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こけ女にも人気! “伝統×創作”でこけし業界に新風(後編)
(伝統をあやなす人 VOL.3)

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こけし工人 高田稔雄さん

2021年1月13日更新

 受け継がれてきた「伝統」で、新しい世界を表現する。連載「伝統をあやなす人」では、文化や芸術、芸能など「伝統」という表現方法で、“今”を描くアーティストのみなさまにお話をうかがいます。

 会社員から伝統こけしの工人へ。異色の経歴を持つ高田稔雄さんは、デビューして1年で全国こけしコンクールで内閣総理大臣賞を受賞した実力の持ち主である。高田さんが意識しているのが、創作であってもどこかに弥治郎系の伝統的な部分を加えること。高田さんにとって“伝統と新しさ”の関係はいかに?

創作こけしでも頭には丸い模様と髪飾りなどに弥治郎系の意匠が使われている。

 

創作にも必ず伝統の手法を入れる

 これまで3回あったこけしブームの内、第2次ブームはかつてない規模だったらしい。

 「第2次ブームの時代は、今よりも高い値段のこけしが飛ぶように売れて、当時を知る工人さんに聞くと月収が800万円とか、驚くような売れ方だったそうです」と、高田さん。

 伝統こけしや創作こけしを通信販売している「CAROL」の財津直子さんも「投資目的で買う人もいたぐらいのブームだったそうです。それこそ、段ボールに箱詰めで買う人もいたとか」と話す。このときに売買されていたのは伝統こけしだった。

写真左側が「幸太型」、右側の着物柄のものが「今三郎型」。手前のリス、レッサーパンダ、カワウソ、小鳥などは創作こけし。

 

 現在の第3次ブームで人気なのは小さいサイズ(小寸)のかわいいこけし。高田さんも頭に小鳥やホットケーキを載せたり、困った表情をしていたり、胴の部分に猫が描かれていたり、思わず「かわいい!」と声が出るような創作こけしを作っている。

 しかし、その作品にはどこかに弥治郎系伝統こけしのテイストが織り込まれている。高田さんのファンであるころみさんは高田さんの色へのこだわりにも言及する。

 「高田工人は創作こけしに白色を使いません。伝統こけしには白という色がないからです。ご本人は『基本的に伝統こけしに使う染料以外は使いたくない』とおっしゃっていました。白が必要な絵柄には、木の色を生かしてサンタさん、白鳥などを表現されています」

昔、農村部では農作業中、わらで編んだかごに赤ちゃんを入れていたという。そのかごを“えじこ”と呼ぶ。左奥はえじこに赤ちゃんが入っている様子を模したもの。

 

 財津さんも高田さんのこだわりをこう話す。

 「1年を通し同じテーマで隔月に作品を販売するシリーズ頒布を考えて、高田さんには“喫茶店”というテーマでお願いしました。このシリーズはデザインやモチーフをこちらから提案し、高田さんからの意見をいただき練り上げていきます。レモンスカッシュをお題にお願いしたときは、かなり真剣に話し合いをしました。胴体に黄色をふんだんに使うデザインはなかなか難しかったと思います。高田さんは伝統の担い手でもある工人としてのこだわりがあり、こちらも「こういう物を作りたい」というこだわりがあり、とことん意見をぶつけ合ったんです。でもその甲斐あって、できあがってきたものは想像以上にかわいく魅力的になりました。髪型や髪飾りにはしっかり弥治郎系の特色が入っています。通販でもたちまち売れてしまったんですよ」

 高田さんが伝統こけしの特徴を創作こけしにも入れ込むのは「伝統こけしのよさを分かってもらいたい」と思っているからだ。

 「お店や個人のお客さんや、いろいろなところからオーダーをいただきます。あるとき坊主頭のこけしを作って欲しいと言われたんですが、弥治郎系は頭にろくろを使って描いたベレー帽のような丸い円をつけるんです。まるっきりの坊主頭だとそれは鳴子系なのか弥治郎系なのか分からなくなってしまう。ですから、正面から見ると坊主頭に見えるけど、おでこまで描かない程度に、上から見ると円がある作りにしました」

高田さんの工房。わざわざ遠方から高田さんのこけしを求めに訪れる人も多いという。

 

 

伝統と現代をつなぐこけしを作る

 時代のニーズに応じるだけでは、いつか伝統こけしの特徴がなくなってしまうのではないか、それは避けたいと高田さんは思っている。第2次ブームから第3次ブームへ移り、当初は「かわいいこけしを作るのはちょっと」とためらっていた工人も今では手掛けるようになった。高田さん自身、売上の大半は創作こけしが担っている。その現状があっても、催事などで販売するときは必ず伝統こけしも並べるようにしている。

 「小さくかわいい創作こけしが売れるからとみんながそれしか作らなくなったら、こけしの主流が創作こけしになってしまうかもしれない。今、いろんな意味でこけしの世界は過渡期だと思います。伝統こけしの工人はみんな若いファンにも『いつかは伝統こけしの良さに目を向けてほしい』と思っているのではないかな。自分自身、創作こけしはファンの裾野を広げる意味合いで、歳を取るにつれて今のファンの方にも伝統こけしの良さにのめり込んでもらえたらという気持ちでいます」

生活の相棒はキンカチョウのコムクちゃん。いつどこに行くにも一緒。こけしのイベントにも連れて行く。高田さんは独立以来ずっと小鳥の相棒がいて、小鳥のこけしや頭に鳥を乗せたこけしも多い。

 

 じつは第2次ブームのときにも同じようなことはあったらしい。温泉地のおみやげにこけしを買う人が急増し、またその時代の好みの顔つきなどもあり、伝統こけしの形式から逸脱したこけしが大量生産された。そうしたこけしのほうが市場を席巻して、伝統こけしは徐々に主役の場を奪われかけた。

 このとき伝統こけしを守ろうとしたのは蒐集家たちだという。伝統こけしを流通させるための仕組みづくりも行った。当然工人との交流も深く、技術的なことで工人にダメ出しすることもあるようである。

 そして今また、過去と同じように伝統の形から離れた創作こけしが広まっている。高田さんが創作にも伝統を取り入れるよう心がけているのは、かつてのように伝統こけしが減っていくことを押し留めたいという意識が働いているからなのかもしれない。

“こけし女子”たちが好む小寸のかわいいこけし。連れて歩くにもちょうどいいサイズ。

 

 財津さんが最初にこけしに注目した10年以上前には、温泉地でこけしを買おうとしても、高齢化の影響でみやげもの屋が閉まっていることも多く、買えるところが少なかったという。

 「それが平成22(2010)年ぐらいから、その素朴な愛らしさに着目する女性たちが増えて、工人さんの工房にも姿を見せるようになったそうです。さらに平成23(2011)年の東日本大震災によって東北に注目が集まり、復興支援の意味もあってこけしは一気に表に出るようになりました。CAROLは『こんなかわいいものがあまり知られていないなんてもったいない、もっと気軽にこけしを買えるお店があったらいいな』という思いで作りました。それが平成25(2013)年ですが、その前後にかわいいこけしを扱うお店やネット通販サイトなどが増えていきました」

 今のファンは最初から創作こけしから入ってきているわけだ。その人たちに大好評だった高田稔雄さんの喫茶店シリーズの1作目であるコーヒーカップを頭に載せたこけしは「いわゆる“カワイイ”とはちょっと違うかわいさで、余白を生かした幸太型のこけし」と財津さんは言う。

 伝統と“今”をいかにつないでいくか。高田さんはその命題に常に向き合っているのだろう。

高田さんとCAROLの財津さんが生み出した「こけし喫茶店」シリーズのこけしたち(財津さんご提供)。つい集めたくなるかわいさ!

 

伝統こけしに高田稔雄本人型も登場

 高田さんは令和元(2019)年から“高田稔雄本人型”を作り始めた。

 「本人型を作るのは10年、20年経ってからと、これまで作っていなかったのですが、私の師匠は『思いついたものはどんどん作っていけ』という方なので、師匠に見ていただきたい思いもあって少し早めに踏み出してみました。

 本人型に定義があるわけではなく、独創的に一から作ることもあれば、師匠のこけしの一部分を少し変えたものをそう名付けることもある。私は先人に敬意を表する気持ちも込めて、師匠や師匠のおじいさん、ひいおじいさんの要素というように、3〜4人の先輩方の要素を一部分ずつ拝借してミックスさせ、さらに胴の部分の模様はオリジナルで考えました。赤、黄、緑、紫をまっすぐなろくろ線ではなくランダムに絡み合うような組み合わせで描く感じです。これが最初の本人型で、その後、いくつかのパターンの本人型を作っています」

令和元(2019)年から作りはじめた“高田稔雄本人型”のこけし。

 

 ○○型と肩書のようにつくのは伝統こけしとして出品するときだ。伝統こけしの中に高田さんの型が組み込まれたのである。

「時代が変われば求められるものも変わるのでしょうが、私はやっぱり伝統こけしの意味や形式を大切にしていきたいですね」

 こけしの世界はなんとも奥深い。ただ、昔から手にとった人に寄り添い、心を癒やす存在であったことは変わらない。高田さんのこけしはこれからも人々に愛され続け、その底流には伝統の味わいが灯り続けていることだろう。

若くして最高賞を受賞したため逆に苦労も多かったという。だが、こけし作りに向き合う高田さんの顔はあくまでもさわやかだ。

 

 

 

高田稔雄 (たかだ・としお)

1973年生まれ。仙台市出身。弥治郎系こけし工人。大学卒業後、造園業や印刷会社勤務などを経て2014年、会社を辞めて工人の道へ。佐藤慶明工人に師事する。同年白石市の地域人材育成事業に採用され、弥治郎こけし村で複数の工人から指導を受ける。慶明型、幸太型、今三郎型を手掛け、現在は本人型の製作も行う。2017年、全日本こけしコンクールで最高賞である内閣総理大臣賞受賞。伝統こけしとともに創作こけしにも意欲的に取り組んでいる。

インスタアカウント:@kokeshi_takada

取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

 

 

 

 

 

 

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