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政治 X こども「独裁者はフィードバックが苦手?!」
國學院大學法学部准教授 藤嶋 亮

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法学部准教授 藤嶋 亮

2016年4月25日更新

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 一口に独裁者と言ってもいろいろいます。政治学の発想の大事な点は、独裁者といってもいろいろなタイプがいる、ということです。それでは、どんな独裁者を取り上げるのかというと、舞台はルーマニア。独裁者チャウシェスクが、きょうの主人公です。ルーマニアは、あまりなじみがない国だと思います。僕自身はルーマニアという国を研究していますが、非常に面白い国です。

 実はルーマニアはローマニア、「ローマ人の国」という意味です。かつての古代ローマ帝国の末裔(まつえい)を自負する誇り高い人たちです。ですからイタリアとの関係も深く、イタリア語とルーマニア語は非常によく似ています。

 もう一つは、お隣ハンガリー。ここにも非常に面白い政治家がいて、そのリーダーとの対比を考えてみたいと思います。

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英雄としてデビューしたチャウシェスク

 1989年の革命。東ヨーロッパで独裁体制がドミノのように倒れていくという出来事がありました。ベルリンの壁が平和に崩れたりして、いい時代になるなと思った人も多いかと思います。ところがフィナーレとなったルーマニアではこのように、迫力ある画像です。流血の事態になり、そして独裁者夫婦、このニコラエ・チャウシェスクと、妻のエレナがそろって処刑され、しかもその映像が世界に配信されました。

 処刑されたチャウシェスクですが、デビューは鮮烈、英雄として登場します。それでは、どうやって人気を得たのか。その背景には当時の国際関係がありました。今は懐かしの冷戦です。かつてはこの赤旗のソ連があって、ルーマニアやチェコ、ハンガリーはソ連ブロック、東側のブロックでした。一方、それと世界を真っ二つにパカッと分けて、アメリカ、イギリス、日本は西側ブロック。この対立図式が基本的な国際枠組み。しかし東側のチェコやハンガリーは、ソ連から属国のように扱われ時々反抗する。共産党支配体制なので民主化を求める動きもある。これに対し、ソ連としては、そんなことは認められないよということで戦車を送って潰すわけです。ところがチャウシェスクは国民を集めた大集会で、ソ連を断固非難する演説をするんです。「重大な誤り、平和にとって深刻な脅威だ。」ーーこう言います。これに国民は拍手喝采。

 ルーマニア人は、ソ連あるいはかつてのロシアとの対立の歴史がある。さらに、領土問題もある。そういうこともあって、ソ連に断固立ち向かうチャウシェスクに国民は拍手喝采。一躍国民的英雄となります。西側から見ても、「おっ、ルーマニアはちっこい国だけど骨のある政治家がいるじゃないか」「冷戦の対立図式の中ではルーマニアは使えるな」「チャウシェスクは見どころある」ーーこうなるわけです。鮮烈なデビューを果たす。

 チャウシェスクは国際舞台でも大活躍。例えばアメリカのニクソン大統領は当選するとすぐルーマニアにやって来て、チャウシェスクと熱い抱擁を交わします。ロンドンを訪問すると、エリザベス女王が熱いおもてなし。これは経済的にも非常にプラスになりました。西側からは有利な条件でお金が借りられる、あるいは、国際機関に加盟して借款、経済支援を受けられるということで、チャウシェスクが取った政策は、この時点では非常にうまく回っていた。むしろ、うまくいき過ぎたと言ってもいいかもしれません。

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独裁者チャウシェスクを待っていた罠

 ところが、権力を固めたチャウシェスクには独裁者にありがちな罠(わな)が待っています。個人崇拝、一族支配です。チャウシェスクは国民から「千年に一度の天才」「国民の最愛最良の息子」「天才的創立者」ーーこう言われます。そして、「東欧の小パリ」と言われた首都の街並みをぶっ壊して巨大建造物を造る。自己顕示欲の塊となっていきます。こういうことが起こると何がまずいか。チャウシェスクはカリスマ、偉大なる指導者だから、彼の言い出したことに間違はない、あるいは批判が許されないという風になる。これが後に大きなマイナスの影響を与えていきます。

 2つ目もまた独裁体制にありがちなこと。秘密警察による恐怖政治で、異論、反論を許さないということになります。ルーマニアの秘密警察が陰険に、監視、盗聴、つけ回し、尾行などをやって市民を威圧するわけです。今でもその負の遺産をなかなか払拭できていません。

 個人崇拝や一族支配、恐怖政治をやる、これは実はよくある話。体制のトップレベルで個人崇拝・一族支配をやろうが、一般国民には「そこまで関係ない」という言い方もできるかもしれません。一般国民にとっては、「生活の方が大事」、「経済の方が大事」。ですが、チャウシェスクは自信満々なので、自分が得意じゃない分野にも、くちばしを挟みます。

 具体的には、ルーマニアも多額の借金を抱えるようになります。貿易赤字あるいは対外債務。国際機関や外国の銀行に支援を仰ぐと、いろいろな条件を突きつけられますが、チャウシェスクは我慢できるわけがない。「よし分かった、名案を思いついた」ーーそれは何か。一国の経済なのに家計のように考える。つまり、「出費を減らせばいいんでしょう」ということで、極端に輸入を制限する。徹底的な輸入制限と電気、暖房といったエネルギー消費の削減を断行する。新しい設備投資もしない、10年間以上も。「収入を増やせばいいんでしょう」と、当時収穫が少なかったにもかかわらず、輸出できるものが食料しかないということで、小麦などの農産物をガンガン輸出していく。当然、国民が飢えに苦しむという状況になり、これが国民に一番恨まれたことは間違いありません。食べ物の恨みは一番忘れない。ですから、これは一番深刻。

 2つ目は多産義務化です。当時のルーマニアでも少子化問題が深刻になりつつありました。人口減。ルーマニアは偉大なる大国にならねばいかん、その偉大なる指導者が私だ、そうすると人口減なんかもっての外、人口を大幅に増やすしかないーー当時の人口2000万から3000万へ。女性は4人、あるいは5人産まなければいけないと。多産義務化政策を取ります。ちょっとした優遇策や名誉称号などのプラスのインセンティブはありますが、強制の要素が強い。いかなる理由でも中絶を認めない。刑事罰を導入する。中絶したら牢屋(ろうや)に入れる。しかし、このような経済状況で子どもを産んで育てたいという女性が果たしてどれぐらいいるか。当然、負の側面が出てくる。多くの子どもが捨てられて孤児になったり、違法な中絶で母子ともに危険にさらされたりする。とんでもない人権無視です。

 これは、まさにフィードバックが利かない状況です。いろいろな問題が出ているにもかかわらず、根本の発想はチャウシェスクさまが考えたわけですから、問題が起こるとしたら実行の仕方が悪いんじゃないか、実行者を処罰せよ。詰め腹を切らされたらたまらないので、現場では情報を上に上げない。とにかく隠蔽(いんぺい)隠蔽、そうなります。

 数字の上では大成功です。ルーマニアは10年間で対外債務がほぼゼロになります。しかし、すさまじい国民生活の疲弊です。負担がごっそりいくわけです。フィードバックが利かない恐ろしさがここに出ています。

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隣国にチャウシェスクと真逆の政治家

 このように、光と影がくっきりコントラストを描くチャウシェスク。実はその真逆のタイプの政治家、リーダーがお隣ハンガリーにいました。しかも同じ時期です。それはどんな政治家か。この人です。カーダール・ヤーノシュ。面白いです、この人。

 この人が出てきたきっかけはハンガリー革命。ハンガリーでも、ソ連からの自立や民主化を求めて市民が立ち上がる。ところがそれがソ連の介入で潰されるという事件があった。この時に、ソ連の後ろ盾で権力の座に就いた、いわばソ連の操り人形、それがカーダール・ヤーノシュです。チャウシェスクの英雄としての登場と比べると、彼はまさに裏切り者としての登場。これは政治家のスタートとしては非常に厳しい。国民が冷たい目、刺すような視線で見ている。

 普通なら、ある意味、逆切れ気味に強圧的に臨むかもしれません。ところがヤーノシュは意外と懐が深い。彼は国民融和を掲げます。不満があるのも分かるし信頼してもらえないのも分かる、愛してくれとは言わない、しかし今は大変な国内の状況だ、ソ連との関係もある、革命によって傷ついた国民の内部の対立もある、融和、和解こそが一番大事じゃないかと。

 そして彼は、政治犯を釈放したり、言論の自由を少しずつ認めていったりした。先ほどの革命についても、いいとか悪いとか、そういう評価はしない。彼は「あれは民族の悲劇だった」と。多くの人に受け入れられるような見方を提示するんです。

 そんな彼が言った言葉が、「われわれに反対しない者は、われわれの味方である」。ちょっと弱気なような感じもするのですが含蓄ある言葉です。つまり、いろいろ問題があるのは分かっている。そのせいで不安定になった、混乱している。だからこそ今は安定が一番大事だ。愛してくれとは言わない、支持してくれとも言わない。今は言いたいことは腹に収めて、まずは安定だけを、最低限そこに合意できればわれわれの味方ですよーーこういう考えで支持を広げていきます。

 実際に彼は政策においても、地道に徐々に改善策を取っていきます。政策は、とにかくチャウシェスクと真逆。外交上の自立・自由はない。政治の自由も認められない。共産党支配体制を受け入れてくれ、何といったってソ連の枠がはまっているからねと。しかしその分、国民の生活水準の向上には骨身を惜しみません。西側から借金してでも食料や消費物資の輸入に励む。ですから当時ハンガリーは、東側のブロックの中では一番豊かな消費生活を送っている国でした。あるいは、市場経済的な要素も社会主義の中に組み込んだりして、少しずつ少しずつ国民の手堅い支持を得ていく。

 その結果、「ヤーノシュおじさん」は国民から親しまれる。派手さはない。あまり強引なリーダーシップも見られない。だいぶ苦労がにじみ出ていますが、惜しまれつつ引退していくことになります。つまりチャウシャスクとは真反対。

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あなたはどちらのタイプ?

 しかし、一概にどちらががいいとも言えません。チャウシェスクは剛腕です。リーダーシップ、勘もいい。そして特に前半は取る手が全て当たります。企業も、ガッと伸びる時にはワンマンの社長だったりしますよね。ところが、状況が変わった時に軌道修正ができない。フィードバックが利かない。悪いところが目立つ。一方、ヤーノシュは派手さがない。直感力もない。強引でもない。しかし、根回し、妥協、腹芸、そういうのは得意です。そして、お互い腹に収めて、ここは一つ泣いてくれと、ここは我慢してくれというかたちで説得力のある男。そんなヤーノシュ。

 自分はどうでしょうか。身近にいる人はどうでしょうか。あなたはチャウシェスクですか? それともヤーノシュですか? あなたの周りにいる人、上司、どうでしょうか。一概にどちらがいいとも言えませんが、そう考えてみると面白いかもしれません。

 きょうの話を少し別の角度から見ると、こういう見方もできるかなと思います。ガラパゴスです。つまり、ある特殊な環境に過度に適応し、適応し過ぎてうまくやり過ぎてしまうと、状況が変わった時に堪えられなくなる、対応できなくなるということがあります。

 チャウシェスクのルーマニアはまさにそうです。東西冷戦という特殊な環境、そのはざまという特殊な環境をフルに活用して、ルーマニアを一気に国際舞台に引き上げ、経済もうまく回していく。特殊な環境に過度に適応したわけですね。ところがソ連にゴルバチョフが出てきてペレストロイカをやる、冷戦が終わる、その環境変化には全く対応できずに、最後はグダグダ。あのような末路をたどることになります。まさにガラパゴスです。

 このことは、例えば日本で考えても、あるいは自分と組織、あるいは組織と周りの社会環境、市場、そういうことを考えても示唆に富むかなとも思いました。

 ご清聴、ありがとうございました。

 

 

 

研究分野

比較政治

論文

「戦間期東欧政治史への/からの問いかけ-権威主義体制論と比較ファシズム論の視座より-」(2020/03/10)

「ブルガリア・ルーマニア」及び「モルドヴァ共和国」(2019/06/20)

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