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院友 テノール歌手 西岡慎介さんに聞く
「失敗恐れず挑戦を」

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テノール歌手 西岡慎介さん(平13卒・109期日文)

2020年1月17日更新

 ヨーロッパ発祥の総合舞台芸術「オペラ」。「フィガロの結婚」「トゥーランドット」など人気作品が多く、美しい旋律に乗せて繰り広げられる男女の愛、生死を賭けた戦いといった人間ドラマが魅力です。テノール歌手、西岡慎介さん(41、平13卒・109期日文)は國學院大學在学中に声楽家を志し、卒業後に東京芸術大学、同大学院を経て、留学先のドイツでフライブルク歌劇場の専属ソリストとして活躍しました。アジア人にとって、ヨーロッパの歌劇場で専属ソリストになるのは狭き門。本場の舞台で夢を実現させ、実力を認められた西岡さんは現在、拠点を日本に移して演奏活動を続ける傍ら、昨春からは教職の道も歩み始めています。実力主義の厳しいクラシック音楽界で、ひたむきに努力を重ねてきた姿は、夢をいだく人々への〝応援歌〟そのものです。 

転機は混声合唱団 

――國學院大學を志望した理由は 

 実は高校2年まで、小学3年から続けてきたピアノで音楽大学に進学したいと思っていましたが、親の反対にあって断念したんです。日本の古典文学が好きでしたから、将来は国語の教員になろうと考えていたところ、高校の先生から「国語なら國學院」と勧められたのがきっかけでした。 

――在学中に進路を音楽へ方向転換されました。転機は 

 大学2年のとき、所属していたフォイエル・コール混声合唱団のボイストレーナーを今も務められている松井康司先生(桐朋学園芸術短期大学教授)から、「とてもいい声をしている」とほめていただいたことが始まりです。その言葉で、音大をもう一度目指してみたくなったんです。松井先生からは「音大を受験するにしても、國學院は必ず卒業しないといけない。国語と音楽、2つの教員免許があれば、将来の人生が豊かになるよ」と諭され、在学しながら音大に挑戦することになりました。 

――卒業論文と音大受験の両立には、相当な苦労があったのでは 

 声楽を本格的に学び始めたのは大学3年と出遅れていましたから、ものすごい勉強量でした。しかも、松井先生と相談する中で「どうせ狙うなら、東京芸大を」と背伸びをしてしまったものですから、大変でした。そんな中、心の支えになってくださったのが、卒論の指導教員だった佐野光一先生(当時・文学部教授、平成29年逝去)です。佐野先生の専門である書道はアートです。同じ芸術の道に進もうとしている僕を、「音楽で生きていくと決めたのなら、徹底的にやりなさい」と応援してくださいました。将来の相談にものっていただき、感謝しています。 

 ――東京芸大、同大学院で発声技術や音楽表現を磨かれました。ドイツ留学までの道のりは 

 大学院には3年通いました。通常なら2年で修了ですが、レッスンをもう1年受けたくて、あえて留年したんです。大学院と並行し、二期会オペラ研修所にも所属しました。そこで知り合ったのが、妻(ソプラノ歌手の倉谷千明さん)です。妻とは大学院修了後に結婚し、一緒にヨーロッパで学ぶことを決め、ドイツ南西部のフライブルクへ2人で留学しました。 

直談判でつかんだチャンス 

――ドイツでの生活は8年間に及びました。声楽家として飛躍された一方で、苦労も多かったのでは 

 ドイツでは、歌劇場のオーディションを受けるには、音楽エージェント(事務所)の仲介が必要です。エージェントにまず声を聴いてもらい、そこで商品価値があると判断してもらえないと、劇場のオーディションを受けられないというのが慣例になっています。ドイツ中のエージェントに履歴書を送ったところ、5つほどの劇場からオーディションに招かれました。でも、結果は惨敗の連続でした。「アジア人は必要ない」という空気も感じました。前年にドイツの国際音楽祭でグランプリ(1位)を受賞していたプライドもありましたから、オーディションで認めてもらえないことがつらくて、泣いたこともあります。 

 そんな現状を何とか打破したいという思いで、留学地にあるフライブルク歌劇場に慣例を破って履歴書を自分で持ち込み、直談判したんです。すると、幸運にもオーディションのチャンスをいただき、契約してもらうことができました。留学3年目のことです。 

ヴェルディ作曲オペラ「イェルザレム」のレイモン役の衣装でフライブルク歌劇場の舞台に立つ西岡さん(2016年撮影・西岡さん提供)※無断転載を禁じます

――歌劇場との契約が実ってからの活動は 

 歌劇場との最初の契約は、フライブルク音楽大学大学院に入学した年だったので、舞台と修学の両方をこなさねばならなくなりました。ドイツの歌劇場では、オーケストラと合唱団のメンバーは終身雇用で劇場と契約を交わしますが、専属ソリストは総支配人との単年契約です。気に入ってもらえなければ、1年で劇場を去らねばならない歌手もいますから、必死でした。 

 アジア人ということで、あからさまな差別や嫌がらせを受けたこともあります。実際に、ヨーロッパの歌劇場ではオーケストラや合唱団にはアジア人も少なくありませんが、専属ソリストは、わずかしかいません。フライブルク歌劇場も当時、アジア人の専属ソリストは僕と韓国人の、たった2人でした。「日本に帰りたい」と妻に漏らしたことは一度ではありません。妻からはそのたびに、「他の日本人歌手が望んでもできないことをしているのに、それでも帰りたいなら、帰ればいい。だれも、あなたにドイツでオペラ歌手になってほしいと頼んだわけじゃない」と言われました。そんな妻の励ましもあって、「もう少し頑張ろう」と続けているうちに、8年がたっていました。 

――ドイツ生活で感じた自身の成長は 

 フライブルク歌劇場のソリストとして、5シーズンにわたり約30演目250回の公演に出演しました。最初の頃は、緊張で吐きそうになったり、頭の中が真っ白になったりして、舞台を楽しむ余裕なんてありませんでした。でも、100回を超えた頃からは次第に冷静になることができるようになり、楽しめるようになったのは200回を超える頃からです。 

 特に自分が成長したと感じたのは、4シーズン目に出演したミュージカル作品での出来事です。共演歌手の一人がせりふを間違え、物語が本来とは違う展開になりそうになったんですが、とっさにドイツ語のアドリブで対応できたときは、自分のことを「一皮むけた」と思えました。日常生活も含め、ドイツで積み重ねてきたことが生きたんだと自信になりました。 

世界初上演となったエブレル・デミレル作曲の新作オペラ「オイロトピア」に主役・ゼウス役で舞台に立つ西岡さん(左)(西岡さん提供)※無断転載を禁じます

演奏家と指導者の両立を 

――日本に帰国し、現在は演奏家と教員の二刀流で活躍されています 

 お恥ずかしい話なんですが、実は音楽の教員免許を取得したのは昨春なんです。ドイツ留学前の東京芸大在学中に取るはずでしたが、目先のアルバイト代につられて演奏依頼を次々に引き受けていたら、必要単位を落としてしまいました。それで帰国後、東京芸大で科目履修生として学び直し、免許を取りました。ありがたいことに、すぐに中学、高校、短大で教える機会をいただきました。特に中高生には、僕のドイツでの経験に興味を持ってもらっているようで、将来に向けた何かのきっかけにしてもらえたら、うれしいです。 

――これからの目標や夢は 

 演奏家と指導者を可能な限り両立させていきたいです。ドイツではすみ分けされていますが、日本は違います。日本の芸事には、舞台に立つ師匠の姿を見ながら、弟子が学んでいくものが多いです。日本の古典芸能のこうした有機的な巡りは、とても素晴らしいことだと思います。指導者として自分の経験を伝え、自らも経験を重ね、芸を追究していきたいです。 

 演奏家としては、「楽劇王」の名で知られるリヒャルト・ワーグナーの作品「タンホイザー」「ローエングリン」などの主役を務めてみたいです。ドイツでは僕の声質を「ヘルデン(ドイツ語で『英雄』の意)テノール」と評してもらうことがよくありました。「ヘルデンテノール」とはワーグナー作品の主役を歌うテノール歌手のことです。40歳を過ぎ、声質が太く安定してきたので、これまではかなわなかった重い声質が要求される役もできるようになったのではないかと感じています。任せてもらえるよう精進したいです。 

 そして何より大切なことは、演奏と舞台のクオリティーを上げ続けていく努力を怠らないということです。オペラ歌手には必ず歌えなくなるときがきます。その時期は楽器奏者や指揮者よりも早く訪れます。一部のスーパースターを除けば、一般的には55歳くらいまででしょうか。帰国後は、年齢的な限界をいつも意識しながら、歌と向き合うようになりました。 

――本学の学生にエールを 

 失敗することを恐れずに挑戦してほしいと願います。自分の知らない海外の文化、生活にも触れてほしいです。年をとるほど、失敗は許されなくなります。でも、間違えてみないと、正しいことはなかなか身につきません。失敗を経験しなければ、先には進めないし、新しい可能性は見えてきません。失敗が許されるのは若いうちです。経験はすぐに自分のスキルになるとは限りませんが、「あの時、経験していてよかった」と思える瞬間が、いつかきっときます。チャレンジ精神と好奇心を持って、人生を歩んでください。 

――ありがとうございました 

にしおか・しんすけ 昭和53 年生まれ。東京都羽村町(現・ 羽村市)出身。平成13年、国学院大学文学部日本文学科入学し、フォイエル・コール混声合唱団に所属。卒業した17年、東京芸大音楽学部声楽科入学。同大学院音楽研究科声楽専攻独唱科修了。21年、ドイツ留学。フライブルク歌劇場のソリストとして演目別契約(’12~’13 年)、専属契約(’13~’17年)を結ぶ。フライブルク音楽大学大学院修了。29年、活動拠点を日本に移す。現在、桐朋学園芸術短大、山脇学園中学・高校で非常勤講師を務めるとともに、自宅で開く音楽教室「Chimu’s music」で声楽指導にあたる。 日本カール・レーヴェ協会会員、二期会会員。 《受賞歴》東京芸大音楽学部同声会賞受賞。二期会オペラ研修所第51期マスタークラス修了時に優秀賞受賞。第20回O per Oder Spree国際音楽祭(ドイツ)でグランプリ受賞。その他、国内のコンクールで多数入賞。

 

 

 

 

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