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大嘗祭を支えた「衣紋方」

千代田衣紋道研究会会長 茂木貞純神道文化学部教授に聞く

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神道文化学部教授 茂木貞純

2020年4月25日更新

 「令和の御代替わり」から一年、平成31年4月30日の「退位礼」から多くの儀式が行われました。一連の儀式のクライマックスとして、令和元年11月14日から15日にかけて斎行された「大嘗祭」では、皇族方のみならず祭儀に奉仕した人々が平安時代の宮廷衣装を源流とする装束を身にまといました。祭祀に奉仕する掌典関係者に装束を著装(ちゃくそう)する「衣紋方(えもんかた)」として國學院大學関係者も参加していました。衣紋方の団体として御代替わりの祭儀を支えた「千代田衣紋道研究会」で会長を務めた本学神道文化学部の茂木貞純教授に、「衣紋道」の本質と本学との関わりについて、また、神職を目指して衣紋を学ぶ学生への教育などについて伺いました。

令和元年11月14日から15日にかけて斎行された「大嘗祭」

――一連の祭儀では天皇陛下の「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」などが話題になりましたが、「装束」とはどんなものですか

茂木貞純教授(以下、茂木) 源流は平安時代の宮廷装束(※1)にあります。最も格式の高いものが大嘗祭でも用いられた「束帯(そくたい)」で、簡略化したものが「衣冠(いかん)」になります。一般の神職が神社の祭儀で身につける装束の正装は衣冠で、束帯は使いません。束帯は複数の衣服を重ねる装束で、最後は玉石等で飾られた石帯(せきたい)という帯で束ねます。束帯の著(つ)け方は衣冠より複雑ですので、臨時に千代田衣紋道研究会を作り、稽古を重ねたうえでご奉仕しました。

――衣紋道とはどのようなものでしょう

茂木 衣紋とは装束の著装法で、平安時代後期の源有仁公(※2)が開祖とされます。有仁公の流れを受け継ぐ流派が2つあり、公家である高倉家と山科家の当主が衣紋道を伝えてきました。公家や武家にも需要があったわけですから、両家が装束の調進も含め伝えてきたのです。

 体に合わせてサイズを選ぶ洋服と違い、装束は一つの大きさに決まっているので、さまざまな体型の人に合わせる必要があります。衣紋は装束を著付けることが目標ではありません。著装後に崩れず、きちんと祭祀や儀式ができることが肝心なので、その点に気を遣います。一度著けると一定の時間は解けませんから、祭儀の直前に著けて終わったらすぐに解くのが理想です。今回の著装の奉仕では、2人一組で1人を着付けるのに20分以内を目標としました。

――束帯は特別な祭儀で使うものなのですね

茂木 天皇陛下の祭儀はすべて束帯です。勅使を派遣する京都の葵祭と石清水祭、奈良の春日祭は三勅祭と呼ばれ、ここでも束帯を著ける場面があります。伊勢神宮の式年遷宮でも上級神職が束帯を著けます。束帯は日本の最高位の装束です。

 即位礼正殿の儀が10月22日に行われました。天皇陛下、皇后陛下をはじめ皇族方が装束を著けられましたが、男子は束帯、女子は十二単を著装されて、美しい所作をされたことは、難しく鍛錬をされたことだと思います。それこそ1000年の伝統でしょう。

 一般の神社で神職が束帯に触れ著装する機会はありません。平成30年7月に千代田衣紋道研究会を立ち上げて1年以上稽古を重ねてきました。平成の御代替わりでも同様の研究会を作りましたが、今回は最終的には会員が五十数人になり、東京のみならず京都でも10人ほどが活動しました。本学の祭式教室を借りて行った稽古は月に一度。会員には午後3時ぐらいから9時までの間に都合のつく時に参加してもらいました。皆さん手弁当のボランティアですが、衣紋道に関心があって衣冠の著装にも長けている方々です。稽古を重ね束帯の著装も上手になる人が多かったですね。

――衣紋を実践した感想は

茂木 一連の祭儀の中で我々が担当したのは掌典職(※3)の方々の著装です。大嘗祭では装束を著けて多く方がご奉仕しました。武官の著装は宮内庁書陵部の職員が稽古を重ねて担当したそうです。皇族方は霞会館(旧華族会館)の衣紋道研究会が担当したと伺います。千代田衣紋道研究会のご奉仕は令和元年5月7日に始まり、最後は昨年の12月までです。束帯を著けた人は30人くらいですが、他の装束も含め延べ100人以上の著装に携わったのではないでしょうか。

 大嘗祭直前の11月9日に習礼(しゅらい)というリハーサルがありました。全員で大嘗祭と同じ流れを確認するわけです。この時は初めて大勢に短時間で著けなければならず、装束が崩れたりして不安になりましたが、本番はそんなこともなく無事にご奉仕できました。

 丈が長く横幅もある束帯をきちんと体にまといつけ、長い分はたくし上げ、横もたたみ込み、石帯で結ぶわけです。緩く結ぶと着崩れてしまいますし、きつ過ぎると苦しい…加減が非常に難しいのです。

 大嘗祭全般を見て、当初予定していたことがつつがなくご奉仕できたのでほっとしました。

2人一組となって束帯を著ける会員(千代田衣紋道研究会提供)

――國學院大學として大嘗祭に協力・貢献できた意義と今後の学びへ反映はどのように

茂木 祭式教室や教材として所有する束帯を、稽古で使わせていただいたことに感謝しなければなりません。國學院大學という枠組みを生かして前回より関与の度合いも深まりましたから、それが順調にいった一因ではないでしょうか。多くの教職員が縁の下のお手伝いとして大嘗祭に参加できたことも、大学として意義深いことだと思います。

 教材として束帯を所有していても、これを扱えるのは限られた人でした。現在では、千代田衣紋道研究会に関わった複数の教職員が著けることができるようになったのですから、学生に還元できる知見も多いはずです。また、本学には観月祭、成人加冠式など学生に装束を著けてもらう機会があります。衣冠や女性神職の装束を著けますが、その基盤にきちっとした正統の衣紋ができるようになったことは大きな財産だと思います。

※1 宮廷装束 平安時代に確立された宮中での衣装。当初はゆったりとした「柔(なえ)装束」だったが、平安後期になると厚手の生地で糊をきかせた「強(こわ)装束」が主流に。一人での著装が難しくなったため衣紋道が発達した。位階や儀式によって着用が細かく規定されている。明治以降、祭祀服として用いられるようになり、特に神職の祭祀服は衣冠とすることが定められた。

※2 源有仁(みなもとのありひと、1103~47) 平安時代後期の公卿で、官位は従一位・左大臣。後三条天皇の孫として生まれ、後に臣籍降下して源姓を賜る。詩歌や書に通じたほか有職故実にも詳しく、儀式書である『春玉秘抄』などを著した。

※3 掌典職 皇室の内廷に属して宮中祭祀を司り、天皇の使者である勅使も務める。掌典長の下に掌典次長、掌典、内掌典などが置かれる。国の行政機関である宮内庁とは別組織。

茂木 貞純

研究分野

神道学、神社祭祀、戦後神道史

論文

幣帛と祓えの料としてのヌサ(2013/10/25)

三島由紀夫と戦後神道(2013/05/15)

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