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岩橋小彌太の芸能史研究【学問の道】

実証的な文献史学と民俗学的見地を融合

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研究開発推進機構研究補助員 齊藤みのり

2019年11月28日更新

岩橋小彌太

 岩橋小彌太博士は國學院大學出身の教授で、退官後は名誉教授となった人物である。また、東京帝国大学史料編纂官や明治大学の教授も務めた。昭和53年に93歳で亡くなったが、その人生で数多の研究を世に送り出した。学問領域は古代から近世にわたり、『京畿社寺考』(雄山閣、大正15年)、『日本芸能史』(芸苑社、昭和26年)、『上代官職制度の研究』(吉川弘文館、昭和37 年)、『花園天皇』(吉川弘文館、昭和37年)、『上代食貨制度の研究第一集・第二集』(吉川弘文館、昭和43・44年)、『神道史叢説』(吉川弘文館、昭和46年)、『上田秋成』(有精堂出版、昭和50年)他、多くの研究書を著しており、研究の幅広さが窺える。

 「史学は実に史料から発足するといふべきである。史料から歴史的意味を見出す学問が史学であるといつても少しも差支はない。それ程史料に関する問題は史学上重大性を有つてゐるのである」(「郷土史と史料」〈『郷土史研究講座(二)』雄山閣、昭和6年〉)と論じているように、岩橋は実証史学を歴史学研究の基盤としていた。他方、曲舞・幸若舞・猿楽能・浄瑠璃・歌舞伎・田楽等、芸能研究も専門としていたが、このうち特に田楽研究においては、「紀州熊野那智神社(現熊野那智大社)」、「春日若宮祭(現春日大社春日若宮おん祭)」等の田楽の現物を見て、見物当時の装束・所作等を分析する一方、史料による昔の姿の検討を合わせて行い、史料と現物による二段階の分析によりその歴史や変遷、古の姿を解き明かそうと試みている(「遺された田楽 上・中・下」〈『風俗研究』八四・九〇・九一、昭和2年〉、「春日若宮祭の田楽」〈『寧楽』一一、昭和4年〉、他)。

 岩橋の指導を受けた藤井貞文は岩橋の研究について、「我が国の芸能研究の草分けであり、文献史学の立場での民俗学の先駆者である」(藤井貞文「岩橋小弥太先生の学問」〈『日本歴史』三七一、昭和54年〉)と評している。芸能研究において岩橋は、実証的な文献史学と舞踏鑑賞による民俗学的見地の融合した研究手法を取っていたのである。学報連載コラム「学問の道」(第21回)

 

 

 

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