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【先輩に聴く】視野は広く興味を持って資料にストーリーを

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杉並区立郷土博物館分館学芸員 森泉 海さん(平20卒・116期神文、平22修・118期博前史)

2020年7月29日更新

 國學院大學は創立以来15万人を超す「院友」を世に送り出し、その活躍の場は多岐に及びます。新型コロナウイルスのため学びや暮らしが大きく変わろうとする今、社会の最前線で奮闘する院友も多くいます。今回は「先輩に聴く」と題して、本学の神道文化学部と大学院文学研究科で学び、現在は東京都杉並区立郷土博物館分館で学芸員として働く森泉海さん(平20卒・116期神文、平22修・118期博前史)にお話を伺いました。森泉さんは好きな野球をテーマに数年前から展示の企画を進めてきましたが、コロナ禍による臨時休館に見舞われました。しかし、思わぬ展開もあったそうです。森泉さんの〝ストーリー〟とは・・・。

――高校野球がテーマの企画展を開催しているが

森泉 東京都杉並区は明治以降に発展した土地で、私の研究分野である近現代と中学までやっていた野球をテーマにした展示をしたいと考え、区内にあった上井草球場を本拠としたプロ野球・東京セネタースについて数年前から調べていました。範囲を広げるため高校野球を調べると、杉並区から4校が夏の甲子園に出場し、京王商業(現専修大学附属高校)が「幻の甲子園」と呼ばれる昭和17年の大会に出たことも分かりました。令和元年の大会に国学院久我山高校が出場したというタイミングもあって企画展「杉並の高校野球 春夏熱闘の記憶 幻の大会から令和の大会まで」の開催に至りました。コロナ禍で今年の大会も「幻」となりましたが、本展示で楽しんでいただければと考えています。

 展示がマスコミで紹介されると、幻の甲子園に出場された方から当時のスコアブックを提供していただくことができ、展示に厚みを持たせることもできました。この仕事をしていると、「人の縁」に助けられることが多いですね。特に各地の博物館で活躍している院友の学芸員とは資料の貸し借りなどで交流が盛んですし、地元でも神職をはじめ院友に出会うことがあり「○○期卒業です」という話をすることがあります。

 

――印象に残った事例は? 仕事では何に気をつけていますか

森泉 学芸員は内向きの仕事と思われがちですが、時には大きな資料を運搬したり力仕事もあります。たくさんの資料の中から残すべき物を選別し抜き取るのですから、それなりの知識と体力がないと対処できません。昔の村長さんのお宅から「蔵を壊すから調べて」と依頼があった際には、村長当時の資料や講元を務めていた富士講関係の資料などを見つけることができました。

 学芸員は資料にストーリー付けするのも仕事だと考えます。資料にはそれぞれの歴史背景があるので、専門にとらわれず広い視野と興味を持って向き合うことが大切です。どのような人がどのように使い、どんな意味があるのか、関連することまで調べ上げてストーリーを与えることが重要です。

――今回のコロナ禍で感じたことは

森泉 人々の価値観が変わり文化的活動の必要性が問われていますが、自粛だけでは退屈し、ストレスも溜まります。それを解消する役目が文化的活動にはあるのだと考えます。「やっと博物館や美術館に行くことができて気分が晴れた」という声を聞くと、我々の仕事には人々の心を落ち着かせる力があるのだと強く思います。

 巣ごもりが続いた中、当館も動画投稿サイトで活動状況を発信したりもしましたが、実際に見に来ていただくのが一番です。ただ、ネットを通じたバーチャルミュージアムなどもこれから重要なコンテンツとなるのではないでしょうか。

――なぜ神道文化学部に? 学芸員を目指したわけは

森泉 歴史や神社仏閣巡りが好きだったので志望しました。当初の目標だった教職と併せて学芸員の資格も取れると知って博物館学の授業を受けましたが、授業や実習を経験するうちに興味が膨らみ、担当だった青木豊先生(文学部教授)の勧めもあって大学院に進学し、戦前期の博物館について研究しました。日本統治下の満州や朝鮮の博物館について「侵略の象徴」といった見方が多いことに疑問を感じて調べ、現地に渡った日本人に現地情報を伝えたり、現地の人達に地域の歴史を知らしめたりする目的があったことを知りました。


もりいずみ・かい 國學院大學では神道文化学部で宗教学を学んだ後、大学院文学研究科史学専攻で博物館学と日本近現代史を専攻。平成24年に杉並区立郷土博物館の学芸員となり、30年から分館勤務。

 

 

 

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