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コレクターから工人へ こけしの世界に魅了されて(前編)
(伝統をあやなす人 VOL.3)

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こけし工人 高田稔雄さん

2021年1月13日更新

 受け継がれてきた「伝統」で、新しい世界を表現する。
 連載「伝統をあやなす人」では、文化や芸術、芸能など「伝統」という表現方法で、“今”を描くアーティストのみなさまにお話をうかがいます。

 こけしを知らない日本人はいないだろう。
 こけしを作る職人をこけし工人という。高齢化が進む工人の世界に、会社員の生活を捨てて飛び込んだ人がいる。伝統を受け継ぐとともに新しい世界にチャレンジしている高田稔雄さんだ。
 高田さんのこけしに対する思いと、伝統と創作について2回にわたりお話を伺った。

 

 


ろくろに取り付けた小寸(小さいサイズ)のこけしの頭に、弥治郎系の特徴である丸を描いている高田さん。

 

こけしは現在“第3次ブーム”

 こけしの歴史は古い。平安時代に惟喬(これたか)親王が木地師たちにろくろ技術を指導し、その後、全国に散った木地師たちが各地でお盆などの木地ものを作るかたわら、だるまやこけしを作り始めたのが発端とも言われている。こけしが人気を集めるようになったのは、江戸時代に庶民の間で湯治が流行り、みやげものとして買い求めるようになってからだ。
 東北を中心とした郷土玩具としてのこけしは、現在東北6県(青森、秋田、山形、岩手、宮城、福島)で11系統――土湯系、蔵王高湯系、山形系、肘折系、弥治郎系、遠刈田系、作並系、鳴子系、南部系、木地山系、津軽系――に分類されている。系統それぞれに特徴があり、そのスタイルを踏まえて製作されるものを「伝統こけし」と呼ぶ。
 こけしは今までに3度ブームとなっている。第1次ブームは戦前で、知識人を中心としたコレクターを産んだ。第2次ブームは昭和30年代、高度成長期に温泉場のみやげものとして重宝される一方で、美術品のような扱いともなり、各地で蒐集家も誕生した。
 一方で、平成22(2010)年辺りからじわじわと広がってきたのが今も続く第3次ブームだ。これを牽引しているのは若い女性たち。こけしを連れて歩き、カフェや旅先でこけしの写真を撮りInstagramなどSNSにアップし、同好の士と交流する。人気なのは多くの場合小寸(小さいサイズ)でかわいい意匠のこけしである。これらは「創作こけし」と呼ばれている。


高田さんの創作こけし。猫やパンダを抱っこしているシリーズは大人気で、お客さんから直接オーダーが来ることも多い。

 

 高田稔雄さんは、修業をして宮城県白石市鎌先温泉・弥治郎系こけし工人となった人だが、女性ファンに人気の創作こけしも数多く手掛けている。もともとは蒐集家だった。あるときふと手にした姫だるまがきっかけで、各地の伝統こけしを集めるようになった。しかし、どこの生産地でも後継者がほとんどいない現状を知り、41歳のときにこけしの世界に飛び込んだ。当時勤めていた会社をきっぱり辞めて、という潔さである。


にこやかにお話ししてくださった高田さん。持っているのは“高田稔雄本人型”のこけし。

 

 「私はこけしのコレクターでしたから、その時点でだいたい1000体ぐらいのこけしを持っていたし、歴史も自分なりに勉強し、11系統のこけしそれぞれも見ていました。この世界はいったん弟子入りしたら師匠を変えることはできません。さあ、弟子入りをと考えたとき『自分はどんなこけしを作りたいのか?』と自らに問い、一番好きなこけしを作っている佐藤慶明(よしあき)師匠にお願いしました。平成26(2014)年のことでした」
 弟子となったものの、折悪しく慶明さんは体調を崩しており、工房で師匠が作業する後ろ姿を見て学ぶことはできなかった。しかし後継者対策に取り組んでいる白石市の「地域人材育成事業」に採用され、弥治郎系の拠点の1つにもなっている「弥治郎こけし村」でほかの師匠たちから木地の扱いなど基礎を学ぶ形で修業がスタートしたのである。


修業時代の高田さん。工人としてのデビュー間際のころ。

 

 「通常3年の修業期間が、このときは事業の都合で1年半しかなかったんです。今思うと、この修業期間が短いことがいちばんつらかった。3年で学ぶことを半分の期間で習得しなければならないので、休みも取らず、平日も夜中まで作業し続け、とにかく技術を身につけることに必死でした。こけし村で指導を受けつつ、削ったものや描彩したものを慶明師匠のもとへ持っていって『ここはこうしたほうがいい』など口頭での指導を受け、また製作する……そんな日々でした」

 こけし作りは基本的に工人1人が一貫して製作する。木の仕入れから製材、鍛冶道具づくりと調整、ろくろ回しと削り出し、描彩、ろう引きといった過程をすべて一人で行っていく。つまり、覚える工程がほかの民芸品に比べて非常に多いのである。その工程を1年半で覚えなければならないのは相当に大変だったと思うが、やり遂げたのは高田さんに「伝統こけしを次世代につなぎたい」という強い思いがあったからだろう。

  「平成28(2016)年3月末に修業が終了。師匠から慶明本人型と、幸太型(※注1)の製作を認めていただき、4月からは市販も許されました。自分としては他の仕事をしながらでも修業を続けたかった。しかしデビューすることになり、5月には弥治郎こけし工人会に入りました。全日本こけしコンクールで販売する予定のこけし300本を作ったのが最初の作品となりました」

※注1 ○○型というのは伝統こけしの特徴の1つで、その系統のスタイルは守りつつ、工人本人が工夫を加えたものがその工人の「型」となる。「慶明本人型」は師匠である佐藤慶明、「幸太型」は明治時代の工人、佐藤幸太のものである。佐藤幸太の型を写して作った作品は「幸太型」となる。

 


高田さん所有の慶明本人型(左)、幸太型(高田さんご提供)

 

デビュー1年で最高賞受賞 感じた戸惑いと恐ろしさ

 師匠から工房を受け継ぎ、一人の工人としてこけしと向き合う生活が始まった。材木の仕入れから始まり、樹皮はぎ、乾燥、製材、製作するサイズに合わせて旋盤で円柱状に整えるところまで下準備を整えながら製作を始めていった。
 「私が使うミズキという木は皮を剥いでから半年から1年乾燥させなければ使えません。乾燥後もろくろに取り付けるまでには材を四割にし、角を取り8角形にし、旋盤にかけて円柱状にする作業があります。そして、ろくろに木を取り付けて自分で調整した鉋(かんな)など鍛冶道具で形を削り出していくんです。弥治郎系は頭と胴を別々に作り、描彩もそれぞれ行ってから最後に差し込んで完成させます(注:小寸は頭をつけた形で作る)。
 工人さんによっては製材まで外注する方もいますが、私は木地の工程も全部自分でやるタイプ。現役の間はそうやっていくつもりです」


作るこけしのサイズに合わせて製材していく。気を緩めると危険も伴う作業だ。

 

 まさに段取り八分の仕事なのである。よく動画などで目にする描彩は、ほぼ最後の工程だ。しかし、頭を差し込んで完全に終わるまで油断は禁物と高田さんは言う。

 「目など墨を使うところを最初に描き、赤や黄、緑、紫を使う模様は後に描きます。ああ、いい目が描けた、いい顔になった……と思ったのに、色を使って描いているときに失敗することもあります。だから、もうあとちょっとで完成するというところまできたときがいちばん楽しい。頭を胴体に差し込んで一体にするとまた印象が変わり、そのときに『これはいいこけしになるぞ』と思えたときはうれしいですね」


面相筆で顔や髪を描いていく。この素朴なかわいらしい顔が“こけし女子”に人気だ。

 

    修業が報われたのは翌年だ。平成29(2017)年の「全日本こけしコンクール」に出品した幸太型の作品が、最高賞である内閣総理大臣賞を受賞したのである。デビューして1年の新人の受賞は世間を驚かせた。本人も思ってもみなかったそうで
 「うれしいよりも戸惑いと恐ろしさのほうが大きかったです。修業の期間が短かったし、自分もこけしファンだったんで分かるんですけど、きっとこけしファンの人たちは『デビュー1年で受賞!?』って思うだろうなとか……。でも、自分の名前を知っていただくきっかけにはなりましたし、賞を取ったプレッシャーをバネにしてがんばってこれたということもあります」


染料は古くから使われている水性染料と近年使われるようになった染料(食紅)を、作るものによって使い分ける。古い染料はだんだん手に入りにくくなっているそうだ。

 

伝統と創作、双方からの注目を集める

 伝統こけしの世界に飛び込んだ高田さんだが、一方で創作こけしでも若い世代や女性からの人気を集めている。そのポイントは「新しさと伝統の融合」にあるようだ。

 ファンの一人で、ほかの工人のものも含め150本ほどのこけしを所有しているという、ころみさんは、高田さんのこけしの魅力をこう語る。
 「髪型やお顔には伝統こけしの要素を残しながらも、食べ物や飲み物、風景などを素敵にインスタ映えしそうな形に落とし込んでいるところが魅力ですね。伝統こけし工人としてのプライドを持ちながら、時代に合わせた新しいこけしを次々作る姿に魅力を感じます」


ころみさん所有の高田さん作品(ころみさんご提供)。

 

 また、伝統こけしと創作こけしを販売している通販「CAROL」オーナーの財津直子さんは、「高田さんのこけしの魅力はふんわりしたやさしい雰囲気や、懐かしい可愛らしさを持っているところでしょうか。また、工人の姿勢として、伝統に基づいた確かな技術をお持ちであることに加えて、常に貪欲に新しいことに挑戦し続けている姿勢が作品にも現れていて、そこが最大の魅力だと思います」と話してくれた。
 伝統の手法を用いた新しいこけし。後編では、伝統を守りつつ、どのようにして新しい挑戦を続けているのか、高田さんに伺っていきたい。

高田稔雄 (たかだ・としお)
 1973年生まれ。仙台市出身。弥治郎系こけし工人。大学卒業後、造園業や印刷会社勤務などを経て2014年、会社を辞めて工人の道へ。佐藤慶明工人に師事する。同年白石市の地域人材育成事業に採用され、弥治郎こけし村で複数の工人から指導を受ける。慶明型、幸太型、今三郎型を手掛け、現在は本人型の製作も行う。2017年、全日本こけしコンクールで最高賞である内閣総理大臣賞受賞。伝統こけしとともに創作こけしにも意欲的に取り組んでいる。
インスタアカウント:@kokeshi_takada

 

 

取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 広報課

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