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吉田神道隆盛のきっかけに

徳川家康直状(國學院大學図書館所蔵)

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文学部兼任講師・研究開発推進機構客員研究員 髙見澤美紀

2019年11月28日更新

徳川家康直状

 慶長13(1608)年9月、吉田兼見の子・兼治と、その子・萩原兼従は、多武峰(現 談山神社・奈良県)での祈禱に臨んだ。これは前年から破裂をおこした大織冠尊像(藤原鎌足像)を平癒するためのものである。一夜の祈禱で尊像の平癒に成功した、という知らせは朝廷のみならず、徳川家康へも届けられ、家康はこの早々の平癒を「奇特」(霊験)であると褒した直状を10月4日に兼治へ送った

 吉田家は権力者と結びつくことで隆興を図ってきたが、深く親交のあった豊臣秀吉没後、家康とは兼見と弟・梵舜による古典・神祇等の学問を通じた結びつきだった。家康により復興した多武峰での平癒成功は、吉田神道の神威を大いに知らしめることとなり、以降の隆盛の契機となったのである。

 かつては慶長12年と推定された本史料だが、再調査により慶長13年と判明した。このほか吉田家に伝来した文書群の調査により新発見も相次いでいる。本史料を含む調査の成果の一部は、國學院大學博物館特集展示「吉田家伝来の花押・印判」(11/26~12/22)にて公開。学報連載コラム「未来へつなぐ学術資産研究ノート」(第6回)

 

 

 

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