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浪曲界のワンダーボーイ・玉川太福が作る新しい浪曲とは?(前編)
(伝統をあやなす人 VOL.1)

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浪曲師 玉川太福

2020年9月11日更新

 文化や芸術、芸能など、受け継がれてきた「伝統」で、新しい世界を表現する。
 新連載「伝統をあやなす人」では、「伝統」という表現方法で、”今”をえがききるアーティストのみなさまにお話をおうかがいします。
 記念すべき第1回のゲストは、浪曲界の若き旗手、玉川太福さんです。
 
 浪曲は知らない。でも、玉川太福は知っている。そんな人が増えています。戦後、娯楽の花形だった浪曲。その人気が消えかかっていた近年、浪曲に新しい命を吹き込んだのが玉川太福さんです。太福さんが生み出す新作は、「これが浪曲になるの?」と思うような、日常と地続きの小さな話。一方でドラマチックな古典の口演(もしくは、継承 でも)にも余念がない。“浪曲界のワンダーボーイ”との呼び声も高い太福さんが繰り出す、“古くて新しい浪曲”について2回にわたりお話をうかがいます。
 
 
 
玉川福太郎の舞台に衝撃を受け
浪曲の世界に飛び込む
 
 浪曲は明治に生まれた芸能である。落語、講談、浪曲を「日本三大話芸」というが、奈良・平安時代に端を発するといわれる講談、江戸時代に成立したといわれる落語に比べ、浪曲は歴史が浅い。
 
 〽旅ィゆけば〜、駿河の道に茶の香りィ〜 
という、ある程度以上の年齢の人なら知っているこの「節=うなり」と、「お前さん、江戸っ子だってねぇ、すし食いねぇ」といった切れの良い「啖呵=セリフ」が浪曲の特徴だ。さらにそこに曲師による三味線の伴奏が入る。〽旅ィゆけば〜(チャチャン)駿河の道に茶の香りィ〜(チャチャチャン イヨォ)……といった具合で、話の盛り上がりに三味線は欠かせない。
 
 

身長183cm、元ラガーマン。立つだけで絵になる。
 
 その浪曲のスタイルは、他の芸能の“いいとこ取り”だとも言われる。洒脱軽妙な会話で話をすすめる「落語」と釈台を張り扇でババンバンバンと叩きながらリズミカルに畳み掛ける「講談」、それぞれのエッセンスを取り入れているといわれる。
 戦前、戦後を通して浪曲で語られる題材は講談から取り入れたネタが多く、歴史上のできごとや軍記物、人情噺などを中心として、ドラマチックな話で感動、涙を誘うエンターテイメントだった。浪曲のレコードが飛ぶように売れ、浪曲を流すラジオに人々がかじりついていたのは昭和30年代前半。しかしテレビの登場とともに徐々に人気は低迷し、一部の熱心なファンのみに支えられている状態が長らく続くなか、新しい浪曲の世界を切り開いたのが玉川太福さんである。
 その代表作が「地べたの二人」だ。
 
 
 「『地べたの二人』は電気会社の作業員2人が、何気ない会話をするだけの話です。しかも話している内容は『今日で働いて何年? はい、まる10年です。そっか、10年か……あれ? 10年とまる10年って違うの?』とか、『それ、何?からあげです。え、なにかかかってるけど……。あ、タルタルです。からあげにタルタル!?からあげにタルタル……〽︎食べてみたぃぃぃ』とか本当になんでもないようなこと。昭和に流行った浪曲とはぜんぜん違う世界です」
 そもそも昭和54(1979)年生まれの太福さんが、おそらくはそれほど身近ではなかったであろう浪曲の世界に入ったのはなぜなのだろう。聞くと子どもの頃からお笑いが好きで、もともとはお笑いの世界に身を置きたくて、コントの台本を書いていたという。
 
 

ふらりと街に出て、考え事をすることも。
 
 「大学を出て(それも法経学部でお笑いとは関係ない)、放送作家事務所で半年働いて、その後はコントの台本を書いたり、自ら舞台に出たりしていました。その頃、縁あって俳優の村松利史さんに懇意にしていただいて、浪曲に連れていってもらったんです。その時の浪曲師が玉川福太郎。表情も、節(うなり)も啖呵(セリフ)も、聞き慣れないから何言ってるかよくわからないのに、声のドデカさやリズムに惹きつけられて。半年くらい通い続けるうちに『自分が浪曲やったらどうなるだろう!?』と思い、弟子入りしたんです」

どんな質問にも、テンポよくお話をしてくださる太福さん。
 
 福太郎師匠の浪曲は、声の大きさやうねり、変幻自在の表情によって、観客席からはときおり顔だけがドーンと大写しになるかのようにさえ見え、その迫力で広く知られた。
 物語はよく分からなくても、その迫力とリズムにすっかり魅了されてしまったそうだ。そう言われてみると、太福さんの声のハリやうねり、顔が飛び出してくるような迫力は、福太郎師匠からしっかり受け継がれている。
 太福さんが、福太郎師匠に弟子入りしたのが、平成19(2007)年3月のこと。ところが思いもかけないことが起きた。わずか3か月も経たないうち、福太郎師匠が不慮の事故で他界してしまったのだ。
 それでも「辞める」ことは考えなかった。いろいろな師匠のもとで研鑽を積み、また福太郎師匠の奥様でもある曲師(三味線で浪曲の伴奏をする人)の玉川みね子師匠、五人の姉弟子に支えられながら、同年11月、浪曲師としてデビューを果たす。演目は赤穂義士銘々伝「不破数右衛門の芝居見物」、古典である。
 「入門時から、いずれは新作を作りたいと思っていました。でもいきなりできるもんじゃありません。まずは古典をしっかり身につけるべきと、3年間古典だけに集中しました。新作を披露したのは4年目に入ってからだったと思います」
 
 
絶妙な言葉選びが爆笑を誘う
「刺繍の色はオレンジ色」
 
 そうしていくつかの新作のあと、代表作「地べたの二人」が誕生する。見回せばそのへんにいくらでもありそうな日常の風景が、ドラマもなく淡々と過ぎていく物語なのだが、なぜか爆笑が止まらない。
 「地べたの二人」はシリーズものだが、登場人物はいずれも男二人(50代のサイトウさんと、30代のカナイくん)。二人の微妙な会話のズレ、ディスコミュニケーションが爆笑を誘う。これは、文字起こししてもそのおもしろさは伝わってこない。ぜひ生で聞いていただきたい。
加えて絶妙なリアル感を醸し出す細かい描写も特徴だ。
 
 
 外題付(物語の導入部)にある、
 
 〽港に近いアスファルト 雲ひとつない空の下 同じグレイの作業着で 胸に「日の出電気」と刺繍がある 刺繍の色はオレンジ色
 
 この絶妙な言葉の選び方、刺繍の色はオレンジ色と言われた瞬間、誰の頭にもよく見かける作業員の姿形がぱっと頭に浮かび、笑いを誘う。
 
 「古典では外題付で 〽時は何年、ところはどことか、登場する武士とか侠客(きょうかく)や物語の概要を説明するんですが『地べたの二人』でサイトウさんもカナイくんも説明が必要な人ではないので、じゃあ、着てるものとか刺繍を語ろうかと……。でもこれも実際は手探りでした。もともと、コントを書いていた時代に村松利史さんにいろいろアドバイスをいただきながら作ったものがあって、それが下敷きになっています」
 
 浪曲を浪曲たらしめる「節」(うなり)に、なんでもない風景、人、会話をどうやってのせていくか。啖呵(話)の部分でも、文字で読んだらなんでもないような些細な会話が、微妙にすれ違っていくさまをどう伝えていくか。試行錯誤の繰り返しだった。
 
 「村松さんには『10年と丸10年って違うの…?』って、それだけの話(シリーズ第一作『10年』)をどうやってうなりにのせていくかなど、いろんなアドバイスをいただきました。
 またこの演目は村松さんだけでなく、お客様とも一緒に作っていった作品でもあるんです。『〽刺繍の色はオレンジ色ぉぉぉ』ですが、これは渋谷らくご(注)でやったときにその部分で驚くほどドーン!とウケたんで、こっちがびっくりしました。さらに『〽サイトウの漢字は難しい方ッ!』という部分がありますが、そこでまたドカーンと受けて。『ああ、こういう感じがおもしろいと思っていただけるんだ』と口演しながら反応を見ていく。お客様との確認作業みたいに、次々アップデートしていった感じです」
 

 
 
浪曲にはルールがない
だから可能性に満ちている
 
 演じる場の空気は毎回違う。太福さんは落語の寄席や全国各地での落語会にも出演し、ときには大人気師匠目当てにやってきた1500人もの観客の前で、色変わりとして出ることもある。落語目当てのお客さんが「誰だろう?」と訝しげな目で見ているなか、与えられた15分で場を作り、ワッと場を盛り上げて次の師匠につなぐという、ヒリヒリする場面もこなしてきた。
 「そういう場には老若男女がいらしている。場数を踏むと、若い人だけじゃなくておじいちゃんやおばあちゃんも『おっ、ここを押せば笑ってくれるんだ』と分かってくるんです。だからいまでは『地べたの二人』はご高齢の方も楽しんでくださるものになりました」
 

photo by bozzo
 
 じつは、浪曲はもともと「こうでなければいけない」というルールがほとんどない、非常に自由度が高い芸能なのだそうだ。義太夫や新内節(しんないぶし)、民謡なども取り入れられてきたし、演目内容も縛りはなく、時事ネタばかりか天気予報まで題材にした先輩もいたという。
 「昨年『地べたの二人』の新作『愛しのロウリュ』で、自分がハマっているサウナを題材にしたんです。サウナで最近人気のアウフグース(熱した石に水をかけ発生した水蒸気をスタッフがタオルであおぐこと。たちまち大汗が出る)の振りをするのに、テーブル掛けを外してバッサバッサとあおぎました(笑)。そのぐらい自由な演芸なんです。むしろ、口伝で決まった型しかやれないものだったら、一般大衆に受けることはなかったと思います。自由であるからこそ、時代とともに進化したし形を変えてきた。だから浪曲はまだまだ可能性に満ちている。表現できる幅がある演芸だと思います」
 
 
 根底には「初めて浪曲に触れる人がいることを絶対に忘れない」という信念がある。
 「できるだけ、敷居を低く、初めての人がフラッと予備知識なく聞きに来ても引き込まれて『楽しかった!』って思っていただけるようにしたいです。コアな常連さんだけが聞きに来て、演じる方も『〇〇さん、いらっしゃい』って内々だけの世界になると、いろいろなものが狭まってしまう気がします。
 師匠の福太郎や、私が尊敬する先人たちはみんな『この会場に初めて聞く人、浪曲を知らない人がいる』ことを必ず思いながら口演して、この世界を広げようとなさってました。
 福太郎なんて、少し浪曲に興味があるお客さんを見つけると『お兄さん、浪曲やらない?』ってスカウトしてましたし、『書けるでしょ、台本書いてみたら?』なんて台本まで書かせてましたから(笑)」
 だからこそ、いま、笑いに敏感な人たちは「浪曲がキテるぞ」と注目しているのだろう。
 後編では、浪曲の醍醐味と、古典と新作それぞれに対する太福さんの思い、そして将来について伺ってみたい。
 
※注)渋谷らくご……東京の渋谷にある「ユーロスペース」で定期的に開催されている初心者向けの寄席。毎月第2金曜日から5日間連続で開かれる(http://eurolive.jp/shibuya-rakugo/)。
 

玉川太福
たまがわ・だいふく。1979年新潟市生まれ。第1回渋谷らくご創作大賞、第72回文化庁芸術祭・大衆芸能部門新人賞受賞。2007年玉川福太郎師匠に入門。「地べたの二人」などの創作で注目を浴びる。瀧川鯉八、春風亭昇々、立川吉笑の若手落語家との創作話芸ユニット「ソーゾーシ−」で全国ツアーを行ったり、FMラジオ「ON THE PLANET」でパーソナリティを務めたりと、浪曲の世界にとらわれず、様々なシーンで活躍中。
 
 
 
取材・文:有川美紀子 撮影:庄司直人 編集:篠宮奈々子(DECO) 企画制作:國學院大學
 
 

 

 

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