開始されました。文化大革命の時期には古いものが弾圧される風潮の中で中断を余儀なくされますが、文化大革命の収束と共に再開。90年代後半の麗江の観光地化においては、土産物のデザインなど、観光資源として利用されていったと同時に、自民族文化を見直す中でも、絵文字には注目が集まっていきました。
 ナシ族はもともと、インテリの数が比較的多い民族です。一般の人では読むことが非常に難しいトンバ文字によってかつて経典が書かれた、ということは、他のさまざまな宗教の事例と同じく、知の占有という側面があったことでしょう。その後、自文化の再認識がなされる中でも、トンバ文字および経典は専ら知識人層によって扱われていき、研究対象も宗教文化の偏重という状況が続きました。

 


ナシ族に残る経典からその言語を探る『ナシ(納西)族宗教経典音声言語の研究:口頭伝承としての「トンバ(東巴)経典」』(雄山閣、2007年)

 

 そうした流れの中で、「音声言語としてのナシ語」――いわば話し言葉としてのナシ語の研究は、後回しにされてしまっていました。
 90年代後半に現地入りした私が主に研究してきたのは、この「音声言語としてのナシ語」です。本稿前編におけるシュと人間の神話の紹介も、実は経典の一言一句を調べ上げてきたトンバ文字・経典の研究者たちの積み重ねに依っています。私の興味はむしろ、こうした宗教文化研究の脇で忘れられてきてしまった「音声言語としてのナシ語」のほうにあるのは事実です。
 幸い、近年はナシ族出身の研究者も含め、ナシ語のテクストの記録や、公教育での伝承が徐々に盛んになってきました。ナシ語によるポップミュージックやトーク番組、歴史ドラマなども生まれてきており、私としては喜んでいるところです。

 

 以上の話を踏まえると、共存を語っている伝統文化をどう受け止めるのか、より深く考えることができるように思います。
ひとつには、体系ならざる体系としてのトンバ教という観点です。前後編にわたって話してきたように、トンバ教では内外の信仰が入り混じり、かつひとつのストーリーに複数のバージョンがあることもある。そしてその背後には、トンバ経典には書かれていない、口頭の音声のみの伝承もあり、両者は相互に関係していると思います。この複雑さから、かつてはトンバ教には体系がないといわれました。研究が進むにしたがって、おおよその体系は見えてきたのですが、それにしても理路整然とした体系というわけではない。そのことがむしろ、多様性に満ちた世界観として私たちに訴えてはこないでしょうか。
 他方で、本インタビューのような内容を学生たちに話すと、「『話し言葉と書き言葉が別々である』という状況を想像したことがなかった」という反応をもらうことがあります。中国に限らず、どこの国でも少数民族の人にとっては往々にしてある状況なのですが、たしかに想像がつきにくいことかもしれません。「多民族的、多言語的な状況も想像がつかなかった」という感想をもらうこともあります。
 ここから見えてくるのは、共存のストーリーが語られている、そもそもの環境です。ナシ族の周囲では、漢民族以外にも、他の複数の少数民族が暮らしています。たとえば自分の隣で、まったく聞いたことのない言語を誰かが喋っていても、気にする人はほとんどいません。そうした共存的な状況の中で、シュと人間のストーリーも紡がれてきたといっていいでしょう。
もちろん、前後編で触れてきたように、彼らの社会状況にも問題は山積みです。それでも本稿で見てきた多言語的・多文化的・多神教的な世界観は、今まさに、アフターコロナ世界での深刻な分断や対立に直面しようとしている私たちにとって、それこそ免疫のように作用してくる可能性があるのではないでしょうか。

 

 

 

 

黒澤 直道

研究分野

中国語、中国民族研究、ナシ学

論文

ナシ族トンバ経典『ドゥとスの戦い』の翻訳と注釈(2)(2024/02/28)

ナシ族トンバ経典『ドゥとスの戦い』について(2023/11/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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