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勇往邁進の気力の人・桑原芳樹【学問の道】

明治・大正・昭和を生きた先人秘話

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研究開発推進機構 助教 半田 竜介

2020年7月23日更新

 國學院大學渋谷キャンパス正門左手の木立には桑原芳樹の顕彰碑が建っている。桑原は文久元(1861)年、現在の福岡県に生まれた。明治7(1874)年、生家近くの宗像神社に出仕を始める。そこで伊藤直江の感化を受けて国学への関心を強くし、15年に皇典講究所に入り松野勇雄の知遇を得る。卒業して山形県皇典講究分所教授となり、23年に國學院に転じた後、神職として浅間神社、三島神社、神宮、大神神社、橿原神宮で務め、本学離職後は賀茂別雷神社と熱田神宮で奉仕した。各社で境内整備などに尽力し、中でも橿原神宮の境内拡張・整備を牽引して名望を集める。國學院と神宮司庁では『古事類苑』編纂を事務の面で支え、完成へと導いた。

 大正6(1917)年に皇典講究所幹事長となり、専務理事として昭和4(1929)年まで在職。この期間は大正9年に大学令認可による大学昇格、12年に渋谷移転を果たすなど本学の発展期といえる。この発展を桑原は事務と経営面で支え、日本各地に赴き寄付金を募った。学問や教育関係では、学生寮「有為寮」設置や『古事記』独訳を目指した木下祝夫への留学支援、「神ながらの道普及会」の発起人となり筧克彦『神ながらの道』を刊行している。

 とりわけ力を入れたのが国法科設置に向けた活動である。桑原は後年、「國學院大學も国学開発の為に建つた最高学府であるから、これを立派な大学にすることは、即ち国学の進歩発達を助くる所以である……純正の大学に昇格せしめんが為に努力もし、又之に国法科を併置して完全なる國學院たらしめんとして奔走もした」(『懐友』)と述べている。国史、国文に加えて国法の学科を新設し、国学教育と神職養成の機関として本学を一層発展させるために桑原は奔走した。こうした活動は、「国史、国文、国法を教授する」という明治23年國學院設立当初の山田顕義や松野勇雄の遺志を継いだものであり、本学の建学の精神を一層明確にするためのものであった。

桑原芳樹顕彰碑

 桑原没後10年にあたる昭和27年建立の顕彰碑では、桑原を「身を持すること謹厳寛厚、才識高遠にして、貫くに勇往邁進の気力を以てす」と評す。本学そして神社界を支えた偉業を称え偲び、戦後間もない苦難の時代に本学の進みゆく学問の道、教育の道の一つの指針としたのであろ
う。そして38年には法学部の設置を見ることとなる。

 國學院設立から130年、大学令認可による大学昇格から100年の節目である今年は、改めて桑原ら先人の事績を顕彰する好機としたい。学報連載コラム「学問の道」(第27回)

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