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「気骨ある辺境」を目指してーグローバル化の中で奮闘するルーマニアの政治

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法学部准教授 藤嶋 亮

2014年8月5日更新

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「気骨ある辺境」を目指して

今回のブラジル・ワールドカップでは、自らのスタイルをもち、小気味良いサッカーを展開する中小国の活躍が印象に残りました。言うなれば「気骨ある辺境」というところでしょうか。このような観点から、「グローバル化の中で奮闘しているヨーロッパの「周辺国」、ルーマニアの政治について考えてみたいと思います。一見日本とは縁遠いように感じられますが、「グローバル化」に直面しつつある日本の将来を考える上でも貴重なヒントが隠されているはずです。

「ヨーロッパ化」

1989年12月、ルーマニアでチャウシェスク大統領夫妻が処刑され、その様子が世界中に放送されました。この光景に衝撃を受けた方は多いのではないでしょうか。その後、独裁時代の悪夢を振り払うように、ひたすら「ヨーロッパへの回帰を目指し悪戦苦闘してきました。例えば、ルーマニアでは、旧東欧諸国の中でもEU・NATOへの加盟を支持する声は一貫して最高水準を維持していました。

そして、2007年には待望のEU加盟を実現します。加盟への歩みを続ける中で、民主政の(一応の)定着、経済成長の持続、なかんずく、ハンガリー人をはじめとする少数民族の地位向上が見られたことは「ヨーロッパ化」の肯定的側面の最たるものでしょう。90年代初頭の厳しい状況を考えれば大きな達成といえます。

「辺境性」

しかし、万々歳とも言えません。依然として、経済的にはEU内で最低水準(1人当たりのGDPはEU平均の3分の1未満)にありますし、司法改革・汚職対策の遅れから、欧州委員会の定期的なチェック・監督下に置かれています(「協力・検証メカニズム」)。また、政党・政治エリートも看板を付け替え「ヨーロッパ化」を誇っていますが、その内実には、西欧諸国からも国民一般からも疑いの目を向けられています。端的にいえば、EUの「辺境」に位置付けられており、改革に十分な内実が伴っていないという問題があるのです。

これは何も、昨日今日に始まった問題ではありません。ルーマニアが近代国家としての歩みを始めた150年以上前から同様な問題に悩まされてきたのです。ルーマニアは、中欧・ロシア・オスマン(トルコ)という三つの文化圏の中間/辺境に位置するとともに、それぞれの地域を支配した帝国の影響を受けてきました。また、ラテン系としてのアイデンティティーも保持してきました。この辺りにルーマニアらしさがあると思いますが、他方で、その時々の諸列強によって政治的・経済的なあり方の大枠が定められてきたともいえます。

「実質なき形式」

このような厳しい環境の中、ルーマニアの政治エリートは、まさに日本の明治維新と同じ時期に、「文明開化」、すなわち、西欧の政治的・経済的・社会的・文化的諸制度の移植・模倣に躍起になります。

しかし、「辺境」のルーマニアでは、政治的な自由主義も経済的な自由主義・市場経済も、「中心」のようには機能しませんでした。政治・経済エリート層は、議会、選挙、司法制度でさえ、(できるだけ)自らの既得権益を脅かさない範囲で運用しようとします。この制度と実態、建前と本音の乖離(かいり)は、「実質なき形式(formele fara fond)」として繰り返し批判されます。

疎外された民衆の間では、「西欧モデル=自由主義モデル」への不信・反感が根を張ることとなります。戦前のルーマニアでは、この緊張・葛藤が火花を散らしたかのように、反近代・反西欧の立場を突き詰めた神秘主義的な運動「大天使ミカエル軍団」が現れ、少なからぬ民衆が一時期、拍手喝采を送ることになるのです。

空洞化と「気骨ある辺境」

かつてと比べれば、確かに国際環境は良くなりました。しかし、「実質なき形式」の問題は依然として深刻です。政党、議会、政府は一貫して最も信頼されていない公的制度・組織であり、選挙での投票率は低い水準で推移しています。司法への信頼も低いままです。反対に、信頼されているのは、教会、そして軍であり、EUの諸機関も国内の政治家よりははるかにまし、と見なされています。

さらに、空洞化の問題があります。例えば、現在ルーマニアでは、労働人口の実に4分の1前後が、(同じラテン系の)イタリア、スペインをはじめとするEU諸国に出稼ぎに出ています。確かに、送金などの経済的メリットや生活の必要性など、やむにやまれぬ事情があるのですが、マイナス面も無視できません。農村部、地方都市では若者が目に見えて減少していますし、頭脳流出も深刻です。家族が離れ離れになるという問題もあります。

今後、ルーマニアでは「実質なき形式」を克服するための地道な努力が求められています。確かに、国際環境の変化への「応急措置」(短期的対応)は絶えず必要とされるでしょう。同時に、EU基準を満たすための改革であれ、グローバル市場経済への対応であれ、国内での丁寧な議論・合意形成が不可欠だと思います。時に厳しい緊張が生じるかもしれません。しかし、そのような葛藤なくしては、独自なもの、国内外の人々にとって魅力的なものは生まれないのではないでしょうか。

 

 

 

研究分野

比較政治

論文

「戦間期東欧政治史への/からの問いかけ-権威主義体制論と比較ファシズム論の視座より-」(2020/03/10)

「ブルガリア・ルーマニア」及び「モルドヴァ共和国」(2019/06/20)

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