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科学的手法を使って古代の「国道」を探しだす

再現ビジュアル 第2回/道路の整備

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國學院大學助手 朝倉一貴

2016年9月26日更新

空からの調査で見えてきた
古代の巨大インフラ「国道」網

 考古地理学を専門とする國學院大學の朝倉一貴助手は古代道路の研究者です。古代、日本には全国規模の道路網がありました。それは狭くて素朴なあぜ道ではありません。道幅は平均で約10メートル、しかも驚くほどまっすぐ整備され、10キロ以上続く直線道路も見つかっています。こうした道路が「東は現在の岩手県、秋田県まで、西は四国、九州全域にまで整備されていた」と朝倉先生は語ります。今から1000年以上も前に「国道」と呼べるインフラがあったのです。

 古代道路は文献が少なく、敷設位置を特定できる道路遺構の発掘事例も部分的で、まだ大半が見つかっていません。その後も道として利用され、現在の国道や水田、畑の下に埋もれているものもあるだろうと考えられています。

 発見の手がかりとなるのは空中写真や衛星から得られる画像・データです。ソイルマーク(土壌跡)やクロップマーク(作物跡)に注目するだけでなく、最近では画像解析技術や地理情報システム(GIS)も駆使して、怪しい直線状の痕跡を探しています。こうした空と宇宙からの視線が、考古学にも欠かせない時代になっているのです。

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■古代道路のルート

現在の国道、高速道路、主要な鉄道と一致していたり、平行していることがよくあります。

■発掘

発見された2本のソイルマークを手がかりに、発掘すると古代の道路遺構が出現します。

■駅家

緊急連絡は馬をつかった伝令「駅馬」がつかわれていました。30里(約16キロ)ごとに「駅」という施設がつくられ、そこでリレーのように馬を交換したり、休んだりできるようになっていたのです。

■古代道路

飛鳥時代から平安時代前期にかけてつくられました。大和朝廷の中心地近畿地方から全国に延びていたと考えられています。道の両端には、水はけをよくするために側溝が掘られていました。道が広く、まっすぐなのは、当時の中国の影響があったと考えられています。

■国家財源を集める

地方から都まで、租庸調(当時の税制度)の荷物や人を運ぶルートとしてつかわれ、軍隊の大規模な移動を可能にしました。

クロップマーク、ソイルマーク

朝倉一貴先生に聞く 「古代道路」研究の道はまだまだ続く

Q 古代の日本に、ドイツのアウトバーンのような広く、長く、まっすぐな全国規模の道路ネットワークが整備されていたなんて驚きました。こうした道路ができたのはいつごろなのですか?

A このような大規模な古代道路がつくられたのは7世紀初頭からだと考えられています。もっとも力を入れて整備されたのは8世紀ですね。時代区分でいえば飛鳥時代から奈良時代にかけてで、平安時代の後半になるとあまり熱心ではなくなったようです。

Q 何故古代の人々は、これほど立派な道路をつくったんですか?

A 古代道路の築造や計画について記した文書はほとんど残っていないのですが、当時の国内外の情勢に影響されているという側面もあります。また、国家が課した税金である租・庸・調の記録を見ると、全国各地から送られていることがわかるんです。ですから、直接的にはその運搬や移動、連絡のためのルートとして整備されたのでしょう。直線的で巨大なのは中国(隋や唐)でつくられていた道路の影響が指摘されていますが、同時に権力の大きさを誇示する意味もあったと思いますね。

Q まだ未発見のものもたくさんあるんですか?

A はい。古代道路の研究が本格的に始まったのは1970年代で、それまでは全国規模の巨大道路網があるとは知られていなかったんです。その後、古代道路の特徴がわかり、かなりの数の古代道路が発掘調査によって見つかるようになりましたが、いずれも断片的なものに過ぎません。東側でいえば、畿内から秋田城(秋田)、志波城(岩手)までをつなぐ道路があったはずだと考えれば、全貌はまだほとんど解明されていないといえますね。

Q 古代道路の見つけかたについて教えて下さい。

A 発掘調査以前の見つけかたとしては、どの古代道路でも、まず「ここが怪しいぞ」というアタリをつけることが必要です。アタリのつけ方には色々あるのですが、わたしは飛行機やドローンで撮った空中写真や衛星の画像・データをつかっています。考古学の知識を持っていると、こうした画像から直線状の何百メートル、ときには何キロも続くソイルマーク(土壌跡)やクロップマーク(作物跡)を見つけられるようになるんです。また、近年発達したリモートセンシング技術による画像解析でも、直線状の痕跡が浮かび上がらせることができることがわかりました。最近では、地理情報システム(GIS)を使って国土地理院等が公開している地形データを応用して「駅家間を最小コストで進めるルート」をシュミレートするという方法も研究しています。

Q 画像解析、データ解析、シュミレーションを組み合わせて古代の謎を解く時代になっているんですね。

A はい。従来のソイルマークやクロップマークに注目する手法も大切なのですが、専門家のあいだでも意見がわかれることがあったんです。しかし、こうした最新技術をつかうことで、より客観的な判断ができるようになるのではないかと期待しています。

Q 考古学も新しい時代に入っているんですね。ものすごい大発見を期待したくなります。

A 最近も、断片的ではありますが直線で約10キロ以上つづく古代道路(東山道武蔵路など)が見つかっていますから、今後も驚くようなことがわかる可能性はあるかもしれませんね。ある先生は、現在の高速道路と古代道路がかなり一致しているという説を唱えておられます。そしてインターチェンジの設置場所と、古代の駅家が重なっているのではないかというのです。もし古代と現代で同じような道路をつくっているんだとすると、おもしろいですよね。いずれにせよ、古代道路は、日本全国を一筆書きでつなげているはずです。そのルートの全容を解明できるようがんばりたいと思います。

 

 

 

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