去る6月10日(土)に、祭式教室にて「宮廷装束の着装披露」が行われました。
これは、「霞会館 衣紋道研究会」が主催、本学神道文化学部が共催する行事で、今回で4回目になります。
衣紋道研究会では創立以来、髙倉・山科両流が培った衣紋道の伝統を継承し、研鑽を重ねておられます。皇室の祭儀執行や石清水・賀茂・春日の三勅祭などでも衣紋の奉仕をしておられる方々です。
普段、着装は私室で行うものですから、本来、その様子を拝見することなど、ほとんどありませんので、大変貴重な機会です。
今年は、男子装束は「明衣・縫腋袍束帯(内宮木綿襁)」、女子装束は「女房装束」です。
先ずは男子の着装から始まります。
御方(おかた)には、二人の衣紋者(えもんじゃ)が付きます。
衣紋者は衣紋道研究会の方々ですが、御方は本学部四年生の千鳥さんが務めました。
束帯(そくたい)とは儀礼用の礼装で、現在では、御大礼・御成婚式・宮中祭典で使用されます。神社では、神宮式年遷宮の大宮司・少宮司・禰宜、三勅祭の勅使とかなり限られた範囲でしか使用されません。
神宮式年遷宮では、束帯の上に明衣(みょうえ)を重ね、冠には木綿鬘(ゆうかづら、=麻苧(あさお)の鉢巻)をつけ、両肩に木綿襁(ゆうだすき、=麻苧の襷)を取り掛けます。明衣は純白の生絹(すずし)を素材とした闕腋(けってき、=脇が縫われていないもの)で、「清浄」を意味します。
そして、前衣紋者と後衣紋者との息が合った衣紋によって、見事に「明衣・縫腋袍束帯(内宮木綿襁)」が着けられました。
今回の衣紋は髙倉流です。
次に女房(にょうぼう)装束の着装です。
本来は、五衣(いつつぎぬ)・唐衣(からぎぬ)・裳(も)の装束と呼ばれておりましたが、現在では、十二単(じゅうにひとえ)として知られる装束です。
こちらも、衣紋者は衣紋道研究会の方々がおつとめになります。御方は日本文学科三年生の荒津内さんが務めました。
まずは、御方が小袖(こそで)と長袴(ながばかま)を着けて登場です。
そして、単(ひとえ)、五衣(いつつぎぬ)、打衣(うちぎぬ)、表着(うわぎ)、唐衣(からぎぬ)、裳(も)が、前衣紋者と後衣紋者の美しい手さばきで着けられていきます。最後に檜扇(ひおうぎ)を御方が持って、女子装束の着装がととのいます。
会場からため息が聞こえてきそうな見事な出来映えです。今回の装束は、未婚の女性がおつけになるものです。
参加者の方々は、着装の様子を非常に熱心に見入っておりました。
御方役を務めた荒津内さんに感想を聴きましたので、ご紹介します。
以前から平安時代の装束に関心があり、十二単には特に憧れを抱いておりましたので、お声掛けをいただいたときはとても嬉しかったです。
装束は、実際に身にまとうと袴が長いので歩きづらく、何重にも重なった装束は非常に重たいもので、身動きをとるのが大変でした。ほんの数十分の間、しかも冷房の効いている祭式教室にいたにも関わらず、汗をかいてしまいました。 絵巻物などで見かける装束を着た女性に対して趣深いイメージがありましたが、生活するだけでも大変だったと思います。
十二単という名前でありながら十二枚の装束を着るわけではなく、実際にはもっと少なかったそうですが、それでも何枚も重ねて着装することは技術を要するものだったと思います。それを現代でも再現することが出来るのは、日々衣紋について研究されている方々の成果と、衣紋方の皆様の技術があってこそだと実感しました。
この度は非常に貴重な経験をさせていただき、ありがとうございました。この場をお借りして、関係者の皆様に深く感謝申し上げます。國學院大學が誇る日本の文化や信仰をこれからも大切にして、今後も精一杯勉学に励んでいきたいと存じます。
衣紋道とは、その古儀・作法が正しく後世に継承されるべき伝統文化です。そのことを、沢山の方々に伝えることができた一日でした。
来年も企画された際には、是非ともご参加ください。
(文:小林宣彦/写真:増山正芳/御方・感想文:荒津内若奈/御方:千鳥祐宗)
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