男子バスケットボールの国内最高峰であるプロリーグ「Bリーグ」で戦う三遠ネオフェニックスの岡田慎吾選手(平18卒・114期経)は、日本国籍選手としてはチーム最年長のベテランで、昨季までキャプテンを務めてきた。Bリーグ発足前のbjリーグ時代には、三遠の前身である浜松・東三河フェニックスのキャプテンとしてチームの2連覇に貢献。三遠のキャプテンを世代交代した今季も、名門チームの精神的支柱として活躍を続けている。岡田選手に、新年の抱負や試合にかける思い、在学中の思い出について語ってもらった。
HCの分身となって担う花形ポジション
--Bリーグは発足から3季目を迎え、人気は着実に高まっています。今季の展望をどう見ていますか
岡田選手(以下、岡田) チームとして望んでいるような結果はまだ出ていないのですが、練習を積んで上り調子にしたいです。私たちのチームは、日本代表選手が多いわけでも、個人技にたけた選手がたくさんいるわけでもありません。コート上の5人全員でボールを回して攻め、全員で助け合いながら守るチームですから、その特徴を押し出していきたいです。
--ポジションのシューティングガード(SG)は米プロバスケットボールリーグ、NBAで活躍したマイケル・ジョーダンら多くの有名選手が務める花形です。自身の武器は何だと考えていますか
岡田 SGには点をたくさん取れる選手が多いと思います。ただ、私のチームにはポイントゲッターが別にいますから、自分としてはどちらかというとシュートのうまい相手選手に仕事をさせない守備的なプレーが中心になっていると思います。私は、他の選手より優れた身体的特性や技量を持っているわけではありません。ヘッドコーチ(HC)から求められるプレーを一つ一つ、より高いクオリティーで遂行できることが武器だと思っています。
--大学卒業後、選手として13季目です。20代半ば以降は、浜松・東三河(3季連続)、群馬クレインサンダーズ(1季)、三遠(2季連続)の通算6季にわたり、キャプテンを任されてきました。統率力や指導力を認められてのことだと思いますが、自身の資質をどう分析していますか
岡田 それを決めるのはHCや周りの皆さんなので。ただ、バスケットボールではHCが求めるプレーをいかに遂行できるかが大切です。HCの分身となって体現できるところを認めていただいたのだと思います。その自信は(キャプテン交代後の)今も持っています。
--選手人生の転機で感じたことは何ですか
岡田 最初の転機は、大学卒業後に初めて所属したオーエスジーフェニックス(現・三遠)です。当時のHCはプレー以外のことにも厳しい人で、「挨拶をきちんとしろ」「脱いだ服はたたんでから置け」「脱いだ靴はそろえろ」と繰り返し指導を受けました。社会人になって、まず自分の甘さに気づかされました。(平成24年の)フリーエージェント(FA)移籍は、もともと故郷でプレーしたいという気持ちがあり、群馬県にプロチームができることになったため、決断しました。故郷でのプレーは、とても素晴らしい経験となりました。
--群馬でのプレーは2季で終え、再びFA移籍により浜松・東三河に復帰しました。なぜ、古巣へ戻ろうと考えたのですか
岡田 ただひたすらに勝ちたいと思ったからです。群馬では、チームを1からつくる大変さも痛感させられました。連係プレーもなかなかうまくいかず、成績の振るわない難しい2年間でした。同時に、浜松・東三河のチームとしての良さに気づかされる機会にもなりました。浜松・東三河は実力も実績もあり、冷暖房完備の体育館を持つなど練習環境だけをみても恵まれていましたから、故郷でプレーできる喜びよりも、勝ちたいという気持ちのほうが強くなっていきました。
--三遠の所属期間は、前身のチームも含めて通算11季目と選手人生の大半を占めています。自身にとって、どんな存在ですか
岡田 家族のような存在です。
就活半ばで決意した選手の道
--バスケットボールを始めたきっかけは何でしたか
岡田 始めたのは小学1年のときです。当時、兄が小学6年で、学校のクラブ活動でバスケットボールのキャプテンをしていました。兄に付いて試合や練習を見に行く中で自然に始めていました。
--國學院大學を進学先に選んだ理由は
岡田 いくつかの大学からスポーツ推薦入学のお話をいただきました。ただ、首都圏にある大学チームの試合や練習を見る機会はほとんどなく、どんな大学やチームがあるかはよく分かりませんでした。正直に言いますと、決め手の一つは、渋谷にキャンパスがあることでした。渋谷は地方出身の若者にとって憧れの街ですから。
--スポーツ推薦入学ということは、学生生活はバスケットボール一色でしたか
岡田 そんなことはなくて、授業の単位を取るのに一生懸命でした。きちんと授業に出席するバスケットボール部員が同じ学部に多かったのは幸いでした。一人だけサボるわけにはいかず、おかげさまで卒業に必要な単位を3年までに全て取ることができ、4年ではバスケットボールに打ち込めました。アルバイトもいろいろしました。一番気に入っていたのが総菜店です。おかずを持ち帰らせてもらえたので、一人暮らしの食事が助かりました。
--学生生活で気づきや成長はありましたか
岡田 親のありがたみを実感しました。学費や家賃を払ってもらっているからこそ通えるのだし、実家では任せっきりだった家事の大変さも知りました。部活動を通じては上下関係の厳しさを学び、その経験はプロスポーツの世界で、とても役立っています。
--大学卒業後の進路に、バスケットボール選手としての道を選んだ理由は
岡田 大学4年のとき、実業団のトップ選手たちと試合をする機会に恵まれ、その実力に驚く一方で、「自分も通用する」という自信も感じたんです。当時、銀行を中心に就職活動をしており、面接選考の段階に入っていたのですが、選手としての道へ進むことを決意しました。
40代選手からもらう元気
--Bリーグの魅力を一言で言うと何でしょう
岡田 エンターテインメント性です。試合は他国のプロリーグに比べて攻守の入れ替えが激しく、スピーディーな展開が特徴です。試合前後の演出やハーフタイムのイベントは華やかで、ご当地グルメも楽しめます。
--Bリーグのチームは地域密着型です。地域とのつながりをどのように考えていますか
岡田 小中学校を訪問しての講演やバスケットボールの指導、図書館での読み聞かせ、試合観戦を呼びかける街頭でのチラシ配布などさまざまなことに取り組んでいます。こうした活動は大切な仕事の一つだと考えています。
--男子バスケットボールに対する国内の関心をどのように感じていますか
岡田 Bリーグが立ち上がってからは、街で声をかけられることが増えました。すごくありがたいことです。日本代表も強豪国を倒す活躍を見せていますから、バスケットボールそのものに対する注目度は上がっていると感じます。この人気をさらに盛り上げるためにも、選手の一人としてブースター(バスケットボールファン)に満足してもらえるプレーを見せられるよう努力していきたいです。ぜひ、試合を見に来てください。
--ベテラン選手として現在、バスケットボールとどのように向き合っていますか
岡田 20代や30代前半と、それほど変わっていないのではないかと思っています。「どうすればうまくいくか」「どうすれば勝てるのか」。今も、そういうことばかりを考えていますから。肉体的にも年齢的な実感はほとんどないです。とはいえ、年齢が増すごとにトレーニングのメニューが増えてしまうのが悩みです。自分に合った新しいトレーニング方法を積極的に取り入れるのですが、古い方法をやめることができないんです。長年続けてきたトレーニングをやめたら、体が駄目になるのではないかと怖いんですね。自分自身に折り合いをつけるのは難しいことだと感じています。
--自身の選手としての将来像をどのように考えていますか
岡田 必要とされるうちはプレーを続けていきたいと考えています。40代でプレーしている選手の姿を見ていると、元気が出ますし、「まだまだやるぞ」という気持ちになります。
--今年の抱負を聞かせてください
岡田 けがをすることなく、チャンピオンシップ(CS)の出場権を取って優勝することです。プライベートでは家族に割く時間を増やし、家族の幸せをもう少し考えてあげるようにしたいと思っています。子どもたちには「パパ、また試合?」と寂しい思いをさせているので、どこかに連れて行ってあげたいですね。家族あっての自分ですから、感謝を忘れないようにしたいです。
--ありがとうございます