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効率化・合理化が求められる中で
「非効率」を尊重する意義

渋谷対談!Vol22 トップが語る Vision & Mission『國學院大學×株式会社アートフロントギャラリー』

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2019年3月27日更新

 渋谷区に拠点を置く國學院大學の赤井益久学長とアートフロントギャラリーの北川フラム氏が対談。“効率化”が重視される今、教育とアートそれぞれに携わる両者は、その価値観に警鐘を鳴らす。2人が考える非効率の大切さとは。考えに迫る。

 

プロフィール

赤井益久(あかいますひさ)

北川フラム(きたがわふらむ)

國學院大學

学長

株式会社アートフロントギャラリー

代表取締役会長

1950年生まれ。

國學院大學大学院文学研究科博士課程を経て、1996年より同文学部教授。2011年に学長に就任。

1946年生まれ。

東京藝術大学卒業。「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」をはじめ、数多くの芸術祭に関わる。

 

苦労や回り道こそが
人生を築く体験になる

 

赤井 北川先生が総合ディレクターを務められている新潟県・越後妻有の「大地の芸術祭」のコンセプトに感銘を受けました。里山にあえて作品を散在させることで、来訪者はアートだけでなく、その土地や人、文化を巡る構造となっている。この着想はどこから得たのでしょうか。

北川 ありがとうございます。ひとつのコンセプトとして、徹底的な非効率化を試みています。現代は合理化・効率化が顕著ですが、非効率や「無駄」の中には宝物があります。美術館に展示する方がはるかに効率的でも、作品を道しるべに里山を歩くことで五感を通した濃い体験になるのです。

赤井 教育も同様です。今はインターネットで容易に検索できるため、直線的に答えを探す傾向があります。しかし、それは目の前の課題を突破できても、知識の深みや幅にはつながりにくい。むしろ、答えにたどりつくまでの苦労や回り道こそが、その後の糧となります。教育の本分は、そこにあると思うのです。

北川 同じ考えです。たとえば本を読むのはまさにその典型で、時間をかけて、ときには回り道をしながら、自然と学ぶ面白さを味わえます。その体験は効率化の中ではできないでしょう。

 

赤井学長は「学びで大切なのは感動。それをもたらす仕掛けが必要」という。

前もって「感動」が
生まれる仕組みを用意する

 

北川 苦労や回り道が大切なのは、それが感情や感動と紐づくからとも言えるでしょう。非効率は、心の原動力にもなるのです。

 

「苦労をするからこそ感動が生まれ、“好き”という感情になる」と北川氏。

赤井 本学も、新潟で「米作りワークショップ」を毎年実施しており、学生には未知の体験です。面倒と思うかもしれません。しかし、収穫したお米を食べる際は、みな目を輝かせている。米作りの過程を体験することが、感動を生んでいるんですね。授業も同じで、今はあえて回り道をさせながら、感情に響く仕組みを用意すべきと考えています。

 

未来の成長を担う
非効率を許容する文化

 

北川 それともうひとつ、私が非効率を尊重する背景には、アートというジャンルも強く関係しています。そもそもアートは、単一的な答えのない、他と違うことが評価される稀有な領域。効率化や一律化を望んでいないことも大きいと思います。

赤井 そうですね。大学も教育と研究の二軸がありますが、研究こそ非効率の最たるもので、時間を費やせば結果が出るとは限らない。たとえば本学の古事記研究は、文科省の平成28年度「私立大学研究ブランディング事業」に採択されました。しかし、それも60年にもおよぶ研究の積み重ねによるもの。効率化だけを追求していたら生まれなかったことでしょう。

北川 私も教育機関と関わる機会が多いですが、現代の大学は教育先行になりつつあり、研究が置いていかれている印象を受けます。

赤井 その通りです。あくまで教育を支えるのは研究であり、良い研究がバックグラウンドになければ、良い教育は困難でしょう。その意味でも、大学は研究を手厚くするべき。私は、この3月をもって学長を退きますが、本学はその姿勢を築けてきたと感じます。ですから、これを大切な個性として、今後も同じ歩みを続けてほしいですね。たとえ目立たなくても、地道な研究こそが大学の発展へとつながるのですから。

 

「大地の芸術祭」は2000年から3年に1度開催され、会期中50日間の来場者は50万人を超える。(内海昭子「たくさんの失われた窓のために」撮影:倉谷拓朴 提供:大地の芸術祭実行委員会)

 

 

 

このページに対するお問い合せ先: 総合企画部広報課

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