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実業界の元老・和田豊治と國學院大學【学問の道】

神殿建立に寄与

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研究開発推進機構助教 髙野 裕基

2019年9月23日更新

 本学渋谷キャンパスの神殿は、天照皇大御神を主神として天神地祇八百万神を鎮祭している。本学の鎮守である神殿の建立には、本学の経営母体であった皇典講究所の理事を務めた和田豊治が寄与している。

和田豊治

 和田豊治〔文久元年―大正13年〕は豊前中津藩(大分県)出身の実業家で、同郷の福沢諭吉の慶應義塾に学び、明治17年の卒業後はサンフランシスコの甲斐商店に就職、24年に帰国し、日本郵船、三井銀行を経て鐘ケ淵紡績会社に出向して支配人となった。そこで欧州の先進技術を導入して同社の経営を立て直し、その功績により44年に藍綬褒章を受けた。大正期には紡績業にとどまらず種々の事業に関与して東京商業会議所特別議員や経済調査会委員を歴任し、実業界の元老として著名となった。

 和田が実業界の元老として活躍した大正期、國學院大學は大学令の公布に伴い、大正9年4月15日付で名実ともに大学となった。そこで皇典講究所長の一木喜徳郎を中心として将来に向けた学部・研究施設の充実と飯田町(現・飯田橋)からの全学移転の検討がなされ、その早期解決を和田の手腕に期待して、10年2月25日に専務理事・桑原芳樹が和田のもとを訪ねて理事就任を要請し快諾を得た。和田は一木・桑原とともに校地校舎を売却する段取りをつけるとともに、渋谷の氷川裏御料地の払い下げについても交渉し、12年に本学の渋谷移転が実現された。

 和田は皇典講究所・國學院大學の創立以来、校地に神殿がないことを遺憾とし、校庭に学神を鎮祭する神殿建立を希望して、その費用1万5千円を指定寄付した。しかしながら、渋谷移転直後の12年9月1日に関東大震災が発生し、校舎復旧のため神殿着工は大幅に遅れ、和田は神殿の鎮座を目にすることなく13年3月4日に62歳で没した。

 神殿は昭和5年1月29日にようやく上棟祭を迎え、4月30日に神殿祭、鎮座祭を斎行するに至った。翌日の5月1日に御鎮座奉祝祭を斎行して以後、この日を神殿鎮座の日と定めて記念祭を大祭として斎行してきた。

創建当時の神殿

 現在、神殿では神殿鎮座記念祭をはじめ創立記念祭や歳旦祭、入学・卒業の奉告祭などが一年を通して斎行されている。そして来年令和2年に鎮座90年の節目を迎える。学報連載コラム「学問の道」(第19回)

 

 

 

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