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時代の先取り、教育インターンシップ。人間開発学部が目指す教師像とは

カリキュラムを受け入れるだけでなく、自分らしい学びを見つけてほしい

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國學院大學 人間開発学部長 田沼茂紀

2017年6月26日更新

「人間開発学部」は主に教育者、保育者、スポーツ指導者などを輩出している学部です。しかし、なぜ一般的な「教育学部」という名前ではないのでしょうか? そのヒントは、学部長が発した「自己実現にスタート地点は関係ない。大事なのはそこから実現していくためのステップ」という言葉にあります。実際、そこには教職を目指していたけれど企業に就職した卒業生や、スポーツにしか興味がなかったのに教職を目指し始めた学生など、さまざまな人たちのドラマがありました。そんな人間開発学部がいまの教育界や、関連企業が求める人材をどのように「開発」していくのか、小学校教師の経験もある田沼茂紀学部長に熱く語っていただきました。

 

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なぜ國學院大學は「教育」ではなく「人間開発」なのか?

―まず、人間開発学部の学部長という立場から、いまの社会をどのように捉えているかをお聞かせいただけますか?

田沼茂紀学部長(以下、田沼):いまの社会は3年先、1年先すら予測しがたい時代になる一方、情報化によって明日や明後日の出来事は詳細にわかるようになりました。そしてグローバル化によって海外での思わぬ出来事が国内に影響を及ぼすようなことも起きています。いまの子どもたちが大人になる20年後30年後の世界は、われわれの想定を超えるものになっていることでしょう。

このような世界では、知識を蓄えてもすぐに陳腐なものになってしまいます。そこで必要なのは、得た知識や情報を「活用する能力」と、どんな時代でも「自分自身の資質を発揮できる力」を養うことだと思います。

―人間開発学部はそのような社会状況で、どのような役割を持っているとお考えですか?

田沼:主体的・能動的な人間を育てることです。そして、そのような人たちを育てることのできる人材を輩出することが私たちの使命です。人間開発学部の教職員は、研究者ばかりでなく、教職経験者や実務家教員もいるため、多面的・多角的な視点で学生の「資質・能力の開花」を促すことに注力しています。

―人間開発学部という名前は非常に特徴的ですよね。「教育学部」ではなくこのような名前になっているのには、どのような背景があるのでしょうか。

田沼:「教育」というのは受動的だと思いませんか? 教える側から学ぶ側への一方通行ですよね。しかし「開発」という言葉には、そうした一方通行のニュアンスはありません。自分で自分を開発することもできますし、他者からの働きかけで自分を開発することもできます。つまり、「開発」は双方向的であり能動的な言葉です。「人間開発」という言葉をあえて使っているのは、まず学生自身に主体的であってほしい、そのうえで他者の資質・能力を見出し、能動性を活かすような教育者、保育者、スポーツ指導者などになってほしいという願いを込めているのです。

―中学校や高校の先生には、國學院大學出身の人が多いそうですね。

田沼:戦前に中等教育教員養成が認可されていたことから、本学はいまでも「教職の國學院」と呼ばれています。その伝統があって、いまでも全国の中学、高校の教職員は、國學院大學出身の人が圧倒的に多いです。どの学校に行っても、だいたい1人や2人は國學院出身者がいます。

人間開発学部は、幼稚園・保育園から高校まで幅広い学校種の免許や、保育士あるいはスポーツ関連指導者などの資格を取得することができます。さらに2017年4月からは特別支援学校教論1種免許状(知的障害者・肢体不自由者・病弱者)が取得できるようになりました。昨今の教育現場では「学校生活のなかで生徒自身が不自由を感じていれば、それは特別支援教育の対象である」と考えられています。そのような社会の状況変化から、特別支援学校教論免許が非常に求められているのです。

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他大学に先駆けて導入した教育インターンシップ制度

―普段の授業ではどのような工夫をされているのでしょうか?

田沼:よくある講義形式ではなく、少人数授業にすることで教員と学生の距離が近くなるように工夫しています。1年生に関しては、きめ細やかな指導体制を整えるために、学生10人前後に対して指導教員が1人つく「ルーム制」というシステムをとっています。そして3年生後期からは専門別教員のゼミに所属し、学科の枠組みを超えて発展的な内容を学ぶプログラムになっています。

―教員養成系の学部ですから、教育実習などもやられていますよね。

田沼:もちろんです。しかし本学部はそれ以外にも特徴的なプログラムをいくつも用意しています。その一つが毎年10月に開催している「共育フェスティバル」です。これは学生が地域の子どもたちと一緒に遊んだり学んだりするイベントで、サークルやルームなどの単位でさまざまな制作や体験活動をしています。ほかにも、学部内の音楽サークルでは子どもたちに向けて通年で行う演奏会「ミュージックキャラバン」を開催。それから絵本の読み聞かせをしているサークルが開く「絵本キャラバン」など、学生たちが地域と向き合い、自らの学びを広げていく取り組みを多数展開しています。

―いろいろな角度から子どもたちとふれあうことで、教員になろうという意欲が向上しそうですね。

田沼:しかし、子どもとたちとふれあえば現代社会が求める教員養成ができるかというと、それだけでは不十分です。本学部では2年生から「学校インターンシップ」というプログラムを用意しています。地域における教育ボランティアの一種なのですが、参加すると一定条件を満たせば単位取得ができる制度です。これは、地域の学校で教師の手伝いをしつつ、子どもたちとふれあって実践的に学校教育を学ぶというものです。要は教育実習のプレ体験版ですね。

2016年の教育免許法改正により、今後はこの「学校インターンシップ」を教育実習の一環として認められることになりました。今後はさまざまな大学が同様のプログラムを取り入れると思いますが、本学部は8年前から先駆けてやっているのです。

―人間開発学部の取り組みが一つのモデルケースになっているとも言えそうですね。

田沼:そうですね。これらのプログラムは教員養成にはとても効果的だと思います。教員養成系の学部とはいえ、やはり入学したばかりの学生は、教師になろうという強い気持ちは持てません。だからまず、教育ボランティア活動や共育フェスティバルで子どもたちと関わってもらう。2年生以降は教育インターンシップを通じて学校や現場の教師と関わってもらう。そして3年生で教員免許などの取得の基礎となる実習を、4年生で副免許や資格取得のための教育実習などを受講する、という実践的学びをつくっているのです。

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「教育養成系の学部」という方向性に引きずられない柔軟性を養うことも大切

―他学部の学生にとっての教員免許は、念のために取っておくもの、というイメージがあるのですが。

田沼:「人づくりのプロ」を育てる本学部においては、オプションで教員資格などを取得するという発想はあり得ません。しかし教員養成系の学部だからと言って、「学生はみんな教育者にならないといけない」という発想は適切ではないと思っています。

―なぜでしょうか?

田沼:私たちは入学当初から学生たちに繰り返し言います。「どうしても自分は教職に向かないと思った人は、そこから自由に進路を変更してください」と。自分の適性や資質を見極め、これだと思ったことを実現する能力を開発できるようにするのが人間開発学部の役割です。

自分の選択肢を広げることはとても大事だと捉えています。実際、教師以外の道に進んだ人もいます。教職課程の単位を取るのですが、4年生のときに「やっぱり別の仕事がしたい」と言って、就職活動を始め、大手玩具メーカーに就職した卒業生がいます。その後の話を聞いていると、自分の選んだ道に満足している様子でした。

―教職以外の道に進むこともありだということですね。

田沼:教員養成系学部としての方向性に引きずられて成り行きで教職を目指すよりはいいと思います。学生にはいろいろな可能性を求めて納得する道に進んでほしいと願っています。そのためには狭い視野にとらわれず、幅広い経験をする必要があります。つまり、臨機応変さと柔軟性ですね。

その思考を育むために、本学部では夏休み明けに総合講座という3泊4日の合宿を行っています。そこでは想定外の事態に遭遇し、計画を変更せざるを得ない状況に直面します。そのときにどう行動するのか、臨機応変な対応が迫られるのです。

―「臨機応変」の大切さを体験的に学ぶ機会を設けているのですね。

田沼:想像もしなかった事態に遭遇したときにどう対処するのか、そして柔軟性のある集団行動を体験できることが、このプログラムの重要な役割だと思っています。子どもたちの命を預かる仕事でもある教職や保育者などにとっては、絶対に必要な体験学習だと考えています。それにもちろん、この経験は教職だけではなくどんな職業でも役に立ちますよね。

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「必要とされていない」と考える若者が急増したのは、近年の子育て環境や教育現場にも問題がある

―人間開発学部では設置理念として、「個人の存在」を「尊在」と「損在」というキーワードで表しているそうですね。「自分は必要とされていない」とか「なぜ自分は生きているんだろう」とか悩むのが「損在」とのことですが、こういった人は増えているのでしょうか?

田沼:自分に自信を持てない人が増えているのは事実です。それはなぜかというと、「自分自身のことをよく知らない」「自分のことについて、とことん考えることをしない」から。いまの若者たちは、自分自身の長所や良さに気づけない、あるいは気づけるようなチャンスを教育現場で受けていないという部分があるからだと私は思うのです。

人間開発学部は、保育士やスポーツ指導者など、さまざまな地方自治体で活躍する人も多数輩出しています。自分の特性に気づくことさえできれば、多様なシーンで大いに活躍できるのではないかと思います。そうすることで、損をする「損在」から、尊ばれる「尊在」を目指しているのです。学生は学部の都合で学んでいるのではありません。われわれ教員は、学生が自らの特性に気づけるような指導をし、学生が自己実現できる道に進めるよう、サポートすることを心がけています。

―その実現のために、田沼先生は学生に何と伝えているのですか?

田沼:自分の人生を自己実現できるような存在になってほしいという思いを込めて、学生たちに「明日(あす)は青空」と言い続けています。今日が土砂降りの雨であっても、それはいつまでも続きません。やがてまばゆい青空が広がります。人生も同じで、晴れの日が来ないことはありません。そのようなことを思えば、「明日は青空」を胸に刻んできっと頑張れると思うのです。

人生はスタート地点の能力よりも、そこからのステップアップが大事

―田沼先生は小学校の教師をされていたということもあり、こうしたお話をされることが多いのでしょうか。

田沼:私は新入生にいつもこう言っています。「あなたの夢はなんですか? その夢を一緒に叶えましょう」。いま3年生で、スポーツ推薦で入学した学生がいます。彼は勉強よりもスポーツに夢中になっていたのですが、あるとき挫折して、大学をやめたいと相談してきました。そこで私は、とりあえず彼の出身地で教育実習をやってみることを勧めました。すると彼はそこで、子どもたちと関わることの楽しさや教壇に立つことの意義に気づいたとうれしそうに語ってくれました。

彼はいま、一生懸命、教員採用試験に向けた勉強をしています。1年前まではスポーツしか興味がなかった学生が、違う夢を叶えるために頑張っている。人は誰しも自分の夢が持てたら、それを叶えるために頑張ることができます。人間開発学部の教員は、教育者などを目指す学生と一緒に夢を追っています。それだけ教員も熱いのです。

―教員が熱いというのは、お話を聞いていてよく伝わります。そこでお聞きしたいのですが、田沼先生はゆとり教育についてはどのように思われますか?

田沼:教育観というのは時代によって変わります。義務教育学校の児童生徒を対象にした「PISA(国際学習到達度調査)」などで日本の順位が下がっていると、あわてて昔のスタイルである知識量の拡大に遡行していこうとすることもありますよ。しかし私は、「つめこみ」か「ゆとり」かという二項対立なステレオタイプな発想は陳腐だと思っています。

授業時数が多ければ、どの子どもも優秀になれるのかといえばそうではありません。そこでは俗にいう「ゆとり教育」が始まり、総合的な学習時間などを増やし、主体的・能動的な子どもを育てようとしました。ところが、その理念は結局うまくいきませんでした。

なぜかというと、総合的な学習時間などの準備で先生が忙しくなってしまったことも要因ですが、何と言っても主体的・能動的な学びを経験してこなかった教師には、その理想現実が難しい課題だったからです。教師自身がもっとアクティブ・ラーナー(能動的学習者)であったら、子どもたちもアクティブ・ラーナーになって、まだ本人も知らない人生の伸びしろを広げていけるかもしれません。

―どうでしょう、昔の学生といまの学生で違いを感じたりしますか?

田沼:まったく感じたことがありません。むしろ「一人ひとりが何を学んでいくのか」ということにいまも昔も興味があります。私は道徳教育や教育カリキュラム論などの教育学が専門なので、スタート地点での能力値よりも、そこからどのように教育プログラムを主体的に組みながら自分を育てていくか、人格を形成していくかというほうに興味があります。誰でもどんな人でも、自己実現することは絶対に可能なのです。これからも、人間開発学部は学生たちが自分の夢を見つける場所、自分の夢を叶えられる場所であるように、全力で努力していきたいと思っています。

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