ARTICLE

サッカー少年がアメリカ文学を探究し、ブコウスキーを訳すまで

山西治男・文学部教授 (前編)

  • 文学部
  • 在学生
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

文学部教授 山西治男

2020年4月23日更新

 
 
 山西治男・文学部教授の話を聞いていると、研究者の人生というものはなんて面白いのだろう、と思わずのめりこんでしまう。偶然の出会いに導かれていくうちに、静岡・清水のサッカー少年が、ブコウスキーなどのアメリカ文学の翻訳を手がけ、同時に易しい語り口の英語学習書を、英語初心者に向けて届けるようになるのだから。
 
 このインタビュー前編では、そんな山西教授の遍歴――意図せず研究の道へ入り込んでいった青年時代までを語ってもらった。笑いに満ちたその語りはいつしか、言葉の奥深い森へと突入していく。かつて自身が訳した『ブコウスキー・ノート(Notes of a Dirty Old Man)』ならぬ、めくるめく“山西ノート”の、はじまり、はじまり。
 
 
 
 
 誰でもそうかもしれませんが、僕も「自分の人生がなぜこうなったのか」ということに関しては、まったく整理しきれていません。学生にもよく聞かれることではあるのですが、偶然に次ぐ偶然によってこうなった、としかいえないところがあります。 
 
 古い話をすれば、大学に入るまでの僕は、本なんてほぼ読まない人間でした。静岡県清水市というサッカーが盛んな土地に生まれ、中学生になってからはサッカー三昧。将来は海外でサッカーのコーチなんていいかなと思い、大学では英語のほかに、第二外国語でドイツ語を選択したのですが、実家はさまざまなものを扱う八百屋、今でいうコンビニのような商売をやっていて、父親からは「英語ができるならインターポールでも入るか?」といわれたものでした。「『ルパン三世』の銭形警部じゃない!」って話ですが(笑)。
 
 
 大学の勉強では、堀内克明先生という、令和元(2019)年10月に亡くなられるまで、英語学ならびに辞書編纂の第一人者である先生の講義に興味を持ちました。たとえば、「juice」/「ジュース」という言葉は、英語では果汁100%のものを意味しており、日本のジュースはもう少し概念が広い、というような話です。他にも、「as cool as a cucumber」という、「落ち着き払って」や「冷静を装って」というような意味の比喩(メタファー)を教えていただくなどして、言語と文化の違いが面白いなあ、と。 
 
 一方で、卒業したら静岡に戻り、英語を教えながら、サッカーも教えるような教員になろう、と考えていました。ただ、卒業論文を書くためのゼミを決める前に大学内をフラフラとしていたら、アメリカ文学の先生にコピーなどの手伝いを頼まれ、お話をうかがううちに、いつしかその先生のゼミに入ることに……(笑)。しかも地元の中学校へ教育実習に向かったら教員試験を受けるようにいわれ、さらには運よく受かったら君は小学校に配属になるといわれ、しかも今度は卒業間近にもののはずみで「記念受験」にのように大学院を受けるという話になった。
 
 
 
 大学4年生の1年間で、何度も将来が変わっていきましたね。しかもインターポールではないですが、僕も「大学院って何ですか? 大学病院なら聞いたことありますが」というような状態でした(笑)。大学院を出れば将来的には高校の教員になれるだろうということで親も喜んで、まったく未知である研究の道へと踏み込んでいきました。
 
 文学研究の道へ進んだわけですが、お話ししたようにその当時から言語学分野への興味は強かった。当時、日本で出版されていた翻訳文学は誤訳も多かったのですが、その中でも僕は、大学や大学院でとにかく文学作品を丁寧に、何度も読め、という教育を受けられたことも、今となっては幸福だったと思います。生活の面では、その時点で教員免許はとっていたので、紹介を受けて都内の高校で英語の授業を受け持つことになりました。 
 
 文学研究と英語教育という僕の関心の両輪は、気づけばこの頃からずっと変わりませんね。変わったのは、体重が20kg増えたことですかね。45kgぐらいしかなかったですから、銭湯の湯船から上がったらフラフラして出入口のガラスにぶつかり、番台のおばちゃんから「お兄ちゃん、これ飲みな!」と牛乳をもらったこともありました(笑)。
 
 同じくこの頃に、翻訳のアルバイトを先輩の先生から紹介してもらうようになりました。翻訳者のクレジットとしては名前の出ない、いわば下訳をするバイトですね。最初は下訳を先輩がチェックしてくれていましたが、そのうち僕もだんだんと編集者の知り合いが増えて、ひとり立ちするようになりました。 
 
 
 
 
 印象深いのは評論家・江藤淳が、ベストセラー『薔薇の名前』で知られるイタリアの小説家・記号学者、ウンベルト・エーコと対話した「記号を超えて想像へ」という対談の翻訳をしたことです(文藝春秋刊行『言葉と沈黙』所収)。これもクレジットはないのですが、原稿と録音テープがバイク便で送られてきて、急いで訳した記憶があります。 
 江藤淳とウンベルト・エーコ、共に英語が第一言語でない者同士のテープを聞き直しながら、必死に原稿を仕上げていったのですが、そのときに実感したのが「固有名詞」の難しさでした。今のようにインターネットもなく、ひとつひとつ苦労して調べなければいけない時代でした。
 
 こうした固有名詞に代表される言語と文化の問題は、たとえばアメリカ文学のことについてアメリカ人の先生に尋ねても、わからないことがある。とても大変な世界ですが、僕はその面白さに魅了されていきまして……後編では、この興味深さについてお話しします。
 
 
 
 
 
 

研究分野

アメリカ文学、英語

論文

「英語文学」を読む(2019/06/15)

英語の時制を考える――英語と日本語との狭間で(2011/03/15)

このページに対するお問い合せ先: 広報課

MENU