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コミュニケーションがとれない日本の神=自然 災害対策施策としての祭祀の歴史

小林宣彦・神道文化学部准教授 前編

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神道文化学部准教授 小林宣彦

2020年4月10日更新

 
 水害や地震は、科学が発達した現代に生きる私たちであっても、まだ回避できていない。災害はテクノロジーや知見がない時代に生きた人々にとっては、今よりも深刻な問題だったはずだ。自分たちの暮らしを絶えず脅かす、変化に満ちた「自然」。日本の地に生きてきた人々は、それを「神」の怒りだと考えていた。
 
 律令期の神事システムを主に研究している小林宣彦・神道文化学部准教授は、そうした神の怒りを鎮めるために人々が執り行った「祭祀」について、とても易しい語り口で教えてくれた。目に見えず、耳に聞こえず、直接コミュニケーションをとれない神に対する祭祀。自然災害が日常だからこそ、その営みは真剣そのものだった。
 
 
 現代に生きる私たちは普段、自然災害にどう向き合っているでしょうか。科学的な知識や技術がありますから、災害が発生するメカニズムもある程度はわかっています。明日の天候を知るには予報を見ればいいですし、インフラの整備も進んでいますから、災害にはかなり対応できるようになっているはずです。 
 
 それでも深刻な被害が発生してしまうわけですから、昔の人はもっと大変だったことでしょう。日本列島に生きる人々は自然災害との戦いを続けてきました。 
 
 たとえば農業が産業の中心だった時代、特にその中でもコメが、主食としてではなく豊かさの指標として価値をもち、その栽培が社会の基幹産業だった時代のことを考えてみましょう。自然災害に遭ってしまえばコメは収穫できず、個人であろうと国家であろうと、大打撃を受けることは必至です。当然のごとく、自然災害との向き合い方が重要となってきます。
 
 
 特に天候面で、日本の自然というものは変化に富みます。そのうつろいは良さでもあるわけですが、逆にいえば不安定でもある。いつ豪雨や干ばつが襲ってくるかわからなかったでしょうし、治水のレベルも低かった。さらには火山の噴火もあれば地震もある。日常的にさまざまな自然災害が発生する風土であるわけです。 
 
 生活にダイレクトに響いてくる自然災害と常に向き合う――そのとき、今のような技術や知識がないとしたら、どうすればいいでしょうか。堤防やため池をつくるといった対処の仕方もありましたが、人々は災害そのものを鎮めたいと考えました。 
 
 日本においては、神は山や川、海といった自然とほぼ同義の存在です。だからこそ人々は、神によって自然災害が起きていると思ったのです。さらに、なぜ神がそうした災害を起こすかといえば、「怒っているから」だという発想を抱いていました。 
 
 怒っているのであれば、怒りを鎮めてあげればいい。そのために行われたのが祭祀であるわけです。
 ここで、やっかいなことがあります。一般的な話として、人間もいろんな人がいますし、怒るポイントも原因もまちまちですよね。実は神も、そうなのです。怒っている原因がそれぞれに違う。
  
 場合によっては同じ神でも、時によって怒るポイントが違うことさえあります。因果応報の理屈がしっかり通っている、つまり人々がこれをしたから必ずこう怒る、というお約束があまりないので、はっきりいってしまえば理不尽なところがあるのですね。いつ何時、何に対して神が怒り出すかわからない……そうした緊張関係の中で、人々は生きていました。 
 
 相手が人間ならば、なぜ怒っているのか直接聞くこともできるでしょう。しかし、神はそうはいかない。人間でも、相手がなぜ怒っているのかわからずに謝ると火に油を注いでしまい、さらに怒りをたきつけることになりますが(笑)、神に対しても、怒りの原因をしっかり把握して対処しなければならないのです。 
 
 問題なのは、神は“見えない”存在である、ということです。見えない存在が怒っている原因を特定する――その難題を解決するために行われた方法のひとつが占いでした。占いをして、怒りの原因を洗い出す。その原因にかんして謝る。こうやってきちんと祭祀を執り行えば神も怒りをとき、災害も鎮まる、という発想です。 
 
 この祭祀の興味深いところは、人々と同じ世界、フラットな地平に住む“見えない”神々に対して行われる、ということです。日本の神話では神々はもともと高天原にいて、そこから地上に降りてきているわけですが、祭祀は上方向に向けては行われません。 
 
 私たちが生きているこの世界の中に、人間にとって見える世界と、見えない神々の世界の両方が存在している、と考える。そして、見える世界から見えない世界に向けて祭祀を行うわけなのです。 
 
 存在も見えず、声も聞こえない、つまりはコミュニケーションがとれない神に対して、占いをして、怒りの原因を特定して、それに対して謝る。これが日本における祭祀の基本になります。
あとはこの祭祀を執り行うのが、地域の小さな共同体なのか、国家という大きな共同体なのか、ということが問題になってきます。私が主に研究している律令期の神事のシステムにおいて、まさに重要なポイントなのですが、それは後編でお伝えしましょう。
 
 
 
 
小林 宣彦

研究分野

神道史

論文

「樹伐の罪」と「稲荷神の祟」について(2018/03/01)

律令祭祀の成立と神社(2016/07/01)

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