菊池武一は明治29(1896)年、香川県高松で生まれた。大正10(1921)年東京帝国大学文学部英吉利文学科卒業。卒業後、国際連盟事務局、府立第一商業学校を経て、昭和2(1927)年、日本女子大学校教授。3年、国学院大学予科講師。戦後、東大の後輩・中野好夫の紹介で小津次郎を本学に招く。小津の人脈等を得て、専任・非専任を問わず、東大出の俊英を語学教師として招いた。27(1952)年に講師となった丸谷才一は後年こう語っている。「当時この大学のこの研究室には、英独仏とか専任の教員と時間講師とかの区別なしで、思ひつくままに記せば、たとへば安東次男さんがゐた。故橋本一明がゐた。中野孝次がゐた。篠田一士がゐた。永川玲二がゐた。高松雄一がゐた。川村二郎がゐた。高本研一がゐた。竹内芳郎がゐた。菅野昭正がゐた。清水徹がゐた。飯島耕一がゐた。三輪秀彦がゐた。清岡卓行がゐた。渡辺一民がゐた。東野芳明がゐた。こんな顔ぶれの研究室を維持してゆける主任教授としては、菊池さん以外の人は思ひ浮かばない」「われわれはみな菊池さんの、知的で寛容で勿体ぶらない人柄に心服してゐた。あるいは、菊池さんに甘えてゐた」(『低空飛行』)。
菊池は日本女子大学校では「英文学史」を講じ、演習で「シェークスピア」を取り上げた。また、11(1936)年から13 (1938)年にかけて、岩波書店からシャーロック・ホームズの『冒険』『回想』『帰還』(岩波文庫)の翻訳を刊行した。この菊池訳は、戦後も息長く読み続けられた。
39(1964)年には、W・スコットの『アイヴァンホー』の翻訳の上巻を上梓したが、下巻は未刊のまま47(1972)年に亡くなる。その翻訳原稿は後輩で東大退官後、菊池が本学に迎えた高見穎治により整理され、49(1974)年に刊行された。学報連載コラム「学問の道」(第22回)